さいきん俺は、蟹に針と糸を借りて、針穴に糸を通す練習をしていた。能力を使って。
まず糸玉から、糸先を取り出す。
適当に念を込めたら、糸を引っ張りすぎて、糸玉が転がって、あわてて糸玉を引き寄せたら、途中の糸がこんがらがった。
まあ、いい。次に針を持ち上げる。
小さな針穴に糸先を近づける。入らない。先をよじりあわせて、もう一度。……入らない。
何度も、何度も、何度も何度も何度も入れようとして、俺のイライラは頂点に達した。
俺はわめき声をあげながら髪をかきむしり、床をごろごろと転がった。
部屋に射手が出現した。
俺と室内の様子を見ると、針と糸を取り上げ、糸先を舐めて針に通す。
そして「はい」といって、俺にそれを差し出してきた。
俺は首を横に振った。
「違うんだ。それじゃ意味がねえんだ」
「針に糸を通す道具があるんじゃなかったか。ほそい針金でできたやつ」
「いや、縫い物をしたいわけじゃねえんだよ」
「そっか。ん? 牡羊。じゃあ針と糸を使って、他になにをやるんだ」
「だから練習……」
「釣りだろ! 釣りだ! それならまず針を曲げないと」
「やめろ蟹のなんだよそれ! 練習だって! 能力をこまかく使うための!」
射手はやっと納得すると、俺の肩を掴んだ。
「ちょうど良かった。これから獅子を邪魔しに行くんだけど、牡羊も来い」
「獅子もなんか練習してんの?」
「うん。きれいで面白いぜ」
射手は俺の返事を聞かずに、飛んだ。
俺たちは、家の近くにある湖のそばに移動していた。
離れたところに獅子が立っていた。じっと湖面を見つめている。
やがて獅子が手の平を突き出すと、湖面に炎が走った。直線に、長く。
すぐに炎は消え、続いて水蒸気がふわっとあがる。
射手はふたたび俺を連れてジャンプし、獅子のかたわらに立った。
「獅子。邪魔しに来た」
射手が言うと、獅子は横目で俺らを見た後、ふたたび数本の炎を湖面に走らせた。
たしかに綺麗だった。青い湖の上に描かれる、放射線状の火模様。続いてわきあがる水蒸気の雲。
なるほど、水に火を放てば、簡単に消火できるから、残り火のことを考えずにすむんだ。
獅子はやっと俺たちを正面から見た。
「邪魔だ」
「だから邪魔しにきたんだって。はい忘れ物」
射手は鎮痛剤のビンを差し出した。
獅子は無言で受け取ると、中身を手のひらにあけて飲んでいた。
俺は湖面を見た。水蒸気が晴れて、水面には空が映りこんでいる。
そしてその水面の、雲の影のあたりに、なにかが浮かんでいる。
念じて持ち上げ、手元に引き寄せてみると、それは魚のマスだった。
「みごとに茹で上がってるぜ」
そう言うと、射手は大笑いした。
「いいな獅子。持ち芸が増えたぞ。茹で釣り」
「ふん。塩も無いのに食えるのか?」
「あっそうか。じゃあ持って帰ろう。獅子、あと11匹釣れよ」
それから俺たちは、湖面に魚の影を探すのに夢中になった。
俺は探しながら考えた。
獅子の力は、コントロールが難しい。炎ってのは、勝手に燃え広がっていくものだから。
だから最初の発火が小さくても、しまいには沢山の量の炎を、いっきに操作しなきゃならない。
俺は焼かれた二匹目を引き寄せると、獅子に尋ねた。
「ばーっと発火するだけだと、そんなに痛くはならねえの?」
「鈍痛、という程度だな。背骨がきしむような」
「それだって痛いには違いねえんだろ。大丈夫かよ」
「痛みでは死なん。気力で押さえれば問題無い」
さらに何かを尋ねようとしたとき、俺たちは、笑い声を聞いた。
湖面を吹きわたる哄笑。俺たちは辺りを見回し、背後を振り返った。
……俺は何を見つけちまったんだろう。
高い木が生えていて、その木のてっぺんに、へんなやつが立っていた。
真っ赤なボディースーツ。仮面。肩からかけた白いギター。青いスカーフが風になびいている。
射手を見ると、目が輝いていた。
獅子を見ると、なんか嫌そうな顔をしていた。
俺は獅子のほうに尋ねた。
「なんだありゃ?」
獅子はやっぱり嫌そうに答えた。
「孔雀という。むかしのグループの仲間だ。俺が今の家族に参加する前の」
そりゃ初耳だ。獅子はむかし、川田ん所でもうちでもない、第三のグループに居たのか。
射手が移動した。高い木のてっぺん。ヒーロー風な孔雀の横に。
「なあ! おまえ何やってんだ?」
とつぜん現れた射手の大声にびっくりした孔雀は、あわてた拍子にバランスをくずし、木から落ちた。
俺は反射的に孔雀を止めた。
空中で、孔雀はバタバタと手足を動かした。もがきながら俺に言った。
「バカモノ! 余計なことをするな!」
俺はきょとんとした。
横で獅子が溜息をついていた。
「牡羊。いいから放っておけ」
孔雀がわめく。
「聞こえたぞ獅子! 馬鹿とはなんだ馬鹿とは! 馬鹿はおまえだバーカこの悪人め!
