山道からわき道に入り、駐車場に車を止めて、あとは獣道を少し登れば、家の前の原っぱが見えてくる。
そこに、山羊と蠍が立っていた。
蠍はまず俺の魅了を解くと、心配そうな目で「大丈夫か?」と聞いてきた。
俺は、うなずいた。俺は俺の家族を守る。カラスじゃねえ。
天秤が蠍に尋ねた。
「家の様子はどう?」
「色々とあたらしい情報が出てる。山羊が伝えてくれる」
山羊はタイムテーブルの紙を広げると、天秤と俺に見せた。
「俺たちがこうして、本来の歴史と違う行動を色々と取っているにもかかわらず、敵は生真面目に古い歴史どうりの行動を取っている。車で来た四人組がそうだ。これを天秤が倒し、無視される存在だった孔雀を捕獲しても変化は無く、カラスも古い歴史の通りにバイクで山道を走ってきた」
「なぜ敵は行動を変えないんだ?」
「わからん。変えなくてもかまわない、自分たちは勝利するという確信があるんだろうか。……まあともかく、俺が読んだ孔雀の記憶によると、川田たちはたしかに孔雀に接触を図っていたようだが、孔雀は仲間入りを拒否していた。あれはあくまでも孔雀個人の行動だったようだ」
俺の勘が当たったわけだ。よかった。
俺は得意げな目をしていたらしく、天秤は、降参するように両手を上げていた。
「参りました。しかしカラスのほうはどうかな。彼も山羊が読んだの?」
「ああ。俺が読んだ限りでは、カラスは川田に直接会ったことはないようだ。連絡は常に仲間を通してか、メールで来ている。彼には自分の命を守りたいということ以外に目的は無い。昔の牡牛と同じく、脅迫により動いているだけで、望んで戦っているわけでもない」
ってことは、事情さえ話せば、こっちの味方に引き込めるんじゃないか?
いまのところ俺らは連勝してる。このままの調子で川田を叩ければ、カラスが俺らに敵対する理由は無くなる。
「次の予定だと、戦いはこの原っぱだよな」
「だから準備をしていた。獅子がやる」
そのとき俺の鼻に、ある匂いがとどいた。
あたりを見回す。よく見ると、草むらのあちこちに物が置いてある。獅子の武器か。
まもなく家のほうから二人歩いてきた。一人は獅子。一人は蟹。
蟹は俺に走りよってくると、まず俺の目をのぞきこんだ。
それから、にかっと笑った。
「なんか悪いな。おまえばっか動き回らせて」
蟹のやつ、俺を読んで、俺化したらしい。
「なんで蟹が俺になるんだ?」
「最初だけでも、おまえの度胸をもらっておこうと思ってさ。戦うのが楽になりそうだから」
「へえ。蟹も戦うのか」
「おう。俺が居たほうがラクそうなんだ。次の戦い」
そして蠍も、獅子の目を覗き込んでいた。
「……獅子。おまえは強い。おまえは誰よりも強い。当然だな? そんなおまえに、みっともない制限は似合わないと思わないか」
催眠が始まっている。獅子は面白そうに口元を笑ませていた。
「それで?」
「おまえはもう人前で無様をさらすことができなくなる。牡羊が好奇心いっぱいの目でおまえを見ているぞ。その目がある限り、おまえに制限は出ない」
「……なるほど」
「おまえのプライドにかけて牡羊を守ってやれ。それがおまえの強さの証明になる。制限の無い獅子を保証する」
山羊が説明してくれた。蠍の能力は精神に作用する。
しかし獅子の制限は、純粋に神経的なものだ。これは肉体的な制限と、精神的な制限のあいだにある。
だから乙女に対するときみたいに、制限そのものをすべて打ち消すことはできないが、こうやって誤魔化すことは可能らしい。
「牡羊には使えない手だな。催眠で元気なつもりにさせたところで、肉体の疲労が消えるわけじゃない」
山羊はそう結論づけたが、蠍は俺にも催眠をかけてきた。
「冷静に。無茶をするな。疲労しすぎるな」
俺は冷静にならなきゃならない。無茶をしてもいけない。疲労しすぎてはいけない。
……催眠の言葉に差別がある気がしやがる。ずいぶんシンプルじゃねえか。
蠍は次に蟹を見た。しかし蟹があわてて両手でバツを作った。
「いい、いい。俺はこのままで」
「……おまえが何者になろうとも、おまえはおまえだ。おまえが必要とさえすれば、おまえはいつでもおまえに戻れる」
なるほど。蟹の心の中に、リセットスイッチみたいなもんをこしらえたんだ。
蠍は疲れたような様子だった。長く息を吐き、ぼんやりした目で山羊を見る。
山羊は不思議そうに蠍を見返した。
「……ん?」
そういや、山羊って戦うのか?
