星座で801ログ保管庫出張所

地球最後の…81

 眠り込んだ水瓶が起きるのを待つ間、牡牛は台所に閉じこもっていた。彼はシステムキッチンに深い感動を覚えていた。冷蔵庫の中が冷たいことにも感動した。中の冷えたコーラを取り出し、飲むと、あまりの美味さに腰が抜けそうになった。
 彼はこの素晴らしい設備を利用して料理をおこなうことにした。持参した野菜をフードプロセッサーにかけると、その音とリズムが牡牛をまた感動させた。棚の中にあったパック入りの飯をレンジに入れると、そのチンという音に拍手を与えかけた。
 牡牛がこしらえたのは、優しい味のミルク粥だった。暖めなおせば食べられる段階まで完成させてから、インスタントコーヒーをこしらえた。料理に使った脱脂粉乳を入れて、台所の隣りの食堂に持っていった。
 食堂では獅子が缶ビールを飲んでいて、双子が携帯ゲームをしていた。獅子は双子の手元を覗き込みながら、彼のプレイスタイルについて意見を言っていた。
「早い。読めないぞ」
「獅子が読んだって仕方ねーだろ。俺がプレイしてんだから」
「本当にぜんぶ読めてるのか?」
「これ4周目だから、既読のシナリオをスキップしてんの」
 牡牛は彼らの前に腰かけた。
「リゾットを作った。水瓶でも食えると思う」
 双子はゲーム機から顔をあげた。
「堪能したか? 昔の設備」
「うん。家に帰ってきたみたいな気分だ」
「昔は人がたくさん乗ってたけど、みんな居なくなったからな。なんでも贅沢に使っていいぜ」
「ありがとう」
「水瓶が起きるまでは、やることが無ぇ。暇つぶしをしててくれ」
「風呂で水瓶と話したんだ。あとは蠍に会うだけなんだけど、どこに行けば会えるんだ?」
「相変わらず蠍を連れ帰る気か」
「うん」
 ぬっと獅子が腕を突き出し、牡牛の手元からコーヒーカップを取り上げた。続いてプルタブを開いたビールを差し出し、牡牛の手元に置く。
「つきあえ」
 牡牛は頷き、ビールを飲んだ。初めて味わう強い苦味はしかし、それほど不快なものではなかった。
 獅子のほうは、コーヒーの表面に息を吹きつけ、ゆっくりと飲んでいた。
「展望台でもらったタンポポのやつは、正直、最低な味だった」
「ごめん。豆がちょうど切れてたんだ」
「例の話は水瓶に聞いたのか?」
「ああ、うん。聞いた」
「どうだった」
「今言っていいのか?」
「かまわん」
 牡牛は双子を気遣ったが、双子は手元のゲームに熱中している、ふりをしていた。
 獅子の挑戦的な目を不思議に思いながら、牡牛は語った。
「水瓶の感覚はちょっと変だ。水瓶はみんなが好きで、自分が好きな人間は、その人が好きなことをしていいし、自分もその人を好きにしていいと思ってる」
「おまえと同じだな」
「……」
 前にも誰かに、似たようなことを言われたのを、牡牛は思い出していた。
 獅子は片手の指を折り始めた。
「今げんざい、おまえを除いて7人の世帯だったな。俺と双子と水瓶が行けば10人になる。蠍を連れて行けば11人。次の冬のことについて、皆はどう言っていた?」
「狂ったら殺して欲しいと言ったのが、乙女と天秤。そのままにして欲しいと言ったのが山羊と蟹。魚は分からない。射手と牡羊は、直接には聞いて無い。けど、本体の多面的意識が、二人を吸収したがってるみたいで、たぶんそれを嫌がってる。蠍は逆に、本体に混ざって消えてしまいたいと言っていた」
「そういった願いを叶えてやる気だったのか」
「蠍以外は」
 獅子は胸ポケットからタバコを取り出し、火をつけた。箱を牡牛に向けてくる。
「吸うか?」
「吸ったこと無いんだ」
「肺までいれずに、吹かせ」
「うん」
 牡牛は飛び出した一本を取り出し、口に咥えた。獅子が差し出してきたライターの火で先をあぶり、不器用に火をうつす。口腔に煙を溜めて吐き出してみた。目の前が煙で白くなった。
「ちょっとボーっとする」
「俺が狂ったら殺してかまわねえ。だが双子は生かしてくれ」
 ゲーム機に顔を伏せていた双子が、むっとした顔をあげた。
「なんでそれを獅子が決めんだよ」
「俺はとどめを刺してきた連中に対して、けじめをつけなきゃならない。俺ひとりで充分だ。双子はいらん」
「いや、だから。それは獅子が決めることじゃないだろ」
「俺が消めることだ。俺の仲間になった時点で、生殺与奪の権利は俺のもんだ。そういう決まりだっただろうが」
「状況が違うじゃねーか」
「変わらん」
「横暴だ」
「なんとでも言え」
 牡牛は思った。獅子だって、水瓶や自分と同じじゃないかと。
 双子は牡牛に目配せをしていた。言うことを聞くなという意味だろう。牡牛は曖昧にうなずいておいたが、実際のところどうするかは、判断ができなかった。
 そののち、双子は水瓶の部屋に様子を見に行った。牡牛は酒類の味について獅子に質問し、その答えから、そういったものをもっと集めておけば良かったと後悔していた。
