星座で801ログ保管庫出張所

地球最後の…78

 ランプの油が切れて、展望室内は暗黒に満たされていた。
 やがてドアが鳴った。
 入ってきた牡羊はランプに油を差し、火を灯すと、横たわった牡牛に声をかけた。
「……牡牛と二人で内緒の話がしたいって言って、来た。いいだろ?」
 牡牛は返事をしなかった。思考に膜がかかったように、彼は何も考えられなくなっていた。
 そんな牡牛の前に牡羊はどかっと座り、無防備な牡牛の様子を無遠慮に見おろした。それから、ふいに顔を反らした。
「俺はさ。思うんだ。頭の中とか、心の中で、いろんなことを感じて、いろんなことを思っても、言葉になおして口に出せることは、ほんの少しだけだって。それをぜんぶ言うことは出来ないんだと思う。けど話してみる。うまくいくかどうかわかんねーけど」
 そして牡羊は牡牛に向き直り、息を吐き、吸い、いっきに語り出したのだった。

「今の俺は、自分で自分がわからねえ。なんか色んな言葉が頭の中をガーって駆け巡ってるけど、俺はそのかんじに関わるのが嫌なんだ。このかんじは、なんて説明したらいいのか……。いつもラジオのノイズが、耳の中で鳴ってるみたいな、鬱陶しいかんじだ。わかるかな。でもそんな中で、射手の言葉は聞こえやすくて、俺たちはよく話すんだ。あいつの意見は、すべては牡牛の自由だってことらしい。生きるも死ぬも、牡牛の自由だって。けどおれは、嫌だ。牡牛が死ぬのは嫌だ。だってそんなの、間違ってるだろ! 生きたくても生きられなかったやつが、この世にどれだけ居たと思ってるんだよ!? でも俺がそう言ったら、射手は、最後の死にザマが悲惨だからって、その人の人生のすべてを否定しちゃ駄目だって言った。死んじゃって可哀想だってのは、生きている人間の、え……、エゴ? なんかワガママなことらしい。そうなのかな? 俺はワガママだろうが何だろうが、好きなやつには生きてて欲しいよ。死んだやつらだって、本当は生きたかったと思うんだ。そう言ったら射手は、単に生きてるだけじゃ、生きてることにはならないから、本当の意味で人を生かしたいんなら、単に人を生かすだけじゃ足りないって言った。射手の言うことは難しいけど、でもなんとなく正しいってこともわかるんだけど、でも……。なんだろう。スカっとしねえ。あいつはバカのくせに、ときどきスカっとしないことを言うから、でもそのスカっとしないことが妙に分かりやすいから、俺は困るんだ。ただやっぱり、生きられるもんを死なせちまうのは良くないと思う。それが大事な友だちだったら、なおさらだ。
 だから……、だから、おまえ、あの紫とかラプンツェルとか、魂の集まったヘンなのの、最初の計画に乗ってくれよ。あいつはおまえを凍らせて眠らせて、脳だけを少しだけ溶かしておいて、そこに夢を吹き込む計画を立ててたんだ。俺には仕組みがよくわからないんだが、あいつはそういうことができるらしい。
 白くなったやつらのほとんどは、自分が人間だって考えてねえ。人間じゃなくなったから、人間じゃないモンとして生きていこうとしてる。死んでいく人間には興味もねえし、見捨てる気だ。ただおまえだけは博物館の恐竜の骨の標本みたいに、保存しておきたいって考えてた。今はその考えも捨ててる。白いのの数が増えてくるにつれて、あいつの考え方はどんどん変わるんだ。俺の考え方もあいつらに影響を与えてるんだと。知るかよ。俺は俺だ。
 まあそんなかんじで、あいつらはワケわかんなくて意味不明で、俺と射手と蠍だけが例外なんだ。俺も射手も蠍も、おまえの横に説明書きをつけて飾っておきたいわけじゃねえよ。そんなんじゃねえ。けどそれしか方法は無いんだ。
 蠍は、あんまり喋ってくれないんだが、要するに牡牛自身が、ああ助かったなあ、って思ってくれればすごく嬉しいらしい。あと蠍は牡牛と、その、ええと、魂がびたっとくっつくような関係になれたらいいなあと思ってる。ホットケーキのタネみたいに、おまえと自分をぐるぐるかき混ぜて、焼いて固めてしまいたいらしい。よくわからん。なんだそりゃ。でもおまえを生かすことには賛成なんだと。いや生かすこと自体は、射手も賛成なんだ。賛成だけどみんなカタチが違うんだ。ああややっこしいな。おまえどうよ?」
 いつのまにか牡羊の話に引き込まれていた牡牛は、唐突に話を振られて、戸惑った。寝転んだまま視線を宙に据え、のろく思考し、思い当たったことをようやく述べた。
「たぶん……、たぶんそれは、水瓶の研究していることだと思う。仮想現実と、おそらくコールドスリープ」
