彼らの知っている歴史はみっつ。
ひとつめは、水瓶が過去に調べ上げた歴史。それは私の知っている歴史でもある。
ふたつめは、双子が読んだ歴史。
そしてみっつめは、いま現在の、この状態。
水瓶は語る。
「実はひとつ目と、ふたつ目の歴史には、そう大した変化は無いんだ。どちらも川田たちに攻められて、家族が全滅するという歴史だった。違うところは僕の存在だ。ひとつ目の歴史では、僕は牡羊が死んだと同時に、行方不明になっている。そして姿をあらわすのは、みんなが死んでからずっとあとだ。ぼくは裏切り者になっている。川田の意思を継いで、能力者たちに恐怖を振りまいている」
私の知っている歴史もその通りだ。
私にとっては驚くべきことではなかったが、ここの連中は驚いていた。
その驚きを補足するように、双子が言う。
「これはもう説明したけど、俺が読んだ二番目の歴史では、俺は11番目に殺されている。だからそのあとの歴史は読めなかったんだけど、生き残りの12番目は水瓶だった。ってことは最初の歴史と同じように、水瓶が、みんなが死んだあとで、俺たちを裏切っていた可能性はあるな」
獅子が目を細めて水瓶を睨んでいる。
「なぜ裏切る?」
水瓶は「わからない」と答えた。「あり得ない。いったいその歴史のぼくに、どういう心境の変化があったのか」
答えは簡単だ。その正しいの歴史における、裏切り者の水瓶は、水瓶では無いのだ。
それは、私だ。復讐のために私を殺し、そのせいで、私にからだを乗っ取られてしまった、哀れな水瓶は、私だ。
そして水瓶の体と能力を手に入れた私は、過去と未来を駆けまわる、歴史の修正者となる。
今のこの歴史は狂いすぎている。生きるべき人間が生きておらず、死ぬべき人間が死んでいない。
正しい形に修正しなければ。
私は思案する。どうやって、水瓶に私を殺させるか。
山羊が手をあげて発言する。
「水瓶。川田の意思を継いで、と言ったが、川田自身はどうなっているんだ」
「それもわからない。ぼくが川田と接触したのは、間違いないと思うんだが」
「実はさっきの戦いで、女をひとり捕まえて、少し記憶を読んでみたんだ。それで思ったんだが、川田という男、実はもう存在しないんじゃないか?」
正解だ。川田などと言う男は、とっくの昔に死んでいる。
私はたしかに一時、川田の肉体を借りていたが、川田は私ではない。
この山羊という男に記憶を読まれたときは焦ったが、運が良かった。私はあの女に、顔を見る間もなく、背中からつぶし殺されていたからだ。
だから女と入れ替わった瞬間を知らない山羊は、単に、「川田と会ったことが無い私」の記憶しか読めなかった。
当たり前だ。川田は、川田には会わない。自分自身と出会う記憶を持つ人間など居ない。
もっと遠い過去を読まれていたら(たとえば私が川田であったころ、鏡を見ていた記憶などを読まれていたら)駄目だったが、あの短い時間で、そこまでの暇は無かった。
私の思考をよそに、山羊は推理を続ける。
「女は川田を知らなかった。孔雀は川田を知らなかった。カラスも川田を知らなかった。水瓶は川田と別れてから、二度と川田と会っていない。魚も双子も天秤もそんなところだろう。ということは、川田はすでに存在せず、だからここに来れなかったんじゃないか」
サイコメトラーだけあって、事実の積み重ねから結論を出すのが上手いようだ。
水瓶は思考し「有り得ると思う」と答えた。
「しかし、では僕は、なぜきみたちを裏切ったんだろう。いったい僕は誰に出会ったんだ? いままで川田を名乗っていたのは何者だ。言うまでもなく今の僕には、きみたちを裏切ろうなどという意志は、髪一筋ぶんも無い。信じてもらえないかもしれないが」
蟹が「ちょお待ってや」と言った。
「あんな。わし今こんなんやろ。これは敵さんの心読んできたからやけど、あの敵さん、こんなことを考えてたわけよ。『わしが死んでも大丈夫や。川田さんがいるから』って。ってことは、あの中におったんちゃうの。川田」
これもある意味、正解なわけだが、獅子が反論していた。
「聞いていたような顔の男はいなかったぞ」
「だったら、顔変えてんのんちゃうん」
「整形か? ……たしか話によると、川田は能力者ではないそうだが。そんな男が居たかな」
獅子は私を見ている。
私は、私が倒されたときの様子を思い出した。
「獅子のこしらえた炎の中に、……次々に投げ込んだ。敵を。だから……わからない」
嘘は言っていない。
山羊が補足する。
「さっき言った女も、牡羊が捕まえてくれたんだが、これも確実に能力者だったし、牡羊がすでに殺した」
蟹が私の目をじっと覗き込みつつ、案ずるように言った。
「喋り方が変だね。大丈夫? 疲労が酷すぎるんじゃないの。魚に頼もうか」
私は頷いた。この疲労状態は辛い。思考するのがやっとだ。
しかし獅子が言った。
「待て牡羊。悪いがこちらの方が限界だ。魚!」
すかさず魚が獅子に走り寄った。
痛いの、痛いの、飛んで行け、などと言いながら、獅子に治癒をほどこしている。
それから前を見ると、蠍が、乙女とかいうやつの耳元に、なにか囁きかけていた。
乙女はずっと震えていたのだが、やがて頷き、眼鏡をかけると、さっと顔をあげた。
「すまない蠍。それで今の話だが、俺の視た限りでは、川田の顔をした男は居なかった。能力を使わない様子の男……というのは、これも俺の視た限りでは居なかった。可能性があるとすれば、今もなお隠れている、空間の隔絶能力者じゃないのか」
有り難いミスリードだ。数人が納得したように頷いている。
水瓶はしかし、唸っていた。
「だとすれば、どうしようもないぞ。隔絶された空間の中の、さらに隔絶された空間に、どうやってアクセスする。可能性があるとすれば射手か。天秤か」
制限を利用すれば簡単なのだが。それを言えないのがもどかしい。
射手と天秤は顔を見合わせている。まず射手が天秤に言った。
「やったことあるか? そんなこと」
天秤は、肩をすくめた。
「あるわけがない。目に見えるものなら、どんなものでもくぐり抜けてみせるけど。無いものをどうやってくぐるんだ」
「俺も、場所さえ分かれば、そこに飛んでやれるけど。その場所がわからないんだろ?」
制限だ、制限。愚かな連中だな。誰も気づかないのか。
この少年の体を乗っ取ったのは失敗だったかもしれない。戦闘能力は魅力的だが、発言ができない。
この中だと、私に合いそうなのは、やはり水瓶だ。知識を言葉にして違和感の無い人物は彼だけだ。
どうやって私を殺させればいい。
牡牛が手をあげている。この男は制限に気づくか?
