星座で801ログ保管庫出張所

やぎの夏休み(晩ごはん)

 夏休みの間、山羊の寝室として用意された部屋は妙にしんとしていた。
 テレビがなかった。それだけで山羊にはそこが恐ろしく静かな部屋なのではないかと思えたけれども、いつも自分の家で感じていた不安になるような静けさではなかった。外の林から虫の声が聞こえていて、静かではあったけどそうさびしくはなかった。
「山羊。おじさんはこの部屋にはあまり入らないつもりだけど、部屋の片付けや布団の上げ下ろしは自分でちゃんとやるんだぞ。おじさんは上げ下ろしをしてないせんべい布団が嫌いだ。もし夕方になっても布団が敷きっぱなしだったりしたら勝手に部屋に入って片付けるからな」
 乙女は山羊に部屋の中を案内しながらそう説明する。家の中は全体的に物が少なくてこぎれいだった。山羊がうなずき、リュックを下ろしながら「ゲームはある?」と尋ねると、乙女は軽くあごに手をやって目をよそに反らすしぐさをした。
「そうか。ゲームか……何か持ってきたか?」
「持ってこなかった」
「悪いな。ファミコンだったらあったような気はするんだが……いや、この前壊れたんで捨てたんだったかな」
 ファミコンなんて旧時代の遺物では遊んだこともなかった山羊だが、かといって最新のゲーム機がほしいとも思わなかった。ゲーム機は家にあったのだがリュックには入れなかったのだ。見ただけで父親の双子を思い出すから、つらくならないようにそうした。
 何を言われても平気そうにしている山羊の顔は、あまり子供らしくない。そうやって大人から可愛がられないことにも慣れていた。
「僕、これからどうすればいいの」
 まるで何かの仕事をしているような、起伏のない山羊の口調に乙女が一瞬言葉に迷う間があった。そうやって迷われると山羊も戸惑ってしまう。山羊だって言われるままに動いたほうが楽だからだ。
「一ヶ月だもんな。山羊はなにか、目標みたいなものは持ってきたかい」
「何も」
 一ヶ月で帰れるなら目標を立ててこなすのもいい。でも、山羊は一ヶ月で家に帰れるとは思っていなかった。
「僕、今日からおじさんの家の子供になるの?」
「……山羊?」
「僕、おとうさんにすて……」
 そこから先は声が出なかった。山羊は乙女おじさんの顔を見つめたまま口をつぐみ、またすっかり元気をなくしてその場にうつむいてしまった。
 乙女おじさんはそんな山羊の姿を悲しそうな顔で見つめていた。
「何でそんなに自分をいじめるような決め付け方をするんだ?」
 それが第一声だった。乙女はうつむく山羊の前にしゃがみこみ、少しでも山羊に自分の声を届かせようと下から山羊の顔を覗き込んだ。
「おとうさんは心配してたよ。お前のかたくなさを。話をしたいけどできないって悩んでた」
 山羊は眉間に眉を寄せたまま黙っていた。双子は自分の兄に嘘をついた。本当の双子は話をしたいといいながらいつもご機嫌とりばっかりで、本当に大事なことは一度も話そうとしてくれなかった。
「本当の親子だから、いろいろ上手くいかないこともあるんだろうとおじさんは思う。おじさんは山羊のお父さんがまだ話してないことがあると思ってるけど、聞き出すには時間がなかったからとりあえず山羊をうちで預かることにした。
 山羊が、本当に困ったときいつでも逃げてこれるもう一個の家に、ここがなればいいなと思ってる」
 骨ばった手がそっと山羊の肩に乗せられる。ひかえめな温かさと重さが山羊の身をほぐした。山羊はわずかに顔を上げながら、黒目がちな澄んだ目で乙女の顔を見返す。乙女は双子ほど器用ではなかった。笑顔を作るかわりに素っ気無い真顔で山羊の頭をまた撫でた。
「お父さんは捨てるために山羊をうちに預けたんじゃない。それはおじさんが保証する」

 山羊はあんまり頭を撫でてもらったことがないので、こんなとき「ありがとう」と言っていいのかどうかもわからなくて、やっぱり黙っていた。
 声も出さずにこくこくうなずくと乙女おじさんはうなずきを返して立ち上がり、夕飯を作りに廊下を別室へと歩いていった。
 夕飯はハンバーグだった。乙女おじさんが手作りで作ってくれたようだ。子供にはとりあえずハンバーグを作れば喜ばれるという思い付きはどこの大人でも変わらないらしい。
「僕ね、昼間に外のわらの屋根からへんなのが出たのを見たんだ」
 乙女と二人で夕飯の食卓を囲みながら山羊は昼間の化け物の話をした。乙女はわらの屋根について「かやぶき屋根だ」と訂正しながら、同じ口で物の怪がいるのかもしれないなとオカルトな話をした。
「信じるの? そういうのがいるって」
「おじさんの家は見えないものを相手にしてご飯を食べさせてもらってる。物の怪も八百万の神様もいることにしといたほうが上手くいくんだ。なんでもそうだ」
「あれ何だったんだろう」
「おじさんの知識が追いつかない物の怪か新種の物の怪だな。また見たら教えてくれ」
 テレビではアニメも流れておらず、つまらなかった山羊は「僕ハンバーグもいいけどあじを焼いたのが好きなんだ」と言って早々と乙女に路線変更を要求した。夜はカレンダーの裏に落書きをして、そのうちに眠くなって寝てしまった。
 双子がいなくなったさびしさについては、見ないふりをした。