「俺には大げさな話だと思えるけど、実際にそうなんだから仕方が無い。蠍は世界を滅ぼす手伝いをした。そういうことをやったあと、白くなって、どういうルートを辿ったのかはわからないけど、たぶん水瓶といっしょに船に乗ってる。水瓶はゾンビとかを調べる仕事をしてるから、それに関係あるのかもしれない」
乙女は牡牛の語ったことについて、すでに何らかの予測をつけていたようだった。だから返事も淀みなかった。
「それは完全な罪だ。未必の故意というやつだ。俺たちは全員、なんらかの罪を犯して生き残ってきているが、それらとはぜんぜん違う。蠍を許すべきじゃない。今までで、感情による利己心で、故意に罪を犯した者は、蠍だけだ」
双子が乙女に賛成した。
「まったくその通りだと思うけど、いちおう言っておくと、蠍ひとりが罪を犯さなかったところで、意味は無かったと思うぜ。あのバイキンはすごく感染力が高いから、世界中の他の人間と同じく、おまえらは別のところで感染してたと思う。実際、蠍がバイキンを持ち込む前に、クラスの誰かが感染してて、それを既に持ち込んでいた可能性だってある。これは俺が自分の罪を誤魔化すために言ってるんじゃなくて、ただの事実だ。まあそれにしたって、蠍は許されるべきじゃねえと思うけど」
牡牛は頷き、続いて首をかしげた。
「なんか……、変だ」
山羊は、牡牛のつぶやきに近い感覚を感じたらしく、自分の意見を述べた。
「どうも信じられない。俺の中では、昨日までの蠍は……、そんなやつだったかな、と思うんだ。あんまり喋るやつじゃなかったし、俺もそんなに親しくはなかったけど。でも、そんな残酷な、とんでもないことをしでかすやつだったかな。どっちかといえば目立たなくて、大人しいやつだったと思うんだが」
双子が肩をすくめた。
「大人しいやつほど、突然、とんでもないことをやらかすもんだぜ。昔のニッポンもそういう事件は多かっただろ」
「先生をナイフで刺したり、クラスメートを喧嘩で死なせたり、そういう事件は新聞で読んだけど。でもクラスに、環境保護のためのウィルスを撒き散らしたっていうのは、どうなんだろう。俺は聞いたことが無い。何か変じゃないか?」
「変でも何でも、蠍はそれをやらかしたんだ」
「ううん……、不幸な家庭が嫌だったら、家出でもしたほうが早いと思うし、それに牡牛に好意を持っていたんなら、相談するなり……、自分の気持ちを告白した方が良かったんじゃないだろうか。人って、どれだけ嫌なことばかりの毎日でも、ちょっとした希望があれば耐えられるものだと思うんだが」
「ちなみにおまえはコクらなくて良かったんだぜ。あの眼鏡の子、カレシ持ちだったんだ」
「えっ」
「まあ少し変ではあるな。射手と牡羊はわかるんだろ。蠍のアタマ」
射手と牡羊は無言の会話を交わしていたらしく、反応に時間がかかった。
やがて射手が顔をあげて、牡牛を見据えた。
「おまえは蠍をここに連れてきたいんだろ?」
牡牛は、ああと答えた。
射手は残りの皆を見渡した。
「で、おまえらは反対なんだな?」
蟹が即座に答えた。
「俺は、チャンスをあげられないかなって思うんだ。蠍がすごく反省してるなら。みんなにちゃんと謝れるなら」
その意見に、天秤が即座に反論した。
「彼が人類規模の犯罪に加担したってことを、軽く考えてはいけないと思うよ。死んでしまった60億以上の人々すべてに頭を下げて歩いて、彼ら全員から許しを貰えるなら別だけど」
「無償の愛をくれるべき存在から、暴力ばかりを受け取ってきた子に、責めることばかりをしても意味が無いというか、可哀想な気がするんだ」
