星座で801ログ保管庫出張所

地球最後の…75

 草むらを踏みつけるたびに虫の声が止む。牡牛は双子の背中を追って歩きながら、彼の放った言葉たちについて考えていた。
 やがて車にたどり着くと、双子は牡牛に手を差し出した。
「鍵よこせ」
 しかし牡牛は自分で車の鍵を開き、運転席側に乗り込んだ。
 双子は助手席に座ると、シートを倒して、うんと両手を伸ばした。
「で、なんだ。おまえの大事な夕メシ作りの仕事より、もっと大事な秘密の話って」
「蠍は俺が欲しいって言ってた。なのにウィルスを撒いたってことは、俺が死んでも良かったってことかな」
 双子は、幽霊を見るみたいな目を、牡牛に向けた。
「蠍だって、なんで……」
「本人が言ってた」
「蠍もここに居るのか!?」
「いない。誘ったけど振られた。今度また誘いに行く」
「待て待て待て。ちょっと待て。おまえ、蠍がジョーカーだって知ってるんだよな? さっきの俺の話も聞いてたよな?」
「うん」
「どこまで能天気なんだ!」
「聞いたことに答えてくれ。蠍の心の動きだ」
 双子はぐったりとした。両手の甲で目元を覆い、急に弱弱しい様子になった。
「知るかよ。あいつの家庭環境を調べて、これは世界を呪いたくもなるわ、って思ったけど。それ以外は……」
「あいつが苦労してたことは知ってる。それにしたって、いくらなんでも大げさすぎる」
「蠍おまえに惚れてんの? だったらそのくらいやるかもな。俺には理解できないけど、恋愛沙汰で殺傷沙汰ってのは、ありふれた話だと思うぜ」
「そうなのかな」
「そんなもんだろ。惚れてるからこそ憎いっつーのは、本やドラマでもありがちな動機で、それでラストに相手をグサっとやったらサスペンスになるし、じわじわ周りから滅ぼしたらホラーになる。蠍は両方やったってことだろ」
 蠍は世界から牡牛を奪いたかったのだろうか。そしてそのために牡牛の世界を奪ったのだろうか。――黒く深すぎる精神の動きは牡牛には理解しがたいものだった。だから牡牛はその思考を、もっとシンプルなものに変えて理解するために、目の前の人物に当てはめてみた。
「なるほど。双子は獅子に惚れてるから、獅子が憎いのか」
「は?」
 すっきりと理解できたのだった。妙に脳内が晴れ晴れとした。だから牡牛は、これから長く続くであろう双子の言い訳に、とことんつきあうことにした。
「獅子は双子を心配してるのに、双子が苛々してるから、意味が分からないんだと思う」
「あ、ああ。男惚れとか、そういう……」
「あいつが本気で怒り出す前に、ひねくれるのをやめたほうがいい。好きな相手をいじめて喜ぶなんて、まるで小学生じゃないか」
 双子は、素の顔をしていた。あまりにも動揺が少なすぎて、牡牛にはかえって不自然に感じられた。
 やがて双子は、おかしな冗談を聞いた、といったふうに、笑い混じりの口調になった。
「なに言ってんのおまえ。馬鹿じゃねーの。イラついてんのは認めるけど、イラついてる理由は説明しただろ」
「双子はわりと繊細なのに、怒られそうなことを、わざわざ選んで言うのには理由があるんだ。獅子に怒られたいから、あえてそうしてるんだ」
「あのなあ。蠍とおまえの話が、なんで俺と獅子の、そういう話に化けるわけ」
「双子がそう言ったから。好きだからこそ憎いって」
「理解できないとも言っただろうが。だいたい獅子は水瓶に惚れてんだぞ」
「そうなのか?」
「ああ。だって俺。……言っていいのかな? 言っちまおうかな。さっきの獅子はすごくむかついたしな」
「むかつかなくていい。獅子は双子を裏切ってない。俺が頼んだから乗ってくれただけだ」
「そういう意味じゃねーって」
 双子の目は奇妙な熱を帯びていた。打ち明け話の効果を見計ろうとするかのように、ゆっくりと彼は言った。
「……なー牡牛。おれ、獅子が水瓶とセックスしてるとこ見ちったー」
「そうか」
「もっと驚けよ。俺は驚いたんだよ。まさかあの二人が、ああいう関係だったとは」
「だから双子は悩んでるのか」
「違うって。俺が話すたびにボケるのはやめろ。ツッコミも大変なんだ」
 双子は、うんざりだというポーズを取ってはいた。しかし牡牛が見ていたのは、双子のポーズではなく目だった。それは明らかに動揺していた。