「おまえ分かるんだな? じゃあそれやれよ。おまえは人間として生き残れ。他のやつには無理なんだからよ」
 そして皆は腐り果てて死ぬ。あるいは別の存在になって消える。牡牛が必死で集めてきたものは、すべて牡牛の手の中をすり抜けてこぼれ落ちる。
 牡牛は手を伸ばし、牡羊の膝に触った。
「寂しいんだ」
 すると牡羊は牡牛の手をひっ掴んだ。
「大丈夫だ。なんも寂しくねえよ。おまえの夢の中で、俺らは真っ当に生き続ける」
「でも現実では、みんな居なくなる」
「普通に生きてりゃ、誰でもいずれはそうなって当たり前なんだから、そんなの仕方ねえと思うぜ」
「俺も消えたい」
「駄目だ。生きろ。頼むから生きてくれ。もう俺はあの体育館でのことみたいなのは嫌なんだ。おまえ助けてスッキリするんだ」
「あれは俺のついた嘘で、俺は勝手に逃げただけなんだ」
「そんなの関係ねえ。これは俺の気持ちの問題だ。おまえは生きろ。それでみんなが救われる」
「……」
「生きろ。生きろよ。生きろ!」
 牡羊が牡牛に求める答えはたったひとつで、彼はそれ以外の返答を許さないだろう。それが分かっていたから牡牛は、なにも言えなかった。答えてしまえばすべてがその方向に固定され、牡牛はただただ運命に流されるだけの存在になる。それが恐ろしかった。
 しかし牡羊は苛立っていた。責めるように牡牛の手を引っ張った。体を引きずり起こし、胸倉をつかみ、生きろと言う。牡牛は耐えられずにまぶたを閉じ、その目のふちからまた涙を流した。
「勘弁してくれ。もう許してくれ」
 そう言った瞬間に牡牛は殴り倒された。
 牡牛は地に伏せて頭を抱えた。臆病な亀のように。
 牡羊の殴打はそれほど長くは続かなかった。途中、またドアが鳴って、途端に牡羊は静かになった。牡牛が恐る恐る顔をあげると、牡羊は射手に頭を押さえつけられていた。
 射手は溜息混じりに言う。
「やっぱり爆弾だおまえは」
 牡羊の表情からはいっさいの激しさが消えていた。彼は戸惑ったように牡牛を見ると、にっこりと笑った。幼児が大好きな人形でも見つけたかのように、牡羊は両手のこぶしをひらいて、その中に牡牛の顔を挟むと、口に口付け、頬に頬を擦りよせ、それから舌で牡牛の目元の涙をべろりと舐めた。
 射手は牡牛の横にしゃがんで、牡羊の頭を撫でた。
「牡牛が大好きなんだこいつは。本当なんだ。それに牡羊の考えは間違っちゃいない。シンプルで真っ当で正しい。だけど正しさってのは必ずしもひとつだけとは限らない」
 牡牛は顔中を唾液だらけにされながら、瞳を動かして射手を見た。
「俺はどうすればいいんだ」
 射手は腕組みをし、考えるように宙を見つめた。
「まあ取りあえずは、思っていた通りに行動するしかないんじゃないか。つまり蠍に会いに行く。ついでに水瓶にも会ってくる」
「水瓶は多面的意識と協力して、人間を保存する研究をしてたのか」
「ああ」
「でも俺は、凍らされて、永遠に夢を見ながら生きるなんていやだ」
「夢の中で、それが夢だとはわからなくてもか?」
「いやだ」
「いま生きているこの現実だって、夢かもしれないんだぜ」
「……」
「おまえの好きにすればいい。それが俺の考えだ」
「……どうすればいいのかわからない。全然わからない」
「動いて、見ろ。聞いて、知って、理解しろ。そして考えろ。ずっとそうしてきただろおまえは。俺もそうしてきたんだ」
 いつか射手は言っていた。牡牛のために火を取ってくると。
 だから牡牛は愚痴を言った。
「光が見えない」
 射手は、笑った。
「俺はそうは思わないんだ。おまえを信じてるから」
「頼られたって困る。俺にはなにも出来ない。射手を失望させると思う」
「するかよ、ンなこと。俺はおまえが好きだ。前にちゃんと言っただろ」
 そして射手はすっと立ち上がると、ドアの前に飛んだ。
「みんなを呼んでくる。今晩の仕事はサボっていいのか? いいなら呼ばないけど」
「……俺は寝たい。天秤と山羊も寝ないと眠いと思う」
「俺はサボろっかなあ。でも怒られるしなあ。小屋でも作るか」
 言いながら射手は出て行った。
 牡牛は立ち上がって物入れからタオルを取り出し、涙と唾液と鼻血を拭いた。殴られたところがずきずきと痛み、これは腫れるな、と思いながら牡羊を振り返ると、彼のほうはニコニコと笑って、牡牛の動きを楽しそうに見守っていた。
 そんな牡羊に、牡牛は言った。
「痛いよ、牡羊」
 牡羊は首をかしげただけだった。