思った途端だった。蠍は山羊にかきついた。あたまを抱き寄せて、思いっきり口をあわせたのだ。
山羊は当然、焦っていた。
「さそ……、んーっ!」
再びの熱烈なキスとともにドカっと押し倒された山羊は、衣服をまさぐってくる蠍の手に気づくと、引き剥がそうと必死な様子になった。
なんか布っぽいのが破れる音がした。やばい。このままじゃ山羊が手篭めにされる。
俺と天秤はあわてて蠍を引き剥がそうとしたんだが、そしたらなんと、俺ら二人で蠍ひとりに力負けした。逆に腕を引かれて、俺と天秤は山羊の隣りに転がされた。そのまま蠍は、俺ら三人を同時に相手しようとしてきた。
蟹と獅子、ふたりがかりで蠍を押さえにきた。すると今度は蠍は、獅子と蟹に挑みかかっていった。
頭の一部が冷静な俺は、思いついたことを、空に向かってわめいた。
「見てんだろ乙女、なんとかしろ!」
射手が決死の形相で登場した。蠍の腕をつかむと、あっという間に消える。
しーんとなった世界に、俺と、天秤と、山羊と、獅子と、蟹と、五人が立ち尽くしていた。
天秤が咳払いした。
「僕はあっちを手伝ってこようかな。獅子と蟹で駄目だったら、また助けに来るよ」
「いらん」と獅子が言った。「俺ひとりでも良いくらいだ」
山羊が乱れた衣服を直しつつ、暗い表情で言った。
「俺も戻りたいが、残っても良いか」
蠍にロックオンされた恐怖が残っているらしい。ああいうの苦手そうだもんな山羊。
これには獅子もなにも言わなかった。好きにしろってことだろう。
俺も手をあげた。
「残る。どーせ戻ってもやることねえし」
これについては獅子は「そう言うと思っていた」と言って笑った。
それで天秤が家に帰り、俺らは四人になって、敵を待ち受けた。
蟹が腕時計を見ている。
「……3、2、1、時間だ」
俺の覗きこんでいる目の前で、蟹の時計の秒針が止まった。
原っぱを吹き渡っていた風も、止まった。飛んでいた虫が動きを止めた。鳥の声が聞こえなくなった。
水瓶が前もって教えてくれてた。家を含む100メートルくらいの空間がいま、隔絶されたのだ。
俺たちはどこにも逃げられない。能力者を倒さない限りは。
そして敵たちは突然に姿をあらわした。俺たちを囲むように、一人、二人、四人、次々とあらわれる。あらわれては驚いたように、俺たちに目を向ける。
山羊が言った。
「川田がいない」
川田は水瓶と同じくらいの年齢の男。ルックスの特徴も聞いていた。
それらしい男の姿は、無かった。やつら初めて歴史に無い行動を取っている。
獅子が言った。
「かまわん。どうせやることは同じだ」
そして原っぱのあちこちに置かれていた燃料入りのタンクを、いっきに発火させた。
火柱が踊る。煙で視界がふさがれてゆく中、俺の背後で山羊が言った。
「一人、捕まえてくれ。読んでみる」
俺は目についたひとりに能力を放って、手元に引き寄せようとした。
途端にそいつは、俺になにかを投げてきた。
反射的に宙に留めた。よく見るとそれは、ただのビー球だった。
俺は考え、いま捕まえた敵に、そのビー球をぶつけた。
ビー球が敵ごと爆発した。山羊が俺の首根っこをつかんで伏せ、爆風を避けた。
「なんだ今のは?」
