星座で801ログ保管庫出張所

超能力SS 2

 あーだるい。だるいけど、眠っているわけでも、起きているわけでもないみたいだ。
 意識がぼうっとして、溶けたみたいになって、急にはっきりして、また消える。
 その繰り返しの中に、俺は誰かの顔を見た。
 大人の顔だった。優しそうな目をしていた。そいつが俺にこう言った。
「大丈夫だからね。すぐに治してあげる」
 冷たく心地よい良い手が、俺のひたいに触れる。続いて頬に。首、肩、胸、腹。
 あんまり気持ちよくて、俺はぐっすり眠ってしまった。
 そして目覚めると、知らない天井が見えた。
 あわてて身を起こす。俺は俺のものじゃないベッドに寝ていた。
 あたりを見回すと、そばに椅子があって、そこに、夢うつつに見たあの、優しそうな男が座っていたのだ。
 なんとなく助けられたんだってわかった。だから俺は礼を言おうとした。
 しかし男のほうが先に、大人の顔のまま、俺に話しかけてきたのだ。
「ねーねーねー、ぼくえらい? ぼくえらいでしょ」
 礼を言おうとした口が固まっちまった。
 男はニコニコしながら、椅子の下の足をばたばたと振った。
「治ったでしょ? ちゃんと治ったでしょ。痛くないでしょ」
 俺はびっくりしながら、やっと、言った。
「い、痛く、ない……」
「やったあ。ぼくえらい。ちゃんとお医者さんしたよ」
 ぱちぱちと拍手。そして抱きついてきた。
 なんだこりゃ。
 へどもどしていると、部屋のドアが開いた。
 入ってきた男は、俺と、この変なのを見ると、あわてて近寄ってきた。
「魚、魚! 病気の人に抱きついちゃ駄目だよ」
「病気じゃないもん。ぼく治したもん」
「うん、魚はちゃんとお医者さんできたんだね、えらい、えらい」
 頭を撫でられて、魚と呼ばれた変なのはキャッキャッと喜ぶ。
 どうやら頭がおかしいらしい。
 で、今登場した、頭がおかしくないほうの男が、ドアを指しながらこう言った。
「ではお医者さんにご褒美です。台所に、僕の作ったカップケーキがあるから、行って食べてきましょう」
「はぁい。やったあ。ぼく蟹のおかしだいすき」
 魚は椅子から跳ねるように下りると、ばたばたと部屋を駆け出て行った。
 残されたほうは(蟹というのか?)、魚の背中を見送ったあと、はあっと息をついた。
「わりと知能が残されてるってことは、きみのそれは、そう複雑な制限でもなかったんだ。たぶん単純な疲労だよ」
 また出たぞ。意味不明のセリフ。
 うんざりしている俺に蟹は微笑みかける。
「良かったね。ただの疲労なら、魚が完璧に治してくれたと思うから」
「お医者さんには見えなかったぜ……」
「だけど魚の能力はお医者さんよりも凄い。そのかわりに、ああいう制限が出てしまうわけだけど」
「制限ってなんだよ」
 俺は単純に聞いただけなんだが、蟹は目を丸くしていた。
「獅子はきみに何も説明しなかったのか?」
「いきなり燃やされた」
「ええっ!?」
「あいつ、俺をいきなり燃やして、すっごく嬉しそうだった」
 蟹はぐったりとして、ベッドのふちに手を置きつつ、言った。
「その……、彼は悪い人じゃないんだよ。あれでも普通の人間なんだ。火を使えるってだけで」
「普通の人間は、いきなり俺を燃やさねえだろ」
「ううん、そうなんだけど、彼はあの能力と引き換えに、「痛み」という制限を持ってる」
 だから制限ってなんだ。何回も聞いた言葉だ。
 俺は黙って、蟹の言葉の続きを待った。
 蟹はうなずいて、説明を始めた。
「獅子は火を使ったあと、体にひどい痛みが発生するんだ。使った能力の量にもよるけど、きみをここに連れてきたあとも、部屋に閉じこもって暴れていたから、たぶん相当な力を使ったんだろうねえ。
 あと、射手にも会ったよね? 射手は空間を飛び越えて移動する能力を持っているんだけど、そのかわりに肉体の麻痺という制限を持ってる。能力の使い方によって、麻痺の箇所や時間が変化するらしい。