「彼の不幸は気の毒だけど、他の人間が犠牲になって良い理由にはならないよね」
そして獅子が淡々と言った。
「忠告してやる。無作為に人間の数を増やすのはやめておけ。集団というのは人数が増えれば増えるほど、統率が難しいんだ。天秤の話を聞いたが、それが見本だ。食料、医療、住居、武器、それらがすべて満たされていても、絶えず不安にさらされている状態では、人はいっせいに狂う。不安のはけ口を求めて、身内同士で食い合いを始める。ましてや蠍は、すでに人の心に疑念を巻き起こさせる資質を持っている」
そうして皆が議論するあいだ、牡羊は、明らかに苛立っていた。そしてその苛立ちの理由は、射手にだけは分かるようだった。
「怒るなって牡羊。仕方がない」
「……ぜんっぜん、納得できねえ」
「俺らだってこういう立場になってなければ、みんなと似たようなことを言ってただろうぜ。おまえなんか先立って蠍をボコしに行ったんじゃないか」
「そうだけど! ……だけど! 違うのに」
「違わないな。まあみんなの言うとおりだ。蠍はとんでもないことをやらかしてくれた」
「けどおまえは、蠍に助けられたんじゃねえか」
「たしかに、あの水槽に牡牛を行かせたのは蠍だ。でもって、俺をあんな目にあわせたのも蠍だ」
「けど今も、蠍は」
「うん」
牡牛は射手を見た。
「話せ」
「苦しいな」
表情がよく心をあらわす射手だった。牡牛は射手の顔に苦痛を読み取ったが、冷酷に言った。
「悪いが、話せ」
「……双子がみんなにも話してると思うけど、俺らは基本的に、ものすごくゾンビなんだよ。こういう白い姿は究極のゾンビスタイルなんだ。そして俺んちの親は、立場的に、世界がゾンビだらけになることを早めに察していたんだな。そして俺がこの、超ゾンビスタイルになることも知っていた。だから俺を閉じ込めて、俺を研究したり、中味を調べたり、実験したり、いろいろと酷いことをやらかそうとしてたんだ。が、それをしなくなったのは。……俺があの暗い水槽に見捨てられて放置されたのは。蠍のせいなんだ。白くなった蠍が、自分を材料として提供したんで、博士っぽい集団から見て、俺はどうでも良くなった。おかげで俺は助かったとも言えるし、酷い目にあったとも言える」
蟹がすがるような声音で言った。
「でもそれは、蠍が自分を犠牲にして、きみを助けようとしたってことだよね?」
「あの状態を助けられたって言っていいのなら、そうなるんだろうけどな。そして蠍がクラスに変態菌をばらまいたのも、同じようなことなんだ。クソ変態菌は人の体内に入ると、あっという間に変化する。進化と言ってもいい。変異によって沢山の、変態A菌、変態B菌、変態C菌、D菌……ってかんじで、形が分かれていくんだ。蠍はそれを知っていた。だから変態菌を手に入れた早い段階で、それを自分で飲んだ。おかげで菌は蠍の中で変化を続け、他の連中に感染する段階では、変化に富んだ様々なかたちを持っていた。さらに菌はおまえらの中で変化を続けて、あの卒業式の日、さまざまな形で発露した。俺らみたいに白い形に人を変えるもの。乙女や蟹みたいに、脳へ到達するのがすごく遅くなるもの。天秤や山羊みたいに、感染してもなかなか発病しないもの。魚みたいに、脳だけが狂って体が変化しないもの。そして蠍自身は白くなった。もし蠍がそんなことをしなければ、俺たちは単純によく見かける、いかにも映画に出てきそうなゾンビになっていた。そのかわりに、人としての苦痛なんてものも無くて、幸せに腐って死んでいただろうけど」
乙女が驚いたように声をあげた。
「それでは、まったく話が違ってくるじゃないか。蠍はなんというか、絶望の中から可能性を拾ったことになる」
