学校に忘れ物してたんで、休みだけれども取りに行った。
自分の教室に入り、机の中からプリントを取り出し、すぐに帰ろうとしたんだが。
奇妙なことに気づいた。
俺の教室からは旧校舎が見える。そこはもうすぐ取り壊しが決まっているので、立ち入り禁止だ。
なのに、窓に、人影が見えた。
俺は幽霊系の話が苦手だ。しかしこの真っ昼間から幽霊でもないだろうと思い、旧校舎に行ってみたのだ。
そいつは、理科室に居た。俺の知っているやつに、よく似ていた。
よーく似たやつだったが、俺の知っているそいつよりは、かなり若い。俺よりも年下なんじゃないか?
「水瓶かよ!」
若くても、理数系の雰囲気をまとった水瓶は、俺を見て、へんな顔をした。
「なぜぼくの名前を知っている」
「そりゃ、俺がもう、おまえと知り合いだからだろ」
「ぼくはきみを知らない。初対面だと思う。説明してもらわなければ意味が分からない」
「ああ、それもそうか」
こいつは子供のころの水瓶だから、まだ俺を知らなくて、えーと……、ややこしいな。
名を名乗り、趣味とか言って、この学校の生徒であることとか言って、水瓶と家族であることを告げた。
水瓶は、驚いていた。
「いったい何の話だ。ぼくの家族? ぼくには家族なんてものは無いぞ」
そういや、うちの家族には、みんな親がいないんだった。
「だから、将来は出来るんだよ。今げんざいで12人の所帯だぜ」
「将来だって。……ぼくはひょっとして、未来に来ているのか?」
初めてのワープだったらしい。
俺は家族のことと、水瓶の能力を教えてやった。制限も含めて。
水瓶が焦っているのが面白かった。こいつにも、こんなころがあったんだな。
「まあ気にすんなよ。俺でよければ、帰りのキスぐらいしてやるから」
「奇妙な能力だ。それで、この時代のぼくは、きみの弟なのか?」
「いや。今の水瓶は俺より年上だから、俺のほうが弟だよ」
「ぼくはずいぶん未来に来たんだな。当然、きみも何かの能力を使えるわけだね」
「おう。ものを動かせるんだ」
「それは普通だよ。……ああ、ぼくは川田くんのキスでここに来たんだけど、彼にも事情を説明するべきだろうか。きっと、とつぜん消えて驚いている」
俺は驚いた。
「川田ぁ!?」
「知ってるのか。それでは彼は、ひょっとして、家族……」
「んなわけあるか! 川田は敵だ! 俺らあいつにひどい目に会わされてるんだよ!」
それから今までのことを話した。俺が体験したことや、俺が聞いた話を。
水瓶は戸惑っていた。
「どうも、信じられない。彼はそんな人間じゃない。ぼくの友人なんだ」
それから何か、弱ったみたいな目を、俺に向けてきた。
「す、すまないが、ぼくを帰してくれ。川田くんに確認してみるから」
真っ赤な顔してるのが妙にかわいい。俺は了解して、水瓶の唇に、自分のそれをちょんと押し付けてやった。
水瓶の姿がにじみ、消え、古い教室には誰もいなくなった。
俺は帰ろうとした。風景に背を向けようとしたその瞬間、世界がにじんだ。
また水瓶が立っていた。微妙に髪型がかわっていた。顔も少し老けてた。
「やあ、久しぶりだね、牡羊」
10秒ぶりくらいだと思うが。
水瓶は興奮した様子だった。
「やはりきみの勘違いだよ。あれから暇を見ては川田くんと話し合ってるんだ。彼はそんな人間じゃない。だいいち彼は能力者じゃない」
俺は首を横に振った。
「能力者じゃないのは知ってるよ。おまえの時代では川田はいいやつなんだろう。でもって将来、おまえを裏切るんだ」
「馬鹿な! いくら将来の弟といっても、友人への侮辱は許さないぞ」
へえ。いつも飄々としているけれど、実は友達思いなやつなんだな、水瓶って。
なら……、なら、俺は、今ちょっと思いついたことを、水瓶に言えるんじゃねえだろうか。
言っていいのか。言うか? むしろこれは、言うべきなのか。
「あのよ水瓶。俺が怒ってるのは、いまの川田だ。俺は嘘は言ってねえ」
「ぼくだって感情的になっているわけじゃない。客観的に判断しているつもりだ」
「おまえならそうだろうな。ってことはだ。むかしの川田がいいやつなのなら、きっと今の川田に変わっちまうような、なにかの理由があったんだ」
「……」
「おまえ川田と友達なんだったら、そっちの川田をちゃんと守ってやれよ。性格変えちまうような出来事から」
こっちの水瓶が嫌がってる「歴史を変える」ってのは、こういうことなのかもしれない。
けど、俺はためらわねえ。
水瓶が川田ってやつを、いいやつに変えてくれるんなら。それによって、みんなが困らずにすむんだったら。
それによって、俺たちは家族ではなくなっちまうのかもしれねえが……、でも、やるのが正しいと俺は思うんだ。
水瓶は黙って考え込んでいた。それから顔をあげて、俺を睨んだ。