 こんなふうに僕らは制限を持ってるから、力におぼれたりせずに、ふつうの人間として生活しなければならないんだ。これは大切なことだよ。だからきみも、能力を持っているからといって、やたらと力を振り回してはいけないよ」
 俺はなんとなく、ヒビが入ってると知らずに振った野球のバットが、まっぷたつに折れたときのことを思い出していた。
「力を振り回す前に教えて欲しかったなあ、それ」
「そうだねえ。まあ、獅子に射手じゃあねえ……。説明なんてするはずがないか」
「しろよ! すげえ怖かったよ! 死ぬかと思ったよ!」
「気の毒に。ああ、あと、さっきの魚もそうなんだ。彼はヒーラーなんだけど、能力を使ったあとは、持っている年齢を失ってしまう。ひどいときには赤ちゃんになっちゃう。でも普段はふつうの大人の人なんだよ」
 耳の中に声がよみがえる。大丈夫だからね。すぐに治してあげる……。
 すごく落ち着いた、大人の男の声だったと思う。
「俺に力を使ったから、ガキになっちまったのか」
「うん。そしてきみの制限は『疲労』みたいだね」
「よくわかんね。で、あんたも能力者?」
「もちろん。だけど、やたらと使っちゃいけない力なんだ。いまきみに見せるわけにはいかない」
「なんで」
「信用を失うからさ。きみはこれから、僕の家族になるかもしれない人なわけだから。嫌われたくないんだよ」
 なんて言った? 聞きなれない単語を聞いたような。
「家族?」
「まあ、すぐに結論を出せとは言わないから、とりあえずゆっくり休んでなよ。まだ洗った制服も乾いてないし」
 言われて身をさぐると、俺は俺のものじゃない服を着ていた。
 蟹はベッドを離れながら、ついでのように言った。
「僕は仕事に戻るね。牡羊も退屈なら、建物の中だったら自由に歩いてもらってかまわない。だけど勝手に逃げ出そうとは思わないこと。……無駄だから」
 最後の一言が、やけに強く聞こえた。
 しかし蟹は、キツさなど微塵も感じさせない、人の良さそうな笑顔を浮かべたまま、部屋を出て行った。
 俺は助けられたんじゃなくて、捕まった、のか?

 ※※※

 しかし出歩いても良いと言ったのはむこうだ。
 遠慮なく出歩こうじゃねえの。出歩きついでが遠出になっちまうかもしれないけど、それは逃げ出したことになるのかもしれないけれど、仕方が無いよな?
 スリッパを履いてドアに向かう。ノブをねじって引く。
 そして外に出てみると、そこは廊下だった。
 ここは2階らしい。ぐるっと円形に廊下がつながっていて、廊下の片側は手すりになってる。
 手すりの向こうには一階の、やたらと広いロビーが見える。ロビーにはテーブルと椅子がある。椅子の数が多い。
 あちこちに花や絵が飾ってある。花も絵も、種類は様々だ。どちらも俺には名前がわからない。
 一階に下りる階段を探して歩いていると、廊下に面した沢山のドアのひとつが、ふいに開いた。
 黒い服を着た男が、ドアの隙間から、こちらを覗いていた。
 俺は立ち止まったまま、なにを言っていいのかもわからなかったので、ちょっと頭を下げた。
 男は、小さな声で言った。
「……牡羊?」
 なんで出会うやつ出会うやつ、初対面なのに、俺の名前を知ってるんだろう?
 疑問には思ったけど、相手は年上っぽかったので、またちょっと頭を下げた。
 すると男は目を細めて、なんか怪しい雰囲気を出しながら、唇を開いて、俺に……、
「おいで」
 俺に、俺は、俺はこの男のところへ行かなければならない。
 手招きに従って俺は歩く。この知らない男のところへ。
 男は俺を部屋に招きいれた。部屋の内装はなんか、石油の出る国っぽいかんじで、線香みたいなモンの匂いがした。
 俺は来た。来たけれど、どうすればいい?
