星座で801ログ保管庫出張所

地球最後の…82

「寂しくなるな」
 と、牡牛は言った。
 その感傷的なセリフに対して、残りの11人は、笑った。
 卒業式が終わったあと、みなは高揚した様子で雑談に興じていた。式では誰が泣いていたか。母親に顔がソックリだったのは誰か。誰が誰にボタンをねだられたか。どうでもいい話もこれで最後だという事実が、皆をその無意味な行為にのめり込ませていた。そんな雰囲気の中で、牡牛の様子は少し浮いていた。
 奇妙に暗い牡牛を、牡羊が慰めた。
「ンな世界が終わったみたいな顔すんなよ。一生会えなくなるわけでもねぇんだから」
 双子が「そうそう」と続けた。
「素直にこの開放感を楽しもうぜ。ってなわけで、このあとカラオケ行かないか?」
 すると天秤が手を上げ、すまなさそうに言う。
「僕は無理だ。駅に用事があって」
 山羊も頭を下げた。
「すまん。俺も駅に親を待たせてるんだ」
 射手が机を叩いた。
「そりゃまずい。天秤が来るなら来ると言ってる女の子が五人もいるんだ。あと図書委員さんは駅にカレシを待たせてるんだ」
 天秤と、なぜかがく然としている山羊に、蟹が声をかけていた。
「どうせみんな夜までさわいでるから、用事が終わったら顔を出してよ。ああ、獅子、きみも来るよね?」
 獅子は窓から教室に視線を戻すと、頷いた。
「行ってやる。俺にとっちゃ遊びおさめだ。これからは忙しくなるしな」
 そんな獅子を、乙女が複雑そうな目で見ていた。
「進学すれば良かったんだ。そんなに急いで道を決めなくても。――逆に水瓶は躊躇しすぎだ。なんで進路を決めなかったんだ」
 水瓶は本から顔をあげずに言った。
「決めたよ。進路を決めないことを決めた」
 その水瓶の本を、魚が取り上げた。
「もう! 水瓶はずるいよ! なんでも出来るのに、なんにもしないなんてさあ!」
 牡牛は奇妙な胸のうずきを感じながら、笑った。楽しいクラスだと思ったのだ。別れるのが寂しくなるのも、当然だと思えるくらいに。
 そんな牡牛に、蠍が声をかけてきた。
「牡牛は行くのか?」
 牡牛は蠍を向き、腕を組んだ。
「悩むな。俺は家が遠いだろう。行ってもすぐに帰らなきゃならない」
「帰らなければいい。俺は帰らない」
 牡牛は驚いたが、すぐに納得した。彼は蠍の家の複雑な事情を知っていたのだ。だから声をひそめて、蠍に尋ねた。
「どうするんだ」
「わからない。電話で、こういう事を相談できる番号があるらしいから、そこにかけてみる」
「よく決心したな」
「うん」
「とりあえず今夜はうちに来い。カラオケも行こう。あと別のやつにも相談してみればどうだ?」
「……」
「いろんなアイデアが貰えると思うぞ。俺も手伝ってやる」
「牡牛がそう言うんだったら、そうする」
 牡牛は蠍の背中を二、三度叩いてやった。安心させるためと、決意を応援する意味で。
 蠍は、妙に照れた顔をした。



 それから牡牛は、それなりの人生を歩んだ。彼は家を手伝いながら、余った時間で様々な挑戦をした。インターネットで野菜を売れないかとか、道の駅の直売所のようなところを都心部に作れないかとか、思いついては実行し、ほとんどのことは失敗し、ほんのたまに成功した。20代はそうして行動的に過ごしたが、30を越えたころから、そういったことに興味を持たなくなった。彼は迎えた妻と、その腹に出来た子どものことを考えなければならなかったからだ。生まれた子どもは男の子で、彼はその子どもを愛しながら、欲張って女の子を欲しいと思うようになった。しかしそれはうまくいかなかった。妻は二度目の妊娠で流産し、それでしばらく体と心を休めなければならなかったのだ。そして三度目の妊娠ではまた男の子を産んでしまった。しかし牡牛はその子も、それはそれで可愛いと思った。
 たまに、同窓会が開かれた。最初のころは出席率も高かったが、年齢の上昇に従って人数が減っていった。牡羊、双子、蟹、乙女、天秤、山羊の六人にはよく会ったが、その他の面々は連絡もあまり取れなくなっていた。牡牛はテレビで海外紛争のニュースを見て、そこで自衛隊派遣のことが語られるたびに、獅子を思い出して案じた。射手も海外で行方不明になっていたが、彼はおそらく家を捨てたのだろうと皆で噂しあった。水瓶は一度あるとき、街で偶然に再会した。彼は意外にも作家になったのだと言い、牡牛の知らないペンネームを教えてくれた。そして逆に魚は、連絡が取れなくても状況は明らかだった。彼は週刊誌に、自分の連載を持つようになっていたので。
 いつまでも親密なつきあいが続いたのが蠍だった。彼は教員免許を取っており、子どもたちに書道を教えていた。牡牛ともよく会って飲んだ。
 あるとき牡牛は蠍に、結婚しないのかと尋ねた。すると蠍は衝撃の告白をした。
「俺はおまえが好きだったんだ。そういう性癖なんだ。だから結婚できない」
 牡牛は今までを思い返し、蠍を傷つけずになにかを言うには、どうすればいいだろうと悩んだ。
 しかし蠍は笑って言った。
「気にしないでくれ。いい友達でいてくれ」
 牡牛はそれについては、確信を込めてうなずいてみせた。
 そうして牡牛は年を取り、子どもたちを巣立たせ、黙々と働いて過ごした。妻は牡牛よりも先に死んでしまい、その出来事は牡牛の心を深く傷つけた。息子らは牡牛を案じ、一人暮らしをするよりも、自分たちの住まいに来ればどうかと提案してきたが、牡牛はそれを断り、一人で畑を耕し続けた。やがてその体力も無くなり、彼は年金と貯金で暮らすようになった。
 まもなく彼は体を病んだ、一日のほとんどを寝て暮らす。近くに住んでいる蠍が、日曜のたびに牡牛を尋ねてきたので、そういうときは、テレビのニュースや天気について話した。
 あるとき昔話になって、牡牛は言った。
「むかし、変な夢を見たんだ。すごく変な夢だ。世界が滅んでしまうんだ」
 蠍は老眼鏡を顔から外し、白っぽくなった瞳を牡牛に向けた。
「嫌な夢だったか?」
「すごく嫌な夢だった」
「現実でなくて良かった?」
「うん。そう思う」
 蠍はそうかと言い、座布団から立ち上がった。
「そろそろ帰る」
「うん。俺も少し横になる。疲れた」
「見送らなくていい。休んでくれ」
 牡牛は蠍の言葉に甘え、敷きっぱなしの布団に横たわった。
 彼は眠った。そして眠り始めてから30分ほど経ったのちに、老衰した心臓を止めた。