ここはいったい、どこなんだ。
この建物は山の中にあるらしい。窓から外を見ても木しか見えない。玄関を出ると原っぱが有ったが、その彼方に見えるのはやはり山だった。
外に出ても迷いそうだったから、脱出するのはやめた。
腹も据わってきた。とことんつきあってやろうという気になったのだ。このおかしな出来事に。
ロビーで椅子に腰かけて、この結論に闘志を燃やしていると、足音が聞こえた。
二階の廊下を誰かが歩いていた。階段を降りてくる。
俺は相当に身構えていたらしい。ロビーにあらわれるなりそいつは、へんな顔をした。
「なんで睨むんだよ。俺おまえになんかしたっけ。初対面だよな?」
ああ、やっとマトモに、他人として、はじめての会話をしてもらえた気がする。
深い安堵感を感じている俺に、そいつは言った。
「つまり、「最高にワケわかんなくてグッタリしてました。もうボクをいじめないで」ってカンジ?」
「あー。そんなところっス」
「ははっ。こんなんでビビってたら駄目だ。これからもっと酷いことになるんだから、身がもたねぇぞ」
これ以上なにが起こるというんだ!?
そいつは自分を双子と名乗った。俺の名前はやっぱり知ってた。俺の能力についてはこう言った。
「おまえの力も知ってる。いい能力じゃん。漫画みたいで」
「なんでみんな俺の名前とか、あんな力を持ってたこととか、知ってるんだよ」
「俺が読んだからさ。未来を」
「……マジで?」
「未来予知。プレコグニションともいう。いいだろ。便利だぜ」
この言葉が本当であることを、どーやって確かめたらいいんだろ。
「今年の野球はどこが勝つんだ?」
双子から、とあるチーム名を聞きつつ、俺は首をひねった。勝つか? あそこが? 俺の予想は違うんだけど。
双子はニヤニヤしながら、俺の顔に顔を近づけてきた。
「信用できないなら証明してやるよ。ちょうど近い未来を読んできたところだ。もうすぐこの居間に、一人の男が入ってくる」
低くささやくような声。楽しそうな、愉快そうな、けどなんか……不謹慎な感じのする響き。
俺は眉をしかめたが、双子は面白がるような目つきのままだった。
「その男の名前は天秤。いままで戦ってた。天秤は勝ってる。天秤のからだには傷ひとつ無ぇけど、相手は血まみれ」
「……」
「天秤はいま、家の前に居る。表情は険しい。だけどつくり笑顔をこしらえて、なんてことのない様子を取り戻そうとしてる。そして決意して歩き出す。いま帰ってきた。部屋に入ってきた。おかえり天秤」
双子は下を見た。つられて俺も下を見た。
俺の、足と足のあいだの床から、手が生えていた。
俺は絶叫しつつ椅子ごとひっくり返った。
外せない視線の先で、手は床をさぐり、手のひらをつくと、プールからあがるみたいに、ずるっと体を持ち上げた。
そして俺の前には、降ってわいたように……というか上がってわいたように、全裸の男が立ったのだった。
双子がゲラゲラ笑っていた。
「劇的な登場になっちまったなあ。残念。誰にも見られずに部屋には帰れないぜ」
天秤とかいうらしいやつは、一瞬、険しい顔を見せて、すぐに綺麗にほほえんだ。
「そうみたいだね。困った。双子、誰かに告げ口するかい?」
「しねえよ。する必要がないから。もうすぐ水瓶も来るし」
「ああ、彼なら大丈夫かな。蟹や乙女あたりに見られたら怒られるところだった。……ところできみ大丈夫?」
いやそんな、そんな格好で、親しげな笑みを投げかけられても。
……やっぱり俺の名前は知ってるんだろうな。
自己紹介を省略して、俺は尋ねた。
「床から生えるのがあんたの能力か?」
「いや、地面の下を移動して来たんだよ。こんな格好だし」
「マッパにならないと潜れねぇの?」
「うん。これがぼくの能力であると同時に、制限。……ああ、水瓶が来たね」
尻もちをついたままの俺と、天秤のあいだの空間が、奇妙に歪んだ。
目に油でも入ったような感じだった。手で目をこすり、その手を下ろすと、俺の目の前には、またまた別のやつが立ってた。
いかにも理数系な雰囲気のその男は、俺を見た。じっと、じっと。
そして双子を見て、天秤を見ると、眠そうにあくびをした。
でもって去っていこうとした。
双子があわてて止めていた。
「そんな自己紹介があるかよ水瓶。牡羊困ってんじゃん」
「しかし、僕はもう、彼を知っている」
「こいつはおまえを知らないの。初対面なの。説明してもらわなきゃ意味わかんないの」
「ああ。それもそうか」
水瓶はくるっと俺を振り返った。
「僕は水瓶だ。趣味は読書。仕事は特に無いが特許収入で生活している。好きな食べ物は無い。ていうか食べることにあまり興味が無い。スポーツもよくわからない。芸能は嫌いだ。能力はタイムワープ。制限はワープのきっかけに条件が必要であること。他になにか聞きたいことは?」
こんな説明を受けて、なにを聞けというんだ。
俺の沈黙を水瓶は返事と受け取ったらしく、頭を下げて言った。
「よろしく。あと向こうではキスをありがとう。じゃあ」
なにを言いやがったこの野郎!?
猛然と立ち上がろうとする俺を双子が止め、去ろうとする水瓶は天秤が止めていた。
水瓶は面倒くさそうに頭をかきながら、また俺を振りかえった。
「言い忘れていたがキスが能力発動の条件なんだ。するのではなく、してもらわなければ駄目だ。歴史に干渉するのは僕の主義に反するんだが、仕方が無かった。すまなかった」
「日本語喋れよテメー」
「具体的に言うと、事情があって過去に行っていたんだが、そこで子供のきみに出会った」
……そのとき俺の脳裏に、ある光景が浮かび上がった。
ガキのころ。暑い夏の昼下がり。公園。ベンチに腰かけてアイス食ってる兄ちゃん。
「僕はこの双子や天秤と違って、誘惑のための交渉というやつが苦手で……」
兄ちゃんが羨ましかった。なにせ暑かった。それに、うすいビスケットにアイスを挟んだそれは、高級品だった。
「成人女子にキスをねだるのは問題だが、まあ子供だし、男の子だから良いかと。そしてふだん魚を見ているから、子供にはおやつが……」
――にーちゃんいいな。それうまそうだな。
――いいよ、あげるよ。……ぼくが口にくわえてるやつなら。
俺はコノヤローとわめきつつ水瓶に殴りかかった。俺にはその権利があった。俺の人生最初のキスは、文字通り大人の都合で奪われていたわけだ。俺には怒る権利があった。周囲の家具も俺に答えてくれた。
舞い飛ぶ家具の中を、天秤がすいすいと移動していくのが見えた。双子が部屋のすみでゲラ笑いしてた。