 声が俺に囁く。
「俺は蠍。呼んで」
「……蠍」
「もっと」
「蠍。蠍。蠍」
「おまえは俺が好きだ」
「俺、あんたが好きみたいだ」
「抱け」
 俺は蠍をギュウ抱きした。なんで? なんでって、俺はこいつが好きだから……。
 頭の中で警報が鳴る。でもなぜだかわからない。
 蠍は、腕の中で微笑んでいる。
「キス」
 唇をくっつけた……が。ものすげえ恥ずかしい!
 ばっと顔を離してわめいた。
「駄目だ! 好きだからってそんな」
「いいんだ」
「……いい気がしてきた」
「口ひらけ。……そんなに大きくしない。少しだけ。……そう。舌先を少し出す」
 言われたとおりにした俺の口に、蠍が唇を重ねてきた。
 ああ……舌って、食ったり喋ったりするためだけに有るんじゃなかったんだな。
 どろっどろに絡めるためにもあったんだ。柔らかくてぬるぬるしたものを、激しくくっつきあわせるためにあったんだ。
 気持ちよくて、すごく気持ちよくて、頭がぼうっとしてきた。
 その、ぼうっとした頭に、蠍の声だけが響いている。
 ――脱げ。脱がせろ。寝ろ。触れ。ここ。ちがう、ここ。――
 俺は彼を綺麗だと思っている。言われたとおりに舐めて噛んで吸って、好きでたまらないものをむさぼっている。
 彼の、細いからだが好きだ。しっとりした皮膚が好きだ。小さい乳首が好きだ。
 へそも、尻も、……なんか絶対に触ったりしゃぶったりしたくないはずの男のアレも、好き。すげえ好き。
 だけど俺は男の抱き方なんか知らないから、蠍は俺を上向きに寝かせて、俺の腰の上に乗っかって、自分で挿れた。
 そして蠍の声が命じる。
「感じろ」
「……ッ!」
「もっと。もっと感じられる。牡羊はいま気持ちいい。感じろ」
 感じる。蠍を感じる。俺の弱いところは今、蠍の腹に飲まれて、蠍のすべてに包まれている。
 達することは禁じられて、感じることは強要されて、俺は夢中で腰を使いながら、その終わらない、終われない快楽に狂った。
 射精の瞬間まで蠍が決めた。
「イけ。そして……すべて忘れろ」
 気が狂いそうな絶頂感。俺は叫んだ。そして叫んだあと俺は、廊下に立っていた。
 ここは2階らしい。ぐるっと円形に廊下がつながっていて、廊下の片側は手すりになってる。
 俺の目の前には男が立っている。誰だっけ? 名前はたしか。
「蠍?」
 蠍はなぜか、意外そうに眉をあげた。
「なぜ知っている」
「へ?」
 そういや、なんでだろ。初めて会ったのに。
 あとそれから、なんでこう、腰が痛いんだろ。背骨も痛い。なんかあちこち痛い。
「あのう、蠍、さん」
「……」
「俺、制限ってやつのせいで、すげえ疲れてるっぽいです」
「……ああ」
「あんたも能力使いっすか?」
「暗示。催眠。制限は発情」
 は、発情!?
 驚きが顔に出てたらしく、蠍は恥ずかしそうにそっと目を反らした。
「さっき獅子を眠らせてきた」
「……はぁ」
「だから、制限が出てた。すまない」
「……?」
「一回への階段は、北の奥。エッシャーの絵の横」
「あ……」
 ありがとうを言う前に、蠍はそばのドアをあけて、入って行ってしまった。
 なんだろう。なにか変な気がする。なにか大切なことを言わなければならないのに、忘れてるみたいな。
 あと、なんで蠍は、俺が一階に行きたがってるって知ってたんだろう。
 そのあと建物じゅうをぐるぐる歩き回り、俺は、ひとつの結論を出した。