「帰してくれ」
二度目のキスで水瓶は消えた。
俺は、待った。水瓶はたぶんまた来る。また少し年を取って。
予想どうり水瓶は来た。今の水瓶にずいぶん近い老け具合になってた。
そして水瓶の表情は、暗かった。
「久しぶりだな、牡羊」
「俺にとっちゃ10秒ぶりくらいだよ」
「そうか。しかし僕にとっては、本当に久しぶりなんだ」
水瓶はしばらく黙って、辺りの様子を見回した。なにかを懐かしむように。
「この光景も久しぶりだ。古くなってしまった理科室。……今まで気づかなかったが、よく見てみれば、この時代ではもう、使われていないようだな」
「もうすぐ建て替えさ」
「川田がここの生徒だったんだ。僕は別の学校だった。ここには学校どうしの交流でよく訪れていたよ」
「川田になにかあったのか?」
水瓶は苦しそうに「わからない」と言った。
「彼は変わってしまった。まるで別人だ」
「性格を変えるような何かがあったんだろ」
「二十四時間いっしょに居たわけではないが、僕が知る限りは、そんな出来事は無かったと思う。しかし今の彼は、なんというか、きみの言っていた通りのことをしでかしそうな、そんな雰囲気を持っている」
「……」
「彼はきみの言ったとおり、能力者の組織化を計画している。しかしきみの言うような悪どい思想は、いまのところ出てきていない。……どうすればいい。彼を信じていいのか。彼は能力者たちを助けたいと言っている。僕はどうすれば」
「悪どいことをやりそうになった時点で、止めればいいんだ」
簡単な話だと思うが。
能力者が固まってるってこと自体は、俺の今の家族だって同じようなもんだし、それ自体は、悪いことでもなんでもない。
問題は、固まった連中が、やってること、だ。
「ていうか水瓶。おまえ今でも、川田を友達だと思ってんのか?」
「ああ。僕が彼を疑っているのは、きみとの出会いがあったからだ。それがなければ、性格が変わろうが思想が片寄ろうが、僕は川田の友人として、協力できることをしただけだと思う」
「だったらそれでいいじゃねえか。出来ることをやれよ。ひょっとしたら、おまえがそばにいれば、川田だって悪いことはしねえかもしれねえし」
「僕がそばに居れば、か」
「まだやってもいない悪いことで責められんのは、さすがに川田が可哀想な気もするしよ」
ややこしい話だが。なんつーか、俺が将来、水瓶を殴る運命だったとしてもだ。そのことで今の俺が責められたって、俺は困るだろう。
殴らなきゃ問題ないんだったら、殴らせないようにすればいいんだ。
水瓶は納得したようで、俺に礼を言ってきた。
そして俺からのキスで水瓶が消え、それとほぼ同時に、ほぼ現在どうりのルックスの水瓶が、空間の歪みから出現した。
水瓶は、厳しい顔をしていた。
「久しぶりだな牡羊。きみにとっては10秒ぶりくらいか」
1秒ぶりくらいだよ。
いい加減、俺の唇を休ませてもらいてえ気もする。俺だってけっこう照れくさいんだ。
水瓶はしかし、照れなどみじんも感じさせない様子だった。
俺の両肩をつかみ、顔を見据えてきたのだ。
「確認する。きみにとって川田は悪か」
それについては、きっぱりと頷いた。
「ああ。俺の敵だ」
「こちらの僕は川田に背いた。そうだな?」
「そうだよ」
そのときだった。理科室のドアが開いた。
そして俺は、いま教室の真ん中で、目の前から聞いていた声を、ドアの方向からも聞いた。
「きみはきみで、好きな運命を選べば良い」
俺のよく知っている、現在の水瓶がそこに居た。
むかしの水瓶は驚いていた。
「僕、か」
「ああ。僕だ」
「しかしこれは。僕が、僕に会ってしまうのはまずい。歴史に矛盾が生じる。だから牡羊に会いに来たのに」
「問題ない。矛盾をふくめての歴史なんだ」
「……これも定まっていたことなのか? このとき、この場所で、きみがここに来ることも」
「いや」
現在の水瓶は笑う。あっさりと。なんてことないように。
「これは予定に無い歴史だ。きみは僕に会うことなく、過去に帰るはずだった」
そして現在の水瓶は俺に近寄ってきて、いきなり俺を突き倒した。
突き倒されながら俺は、何かの光の筋を見た。光の筋は窓から来て、いままで俺が居た場所を貫き、床に刺さって、そこに小さな黒い穴をあけた。
俺の上に乗ったまま、現在の水瓶は言った。
「結論から言うと、川田の放った刺客が、いま牡羊を狙っている。光線をあやつる能力者だ」
過去の水瓶がつぶやくように言った。
「すべて、本当なのか」
現在の水瓶が答える。
「本当だよ。きみが、今よりもさらに未来のぼくからの伝言を受け、調べあげた不幸な事実は、すべて本当だ」
言いながら水瓶はふところに手を入れた。なにか丸いものを取り出す。
「光線をあやつる能力者の存在を知ってから、彼に対抗する術を考えていた。まあ簡単だった。こうすればいい」