射手はしかし、首を横に振った。
「いや。蠍が牡牛に語ったのは本音なんだ。あいつは自分があんまりにも苦しかったもんだから、世界なんて本気でどうでも良かったんだよ。ぜんぶ消えて無くなれと思っていたのは事実なんだ。だからみんなの意見は正しい。でもってその破滅のかたちに、色々な変化を与えたかったのは。……牡牛がいたからだ。牡牛だけは助けたかったんだあいつは。牡牛を助けるためには、状況を変化させるしかなかったんだ。そのためにあいつは俺を閉じ込めたんだし、水瓶に自分を与えたんだし、獅子と双子にあちこちを探し回らせた。危険な世界で、運良く完全なゾンビにならずに済んだ人間が、牡牛のまわりにいて、牡牛を助けることを望んだ。
あいつは牡牛の行動を予測してた。なんでそんなことができたのか。その理由は、今では双子も知ってる。なあ双子?」
双子は、じろりと射手を睨んだ。
射手は、にっと笑った。
双子は嫌そうに眉をひそめつつ、しかしはっきりと頷いた。
「牡牛の血液を調べた。こいつは特異体質の持ち主だ。天秤や山羊のように、感染しても発病しないんじゃなくて、感染しない。そういう血を持ってる」
沈黙が場を満たし、牡牛はしばらく考え、やがて首をかしげた。
「どういうことだ?」
双子は苛々としたかんじで答えた。
「世界中の人間が化け物になっても、おまえだけはならないの」
「それは分かるが。……え? だからなんなんだ」
「化け物にならないから、永遠に化け物に追われ続けるんだよ。世界中のぜんぶの化け物に狙われながら、たった一人で生き続ける。それがおまえの宿命だ。地球最後の人類ってのが」
牡牛はそれでも理解できないというふうに、周りの人間を見回した。
しかし皆の深刻そうな、悩ましげな、なんとも言えぬ哀れみのような視線を受けて、牡牛の中にやっと、双子の放った言葉の意味が染みてきたのだった。
「嘘だ」
「嫌だろ? ここに居る人間も、全員がおまえの敵になる。そして射手も牡羊も、もう人間じゃねえ。バイキンのカタマリだ。いつかは脳情報を統合している本体に吸収される。そうすればおまえへの興味を失う。おまえは独りぼっちになる」
「……嘘だ」
「俺だって嘘だと思いてえよ」
ぐらりと視界が歪んだ。牡牛は動悸や眩暈とともに、久しぶりの感覚を味わっていた。寂しい、苦しい、気が狂いそうなほど誰かに会いたい。そう思いつつ、いつかその気持ちは満たされるのだと信じて、ひたすらに待ち続けた日々。それは牡牛にとっての悪夢だった。そして遠ざかったと思っていたその悪夢が、今また牡牛の目前に広がっている。
周りの人間が口々に声をかけてきたが、牡牛にはまったく認識できなかった。彼は今やっと理解していた。死など問題ではなかったと。死ぬよりも怖い状態というのは有り得るのだ。うつろな意識のまま、牡牛の本能が叫んでいた。寂しい、いやだ、助けてくれ。置いていかないでくれ。自分も連れて行ってくれ。
牡牛は戸口を見た。いつもあらゆる作業に使用してきた古いスコップがそこにあった。彼は立ち上がり、周りの皆をかきわけてそこに近寄っていくと、スコップを手に取り、それを取り上げた。それからやっとこう言った。
「一人にしてくれないか」
そうしてその望みが叶えられると、牡牛は壁にもたれ、座り込み、この世界で生きるようになってから、初めて泣いた。最初は無言ですすり泣き、それから慟哭した。激しい傷みを、涙と言葉にならない声でもって吐き出し、それが嗚咽にかわるまで泣き続けた。
それが終わると、その場に震えながら横たわり、スコップを足のあいだに挟んでぎゅっと抱いて、胎児のように背を丸めた。