 牡牛としては、双子を怯えさせるつもりはなかったので、意識して口調をやわらげた。
「ここでみんなと暮らすよりも、獅子と二人で旅をするほうがいいか?」
「だからなんでそういうふうに、無理に俺らをキモい関係に持って行くんだ。俺が獅子と二人で、さっさとここを出て行きたいのは、大事なお仕事が残ってるからだよ。それだけだ」
「好きってのが理由じゃないんだったら、俺が獅子をもらう。獅子は強いし仕切るのが上手いから、俺は獅子が欲しい」
「おまえ人の話、ぜんぜん聞いてねぇな」
「そんなことはない」
「おまえがどれだけ熱烈に誘っても、あいつは水瓶のところに戻るよ。あいつは今、水瓶にもうすぐ会えるってワクワクしてるよ。会うなり押し倒してやりまくる気だよ。ああもう言ってて嫌になってきた」
「そういや獅子は、双子の保護者じゃないって言ってた」
「失礼なやつだよなー。俺が何回、あいつを守ってやったと思ってるんだ。どっちかといえば、あいつを保護するのが俺の役割なんだよ。俺のほうが保護者だっつーの」
「あれはそういう意味じゃなくて、獅子も双子が好きなんだと思う」
「ボケもたいがいにしないと、くどいだけだぞ」
「獅子は弱ってる双子につけこみたくないから、はやく双子に落ち着いてほしいんだ。獅子には昔からそういうところがあった。水瓶どうこうって、なにか誤解が有るんじゃないか?」
「……そう、なのかな」
「たぶん」
「いやしかし、ケツにチンコを突っ込んでる、まざまざとした現場を見ちまったわけだが」
「蠍もいろんなやつと寝てた。けど俺が欲しいらしい」
「遊びとか、売り? いや、獅子はそういうタイプじゃ。でも水瓶は……」
「希望が出てきたか」
 言葉が面白がるような響きを含んでしまったらしく、双子はむっとしていた。
「しつこいな。そういうのじゃないって何回言わせるんだ」
「本当に違うのか」
「当たり前だ」
「じゃあ双子も獅子と一緒にここに残ればいい。好きじゃないんだったら、憎む必要も無いだろ」
 そこでやっと、双子は沈黙した。
 牡牛は目を宙に向け、自分の言ってきたことを確認してみた。ほぼ思い通りのことを言えたと思ったので、黙って双子の返事を待った。
 双子はぐるっと体を横向けた。牡牛に背を見せた姿勢で、彼は言った。
「パス。無理。いやだ。断る」
「双子は頭の回転が速いし、物事がなんでそうなったかっていうのを考えるのがうまいから、みんな助かると思う」
「おまえもう死ねよ。うざいよ。なに言っても聞かねえじゃねえか」
「あとで獅子に水瓶のことを聞いてやる。双子もみんなの事情を聞いてみたらいい。けっこう凄い話が多いんだ」
「いい加減にしろ。俺は残らないって言ってるんだ」
「誰も双子を責める気は無い。俺たちにも色々あって、そういうことをするのは意味が無いってことをみんな知ってる。だいいち双子のせいじゃないし、双子は一人でずっと悩んでて、本当に辛かったんだから、いいかげん悩むのをやめたほうがいい。だから泣くな」
 黙って背中を震わせていた双子は、牡牛に顔を向けようとはしなかった。ただ口調だけを、ずっと穏やかなものに変えて、双子は語った。
「……俺の人選は間違ってなかったと思う。あのとき自分の相談相手に、獅子と水瓶を選んだのは正解だった。でも、牡牛にも言っておけば良かったかな」
「どうだろう。俺は親が特別なわけでも、頭が良いわけでもないから、なにも出来なかったと思うが」
「俺もあのときはそう思った。だからおまえには話さなかった。けど、言っておけば良かった」
「メールなら読んだけど。遅すぎたな」
「サーバには一枚もレスが無かったんだぜ。そのうち繋がらなくなった」
「いちおうレスを送った。でも届かなかった」
「あー、やっぱり、口で直接言っておけば良かった。ずっと前に。牡牛に」
 いつまでも双子がこちらを向かないので、牡牛は助手席から身を乗り出し、狭い座席に伏せるようにして双子の体を抱いた。昔から細かったこの男の体は、やはり折れる寸前の細枝のような感触だった。そしてその感触は、双子そのものを表わしているように牡牛には思えた。