言いながら水瓶は、その丸い鏡をかかげた。
窓から飛んできた光は、入ってきたのときっちり同じ角度で、鏡に反射した。
光線の狙っている位置を知らなければ、できない行動だった。
水瓶は面白がるような目を窓に向けた。
「ちなみに能力者は向かいの校舎に居るんだ。光線は眉間から放たれるらしい。ということで、今あちらの校舎には、頭に穴をあけた男がひとり転がっているはずだ」
過去の水瓶は呆然としていた。
しかし、すぐに、もとの厳しい表情を取り戻すと、俺に言った。
「帰してくれ」
しかし現在の水瓶が先に立ち上がり、過去の水瓶に向かって言った。
「僕で良いだろう。さあ」
手招きされた過去の水瓶は、なんか複雑そうな表情をしつつ、顔を水瓶に差し出した。
そうして現在の水瓶のキスを受け、過去の水瓶は消えた。
現在の水瓶が言う。
「……僕にとっての牡羊は、ずっと長い間、あこがれの未来人だった。こうして同じ時間を過ごしているのは、奇妙な気分だよ」
俺が今ここで体験したばかりのことを、すべて体験してきた水瓶からは、あらゆる過去を飲み込んで、すでに結論を出した人間だけが持てるんだろう、落ち着きみたいなものが感じられた。
そしてそれこそが、俺の知る水瓶だ。
「俺に会ってたこと、なんで隠してたんだ」
「べつに隠してたわけじゃない。どうせいずれは体験する出来事だと知っていたから、あえて先立って言う必要を感じなかった。ちなみに僕の最初のキスは川田だが、その次はきみだ。なので、きみは川田と間接……、どうでもいいか」
「どうでもよくはねえが、そこまで割り切って考えてたんなら、なんでここに来たんだよ」
「きみを救うために。未来を変えるために。きみはここで死ぬ運命だったから」
死にそうなほど驚いた。
さっき水瓶に突き飛ばされたとき、あの光線はたしかに、俺の立ち位置に放たれていた。
ってことはだ。この水瓶は、俺の死んだ未来を、過去に、見ていたのか。
呆然とする俺に、水瓶はやっぱり、世間話みたいに語り続ける。
「なにが起こったのかわからなかった。きみはとつぜん、胸に穴をあけて倒れた。きみは血まみれになりながら僕にキスをくれた。未来を変えてくれとの伝言とともに」
「……」
「だから僕は過去に戻ってから、魚と行動を起こすとともに、光線使いの情報を調べ上げた。そして色々あって、現在に至るわけだが」
「いまのおまえの行動で、俺の死んだ歴史を……、消した?」
「ああ。僕としては、きみを助けたことを後悔してはいない。しかしそのせいで、ここから先の未来は、ぼくにもわからない。ぼくがワープして調べ上げた未来は、君のいない未来ばかりだったから」
「水瓶、いままで言ってたじゃねえか。歴史には干渉したくないって」
「主義としてね。しかし場合による。ただ断りもなく君の運命を変えてしまったことに関しては……すまなかった」
「命を助けられて、文句があるわけねぇだろ!」
ホッとしている水瓶は、本当に変なやつだと思う。
俺は自分の胸に手を当てた。ここに穴があいたのか。血がいっぱい出たのか。そんな俺の存在が有り得たのか。
俺、水瓶に借りができちまった。一生かかっても返せねえほどの。
それを言うと水瓶は首をかしげた。
「さっきも言ったとおり、ここから先の未来は、ぼくにもわからないんだ。きみの幸福は保証できない」
「幸せのために必要なのは、保証じゃなくて努力だろ」
水瓶は黙って考えると、そうだな、と言った。
そうして俺たちは家に帰った。あたらしい時間の中を歩きながら。
※※※
家に帰り着くと、騒動が起きていた。
ドアをくぐると同時に、天秤が天井から落ちてきて、水瓶に言った。
「言われた通りだった。しかし発見のタイミングが少しずれた。すまない」
「双子は無事か?」
「ああ。意識もはっきりしてる」
双子が体じゅうを切ったらしいのだ。自殺のためではなく、能力の発動のために。
鍵をかけた部屋に閉じこもった双子を、天秤が押し入って助けたのだという。
俺たちは双子の部屋に駆け込んだ。
血の匂いがした。床に沢山のタオルが積まれ、それらはたっぷりと流れたらしい血で汚れていた。
体を赤く染めた双子が、ベッドのふちに腰かけていた。俺たちを見て笑う。
「待ってた」
水瓶は頷いた。
「話してくれるか」
「オーケイ。でもみんなを呼んでくれ。みんなに話したい」
「……」
「今さら躊躇するなよ水瓶。これだけのリスクを払ったんだ。リターンは確実に回収しねえと。みんなに話したほうがいい」
しかし天秤が双子に歩み寄り、優しくその体を突いた。
それだけで、双子の体は勢いよくベッドに倒れた。
痛みに呻く双子に、天秤は優しく語りかけた。
「話の前に、治療が要るね。話はそれから」