いますぐ私を木の上に戻せ!」
とりあえず俺は、言われたとおりに、馬鹿を木の上に戻しておいた。
射手は枝のひとつにぶら下がったまま、木の上に戻される孔雀を待ち受けていて、こんなことを聞いていた。
「それで、おまえ誰?」
孔雀は「よくぞ聞いてくれた!」と叫ぶと、両手を体の前で交差させ、なんかのポーズを取った。
「私の名は孔雀! ヒーロー孔雀! 世界の平和を守るため、悪人獅子を成敗しにきた!」
おれガキのころ、こういうのが好きだった。黄道戦隊ゾディアックとか。
いつかヒーローになりたいとも思っていた。
だからこのシチュエーションには違和感を覚えた。
「獅子が悪党? んじゃ俺は悪党の仲間か。成敗される立場かよ」
「そこの少年! それは違う。獅子は裏切り者ゆえ悪人なのだ。我々のグループを裏切って逃走した」
そう……なのか?
しかし獅子はムっとしていた。腕組みをし、顔をあげ、大声で孔雀を怒鳴りつける。
「馬鹿が! 逃げたりなどするか! 俺がグループを抜けたのは、おまえが馬鹿だからだ!」
孔雀は明らかにびくっとしていた。しかしそれを隠すかのように、腰に手を当てて胸を張った。
「ふ、ふん。言い訳とは見苦しい。待っていろ。……とおっ!」
孔雀は飛んだ。射手のような空間移動ではなく、ちゃんと飛んだのだ。両手を広げ、空中を移動し、俺たちの頭上に飛んできた。
空中浮遊。それがこいつの能力か。
見上げていると、孔雀は得意げになった。
「これで筋書き通りだ。私は格好よく貴様らの頭上に飛来する。そして攻撃」
孔雀はギターの穴に手を突っ込むと、ビンを取り出し、それを次々に投げてきた。
俺たちは飛びのいた。落下したそれは地面に落ちて割れた。しゅっと音を立てて草が溶けた。
酸?
俺はあわてて念を放ち、落下物を宙に押し留めた。
孔雀が、俺を睨んだ。
「少年! 一対一の勝負に手を出すとは、卑怯だぞ!」
なにを言いやがる、この自然破壊野郎。俺のあこがれを勝手に気取って、へんな攻撃しやがって。
しかし獅子も、俺にこう言った。
「手を出すな、牡羊」
そして獅子は空を見上げた。
空中のビンは、手前のものから次々と爆発していった。そして最後に、孔雀が発火した。
燃えながら孔雀は飛び、湖の中に飛び込んだ。
そしてふたたび飛び上がってくると、また得意げになった。
「はっはっは! 水のそばでは貴様の攻撃も効かんぞ。これで私の……あちちち!」
またふたたび発火した孔雀は湖に飛び込み、頭をちりちりパーマにして上がってきた。
「卑怯だぞ獅子! まだセリフの途中……あちちちち!」
発火した孔雀は湖に飛び込み、今度は上がってこなかった。
俺は心配した。ギターの中身を。酸って水の中で、ちゃんと分解するんだろうか?