 まもなく双子が水瓶を伴って戻ってきた。水瓶は片手で点滴のスタンドを押しながら、片手で書類を読みながら、耳にイヤホンをつけて何かを聞きながら歩いていた。
 牡牛の予想通り、水瓶はまっすぐに歩けずに椅子に衝突し、双子に進行方向を変えてもらっていた。
 獅子が呆れた。
「歩くか働くか、どちらかにすりゃあどうだ」
 獅子の隣りに腰掛けながら、水瓶が答えた。
「歩きながら働いたって良いじゃないか」
「俺と話すときは俺の目を見ろ」
「読みながら話したって良いだろ。……ああ牡牛、双子に検査してもらってるんだな。特異体質確定。しかしきみは生き残りたくないと」
 牡牛は渋面を作った。
「みんなで助かるならともかく、なんで俺一人がそんな目にあわなきゃならないんだ」
「きみという存在にみんなの希望がかかっているからだよ」
「いやだ」
「ところで僕は腹が減ったんだが、みんなで救難食料でもかじらないか」
 獅子と双子が期待を込めた目で牡牛を見たので、牡牛は頷いた。
「あれは不味いから、俺の作ったのを食べよう」
「ああ、それは嬉しいな」
 水瓶の声はちっとも嬉しそうではなかったが、牡牛は台所に行って、四つの皿を取り出し、ミルク粥を盛った。トレイに乗せ、食堂に戻ろうとすると、双子が台所に入ってきた。
「ふつうの茶もあるんだよ。持って行くわ」
「コーラがすごく美味かった」
「なるほど。おまえはそれね」
 牡牛は食堂で、食器を皆にくばり、席に着いた。
 水瓶は書類を読みながら食べようとしたが、獅子に取り上げられていた。それで水瓶は、まぶしそうな目で食器を見つめ、匙ですくいあげた。粥を口に含む。そして驚いたように目を見開いた。
「食事の味がする」
 獅子と牡牛が同時に「あたりまえだ」と突っ込んだ。
 牡牛は呆れを通り越して、むしろ水瓶に感心した。
「そんなんで、よく生きてられたな」
 水瓶は忙しく匙を動かしながら、器用に答えた。
「うん。――僕もそう思う。――でも僕は獅子や双子のように、危険な現場に出て働いても――役に立たないから」
 獅子が「食うか喋るかどっちかにしろ」と言った。
 水瓶は食べることに集中し、場は静かになった。
 双子が戻ってきて、牡牛の前にコーラの入ったコップを置いた。獅子と水瓶と自分の席に、茶入りのコップを置く。
「こうして俺は今から食い始めるつもりなんだが、水瓶もう食い終わってるじゃねえか」
「うん。美味かった」
「おかわりは?」
「うん」
 双子は自分の食事を一口も食べることなく、水瓶の皿を持って台所に戻っていった。
 牡牛は缶の中のビールを飲み干した。慣れていないせいで、苦味しか感じられなくなっていた。眉をしかめつつコーラを飲む。腰が抜けるほどではなかったが、やはり美味かった。
「俺の親は、食事中にジュースを飲むと怒る人だったんだ」
 そう説明すると、獅子は笑った。
「今が反抗期か?」
「展望台に住みながら、家に帰ろうかどうか、さんざん迷った。でも帰らなくて正解だったんだろうな。みんなに会えたし」
「実はおまえの家に行った。世界が混乱し始めてから、半年後くらいにな」
「なんで」
「水瓶の指示だ」
「……なんで」
「当時は俺にも分からなかった。今にして思えば、水瓶が最初から、おまえの体質を知ってたからだな」
 水瓶は素直に頷いていた。
「蠍からの情報があったからね。ただ曖昧で証拠も無かったから、獅子には言わなかったけど」
 牡牛は急いで尋ねた。
「おふくろと親父は?」
「おまえの体質には、親は関係ねえようだ」
「……ああ、そうか。獅子、撃ったか?」
「知りたいか?」
「いや、いい」
 双子が戻ってきて、水瓶の前に皿を置いた。そうしてやっと彼は自分の食事を開始しながら、軽い口調で言った。
「なんか空気重いぞ。なにを話してたんだ」
 そして獅子から答えを聞き、双子は肩をすくめた。
「ま、仕方が無い。俺らは少なくとも親よりは長生きしてるんだ。むしろ親孝行してると思っておこうぜ」
 牡牛は双子に同意しようとし、口を開き、開いた口を押さえた。欠伸が漏れたのだ。
「眠い」
 獅子と双子が牡牛を見た。
 牡牛は腕で目をこすった。
「なんだろう。疲れてるのかな。急に眠くなってきた」
 水瓶も牡牛を見ていた。その目つきに、牡牛ははっとした。
「……え? コーラ? いやビール……」
 言葉がうまく出ない。
 水瓶は手にした匙を置いて、真摯な声音で言った。
「本当に美味しい食事だ。ありがとう牡牛。忘れないよ」
 牡牛は動揺し、テーブルに手をついて、ぐらつく体を支えようとした。しかし思うようにならず、牡牛はせっかくのミルク粥の皿をひっくりかえしながら、机に突っ伏した。
 意識が途切れる瞬間まで、彼は信じられない気持ちを持っていた。計られたこと、裏切られたこと、自分の運命が決定されたことについて。