星座で801ログ保管庫出張所

やぎの夏休み(夜の楽しみ)

 さて、ここまで何度か看過されてきたテレビだが、乙女の家のテレビは山羊の家がある地方と番組の放送枠が違っていた。
「おじさんの家のテレビってブロックみたい」
 山羊の父親である双子は早い時期から薄っぺらなプラズマテレビしか買っていない。真剣な顔で乙女の家のテレビを見ながらそんなことを言う山羊に乙女は内心軽いカルチャーショックを感じていたのだが、山羊は山羊で夜の六時になってチャンネルを変えたとたん流れ出したアニメのラインナップに著しく首をかしげたようだ。
「これこの前見た。再放送やってるのかなあ?」
「もともとこっちの地方は一周遅れだ」
「……そうなの? 月曜なのに水曜日の七時のやつがやってる」
「ローカル局だからな……。新聞見て確認してみろ」
 乙女にうながされて眉間に皺をよせながら新聞のテレビ欄を見た山羊は、隅々まで番組のラインナップを眺めたかと思うと急に新聞を掴んで大声を上げた。
「真夜中のアニメがぜんぜんやってない!」
 家庭的な顔をしていた乙女おじさんが突然眼鏡の奥の目を異様にぎらつかせて山羊を見る。
「お前深夜アニメなんぞ見てたのか!?」
「だって夜中にしかやってないやつだってあるし……」
「なんちゅうふしだらなその歳で……!」
 山羊は乙女の台詞が心底わからない様子でいるようだ。
「おじさん、ふしだらってなに?」
 答えられずに顔を赤くし口をぱくつかせる乙女に山羊は言葉を続けた。
「ジャンPのでね、”再生ノート”とか”星座探偵カワタ”とかやってる日だけは遅くまで起きて見てるんだよ。お父さんやお母さんとも一緒に見るし」
 無心な山羊の台詞に今度は乙女が凝固し、時が動き出した後ゆっくり咳払いをしてかわす。まさか自分の想像していたものがパンチラとか胸チラとかエロゲ系とかその辺だったとは言えず、作務衣のまま居間にごろりと転がって頬杖をついた。山羊はそんな乙女を見て”あ、このおっさん何かごまかした”と感じたものの、大人の知恵というやつで気づかないふりをして済ませてあげた。
「ほんとに何もないんだね。マンガもないの?」
「おじさんの部屋に手塚治虫だったらちょっとある。あとで持ってきてやろうか」
「うん!」
「これから一ヶ月もあるんだから、ゲームもいるんだったら家に電話して宅配便で送ってもらう手もあるぞ。どうする?」
「……いや、別にいい。いらない」

 山羊は家の話題になると急に堅い調子になって、口ごもりがちにうつむく。
「ゲームはお父さんがやってるし。一ヶ月で帰るんだから、わざわざ送らせるなんて悪いから」
 胸元で握り締める手がそっと何かの重みに耐えていた。乙女は微かに目を伏せて甥っ子の心持ちを案じる。子供ながらに、大人に迷惑をかけたがらない性分なのだろう。一方で、そうでなければ捨てられてしまうという不安を隠しているようにも見える。
 山羊は乙女をおいて自室にこもるとしばらく何もせずに部屋の窓を見上げて壁際に座っていた。乙女も一ヶ月も同居する以上、四六時中構っているわけにもいかない。しばらく一人居間でごろごろしてテレビを見ていた。一時間尺の番組が二本ほど終わったころ、山羊は自室から出てきて居間のテーブルの端に座った。
 静かに喋り始める山羊の声色は、ようやく乙女を家族としてみなし始めていた。
「僕、なんでお父さんがここを出て都会で暮らすようになったのかわかる気がする」
「……ん? どうして」
 乙女が寝転がったまま顔を山羊のほうへ向ける。山羊はぼんやりとテーブルの上を見ていた。
「ここ、暇なんだ。本当に何にもすることがないからじっと考えちゃうんだ。
 僕の家があるとこはゲームがあって、夜中でもアニメがやってて、マンガもいっぱいあって、夜中でもコンビニに歩いていけて、起きててもずっと楽しいことだけして時間を飛ばすことができる。暇だーって思ってる暇もないんだよ」
 乙女が思うところがあって黙っていると、山羊が乙女を見ながらためらいがちに言葉を続ける。
「僕は、こんな風にじっと考える時間もあったほうがいいと思う。でもお父さんは考える時間が長いのが嫌いなんだ。考えすぎて急に怖くなっちゃうのが嫌なんだ。きっと」
 テレビの音のほかには虫の声しか聞こえない、閑散とした山の中の家だった。
「急に怖くなったのか。山羊は」
「怖いけど怖くないよ。おじさんもいるから」
「そうか」
 乙女は畳の上に寝転がっていた身体を起こすと、硬くなっていた身体をまわしてテーブルにおいてあった麦茶をすすった。
「山羊のお父さんはこの辺の土地が苦手なんだよ」
「そうなの?」
「うん。山羊が今まで何回かここに来たときも、お父さんあんまり長居してなかっただろう。ちょっとそわそわして」
「うん」
「この辺の地方にはいろいろなものが棲んでいるっていうが……おじさんもお父さんも何度か、まれに見たことがあるが、山羊のお父さんは特にそういうのが苦手だった。中学に入った頃にはもう山を避けるようになっていたな。あれでも小学生のころは木登りとか山遊びとかよくやってたんだが。
 お父さんは暗闇や物の怪が怖いのかもしれんと思ったことがある。神社をどっちが継ぐか話し合いたかったんだが、こうなってはおじさんが引き受けたほうがよさそうだなあと思っておじさんはこの道に入ることにした」
 双子が神主や山遊びをしているという姿じたい、山羊には想像がつかなかった。口をぽかんとあけてどんぐりまなこになっている山羊に、乙女は何を思ったか急に立ち上がって物置から赤い玉ののったけん玉を一つ持ってきた。
「よく山羊のお父さんと競ったもんだ。山羊はけん玉できるかい」
 赤い玉が垂れ下がる。それが腕から手首へと伝わる最小限の力で再度舞い上がり、玉受けのくぼみに乗っかる。温かみのある木の音と一緒に何度も跳ねて左右と底のくぼみを行きかう。最後にひときわ大きく玉が上がり、けん玉の芯に刺さって止まる。
 山羊の手から自然と拍手が湧いた。乙女はにやりと笑うと、あぐらをかいて山羊を上に座らせ、夜がなけん玉のやり方を山羊に伝授してくれた。作務衣ごしに伝わる伯父の体温が山羊にはとても温かく、どこか懐かしく、安心できるものに感じられた。