俺が尋ねると、山羊は答えた。
「ものを爆発物に変える能力だろうな……。捕まえなくて良かった」
相手の正体もわからんのに、とっ捕まえるのは危険らしい。
蟹を見た。あいつに聞けば、と思ったのだ。
しかし蟹は獅子の横に立って、大声で叫んでいた。
「右! 下! 今どうするか悩んでる。前に来た! いまだ!」
獅子は蟹の言う方向に向かって、炎を走らせている。
目に見えない何かを操る能力者と戦っているようだ。しかし蟹は能力者の方を直接見つつ、相手の心を読んで、武器の位置を獅子に教えているわけだ。
忙しそうなので、俺は家の方向に目を向けた。
獅子がこしらえた炎の壁が、家を円形に取り囲んでいる。
そのまえで右往左往している連中を、俺は片端から炎に放り込んでいった。
一人、妙なのが居た。いくら念を込めても動かないやつが。
よく見ると、それは女の子だった。両足をふんばって、必死で俺の念力に耐えている。
それで俺は、その子の能力を悟った。
「体重を増やしちまうらしい。あの子がいいな」
やたらと力をぶつけても疲労するだけだ。俺はそれを蠍に禁じられている。
目に見える大きさではなく、肌で感じる大きさを捕らえるように、念の込め方を切りかえた。
河原の大岩を持ち上げる要領だ。ぐっと持ち上げ、身近に引き寄せる。
山羊がすかさず相手の手を背中にねじりあげ、地面に伏せさせていた。
女の子は、じたばたと暴れた。
「やめなさい! やめてください!」
山羊は答えず、記憶を読む。
「見た目どおりの可愛らしい子ではないようだぞ。ざっと読んだだけでも、何人も殺している、老若男女問わず」
「川田に会った記憶は?」
「無いな。しかし川田と直属の部下には会ってる。これも、気に入らないからという理由で殺している。彼女は、うまくいったと思っている」
とんでもねえ女だ。
しかし女は俺たちの下で、必死な声をあげていた。
「仕方が無いではないですか! 私たちはそうしなければ、生きていけなかったんですもの! あ、あなたたちと私たち、どこが違うというのです? やっていることは同じです! 非難されるいわれなんてありません!」
生きるために殺める。たしかにそれは同じかもしれねえが。
「俺たちはただ普通に生きたいだけだよ。自分を特別だなんて考えちゃいねえ。できることなら戦いたくもねえんだ。あんたらとは違う。ぜんぜん違う」
中には脅されて仕方なく戦っているやつもいるだろう。そういうやつは、なるべく助けてやりてえけど。
この女は違うようだ。
俺は今はじめて、ちゃんと考えたあとの判断でもって、この女を殺さなきゃならない。
可哀想だが。この子、まだ若い。おれと同じくらいか。……すごく可哀想だが。
山羊の意識が抜けた瞬間、女の子は横に転がり、素早く立ち上がると、俺につかみかかってきた。
俺はただ念を放ち、彼女のスカーフを引っ張った。右と左に。ぐっと、ぐっと締め上げた。
彼女は俺に動きを止められ、立ったまま、自分ののどを掻きむしって苦しんでいた。目に涙がこぼれている。
本当に可哀想で、俺の胸は痛んだ。いやだな、こんなのは。
そして彼女が死んだ瞬間。
俺はたぶん、死んじまったんだと思う。