牡牛もしかし、別のことを言った。
「できないことは無理なんだから、それよりも、捕まえてる連中をどうするか考えないか」
言ってから牡牛は両手を広げ、その間に出現したカラスを抱きとめた。片手で素早く彼の口をふさいでいる。
……本来の歴史においては、カラスは役に立つはずだった。こうなっては無理か。
蠍が立ち上がり、牡牛のそばに歩いていった。そして眠っているカラスの耳元で、なにか囁く。
睡眠を解かれたカラスが目をさまし、自分の状態に気づくと、口をふさいでいる牡牛の手を指さした。
牡牛はみなに目で了解を取る。それから、そっと手をはなす。
カラスはまず「この格好、照れくさいんだけど」と言った。
牡牛はしかし、カラスを抱いたまま放さなかった。
「気にしないでくれ。危険だからこうしてるだけだ。すぐにあなたの口をふさげるように」
「ついでにぼくを彼らから守ってくれてると、解釈して良いかな」
「うん。蠍はあなたをどうとでも操れるし、そうすると言ってくれてるけど、今のところ俺が反対してる」
カラスは、私を見た。
「解けてるの?」
この牡羊は魅了されていたようだが、もう解けているだろう。私はうなずいた。
カラスは残念そうだった。
「けどまあ、この状態では、一人を味方につけたところで、残りの11人に攻撃されるんだろうね」
「捕虜がもう一人居るけど、彼はあまり役に立たないらしいから、味方につけても無駄だと思う」
「しかし、まだ君たちが勝ったわけでもないんだろう。ぼくは川田が怖い。きみたちに協力はしないよ」
「勝つために協力してほしいんだ。もう少しで勝てそうだから」
それはどうかな。
いい加減、この意味の無い会議を終わらせてほしいものだ。危険だが、隔絶空間の解除法を教えてみるか?
そのとき、ガタガタと音がした。
みなの視線がそちらに向く。
ロビーの奥のドアが開き、そこに、わけのわからない男が立っていた。
「聞いたぞ。川田に勝てると言ったな!」
なぜか、うんざりした空気が漂っている。射手ひとりだけが嬉しそうだ。
獅子が黙って、わけのわからない男に指を向けた。
すると男はわめきながらこちらに駆けてきて、テーブルの横に突っ伏した。尻に火がついている。
獅子は火を消すと、男に「立て」と命じた。
男が立ち上がると、獅子は言った。
「いちおう聞くが、孔雀。なぜ貴様、川田に従わなかったんだ?」
わけのわからない男は孔雀というらしい。腕を組み、偉そうに言った。
「知れたこと。正義は悪には屈しない」
「むかし俺を裏切ったのは貴様か」
「馬鹿な。裏切り者は獅子。おまえだ!」
「川田について、なにを知っている」
「女の腐ったようなやつだと聞いている。しかし勝つ方法がわからないのだ」
少しひやりとしたが、まさかこの男が、私の前の正体を知っているとは思えない。
獅子は苦笑している。苦笑しながら言った。
「もう少しだ。本当に、もう少しで勝てそうなんだがな」
彼らは空間の隔絶能力者を、川田だと思い込んでいる。
その能力者を彼らに倒させれば、彼らに勝利の幻想を与えることが出来る。
そうすれば私のチャンスは増える。ゆっくりと水瓶を狙えばいい。
私はなるべく、この牡羊という少年らしい口調で、能力者を倒す方法を教えることにした。
「とりあえずこの世界、ぜんぶ壊しちまえばいいんじゃねえの。……穴でも開くだろ」
空間を構成しているものを、壊せばいいのだ。この家、外の樹木、草、死体の山。まあ大地を壊すのは難しいだろうが、大気を燃焼させることは、彼らになら用意だろう。
世界のかたちを保つものが少なくなれば、隔絶世界には穴が開く。
そうなれば自動的に能力者も終わりだ。空間の安定そのものが、能力者の制限だからだ。
皆は沈黙している。私の言葉を考えるように。
やがて、乙女が言った。
「それさえ聞ければ良い。射手! 魚を連れて草原に飛べ!」
その言葉と同時に、みなが一斉に立ち上がり、私を取り囲んだ。
私は驚いた。
空気は殺気だっている。何故か、どういう理由でか、彼らは私の正体に感づいたらしい。
射手が魚を連れて消えた。草原に向かったのか。かつての私の死体を求めて。