獅子は湖面を見つめている。浮いてくる孔雀でもって、炎のもぐら叩きをやるつもりなんだろう。
孔雀が上がってきた。今度の動きは素早かった。さっと飛翔して森側に移動し、木々の中に隠れてしまう。
獅子はゆっくりと歩き出した。森の中に入ってゆく。
俺は数メートル離れて後を追った。
木々の中はうすぐらく、草深かった。
しばらく歩くとまた、孔雀の笑い声が木々にこだました。
「はっはっは! かかったな獅子。私の姿が見えねば攻撃できまい!」
それはそうだろう。姿を隠す戦法ってのは厄介だ。俺はそれで昔、痛い目を見ている。
獅子は声に耳を澄ましつつ、呆れた声を出した。
「それは卑怯とは言わんのか?」
「卑怯ではなく作戦だ! ちなみにこの森には罠がいっぱい仕掛けてある。覚悟しろ」
どう考えても卑怯じゃねえか。
獅子は黙って足元を見つめている。
俺もつられてそこを見た。たしかに奇妙なスペースがあった。草が不自然に抜けている場所があるのだ。
獅子が俺に言った。
「このあたりに石を置け」
俺は辺りを見回した。頭くらいのサイズの石を見つけたので、能力で浮かせて、指示された場所におろした。
落とし穴が石を呑みこんだ。結構なサイズの落とし穴だった。
獅子は続いて辺りを見回すと、手をあげ、木々の間に張られたツタを指した。
ツタは発火して焼き切れた。同時に、巨大な木の振り子がぶんと降りてきて、獅子の目前で揺れた。
続いて獅子は考えると、指を眉間にあてて、念じた。
同時に、矢が飛来した。しかし獅子の体に届く前に、燃え上がって灰になった。
矢が飛来した方向に獅子は目を向けた。そして足元に炎をたてると、目前の方向へと、いっきに燃え広がらせていった。
あっという間に火事になった。範囲と方向が定まった奇妙な山火事は、木の間に隠れていた孔雀をいぶり出したのだ。
空を飛ぶ孔雀は、発火していた。発火しながらふたたび湖の方向に飛んでいく。
獅子は炎の方向を手前に変え、すでにすべてが燃えてしまった箇所に炎を集め、消火していた。
獅子がつぶやく。
「面倒だな」
言いながらすたすたと湖に戻っていく。
俺はやっぱり獅子の後に続きながら、感心していた。あのヒーロー気取りは馬鹿にしか見えないが、悪役の方は格好いいじゃねえか、と。
湖のふちに射手が立っていた。俺たちに気づくと、黙って湖面を指差す。
遠く離れた水の上に、孔雀の頭が浮いていた。
孔雀は泣きそうな顔をしながら、笑っていた。
「さすがは我が宿敵。私のすぐれた作戦を打ち破るとは! しかしそれもここまで。私の完ぺきな防御を破れるかな?」
そして口に竹筒を咥えると、すっと水に沈んだ。
俺はもうなんか、情けなくなった。
「なあ獅子。俺がガキのころ憧れた、大好きだったものって、あんなに馬鹿くせえものだったのか?」
獅子は考えると、首を横に振った。
「それは違う。あんなものと、それを同じにするな」
「ってことは、おまえも好きだったのか」
「ああ」
獅子は当然、水面に突き出た竹筒に火をつけた。
孔雀はもがきながら浮上し、げほげほ言ってた。
俺はもう孔雀が哀れになってきたので、孔雀の姿を空中に固定し、俺たちの手前まで引き寄せると、手足を大の字に引き伸ばした。
俺は獅子をみつめた。視線には、もうラクにしてやれ、という意味を込めたつもりだ。
そして、獅子の全身全霊を込めたアッパーパンチをアゴに受けて、孔雀は泡をふいて気絶した。
射手が拍手した。
「すげえ。いいコンビだなーおまえら。格好いいなあ」
俺は悲しい気持ちで射手に問い返した。
「おまえ何も感じねえ? こいつを見て」
「哀れなくらい馬鹿で、可愛いと思うぜ。悪いやつじゃないんだろ?」
最後の問いは、獅子に向けられていた。
獅子は、うなずいた。
「悪くはない。馬鹿なだけだ」
「獅子はなんだって過剰だから、好かれるときも過剰だし、好かれすぎて恨まれるときも過剰なんだよ」
まえに獅子は、射手を欠落していると言っていた。
そして射手に言わせりゃ、獅子は過剰なのか。
「どうするよこいつ。放っておいていいのか? 生きてる限り獅子を狙ってくる気がするけど」
「かまわん」と獅子が言った。「そのたびに灸をすえてやればいい」
というわけで、孔雀を放っておいて、三人で家に帰った。
すると家では、皆が待ち構えていた。
部屋から消えた俺を心配した山羊が、俺が置いていった針と糸から、俺たちの行動を読んだらしいのだ。
それに従って乙女が、俺たちの今までの居場所を視ていたみたいだ。不安いっぱいの目で。
そして蟹が獅子の心を読んで、「貴様、やせ我慢をしているが、本当は今、相当に痛いのだろう」と獅子風に言った。
俺はぜんぜん気づいてなかった。蠍が獅子を眠らせ、魚が射手の麻痺を治し、ひとり無事な俺は、残りの面子に詳細を説明した。
説明しながら俺は、孔雀の気持ちが、ちょっと分かるような気がしてた。
偉そうで、たまにムカつくが、獅子はたしかに見ていて、男として憧れるようなところがある。
その憧れが自分を捨てたって事実は、そりゃあ辛いだろうなあと思うんだ。
俺はあの特撮番組が大好きで、出来ることなら、永遠に見ていたかったもんな。