星座で801ログ保管庫出張所

地球最後の…71

 赤々と燃える焚き火を囲んで、熱いコーヒーを飲みながら、皆は獅子の話を聞いていた。それは、あの卒業式の日から始まる、長い話だった。
「俺は暴れている連中を止めようとした。だが無理だった。感染によって、暴れるやつの人数がどんどん増えていったからだ。だから考えを変えて、牡羊と組んで、暴れている連中を倒しつつ、まだ暴れていない連中を助ける作戦に出たんだ。母親に襲われていた蟹を助けて、誰かの下敷きになってた魚も助けて、それからまた襲ってきたやつを倒して……。そうするうちに体育館の出口の前がすいて、ドアを開けるようになったから、そこから皆を脱出させた。
 俺はコンピュータ室に行った。そこで双子と待ち合わせていたんだ。卒業式だから校舎内のほうは空だったし、コンピュータ室までは無事に辿りつけたんだが。しかし、双子のもとにたどり着いて、体育館でのことを説明すると、双子は焦り出した。あいつ曰く、体育館の連中を脱出させたのはまずかったらしい。
 あいつの親はライターでな。三流の新聞や雑誌に、あやしい記事を載せる仕事をしていた。だが稼ぐための記事はともかく、真面目な取材もしていたんだ。特に国防関係の陰謀論については、その論から出来上がる記事自体は荒唐無稽だったが、取材で得た情報はたしかなもので、それを自分のPCにまとめていた。双子はそれをハックして読んだんだ。だから俺をコンピュータ室に呼びつけた。
 まあこのへんは、あとで双子に聞けばいい。おまえらが俺を納得させてくれて、双子を呼んでも良いと判断できてからの話だが。
 それからはずっと双子と行動している。最初は大勢の仲間がいたんだ。親父の部下たちと合流して、あちこちを駆け回っていた。俺に与えられた仕事は、要人の警護だった。うまくいくこともあれば、うまくいかないこともあった。そしてだんだん、うまく行かないことの方が多くなってきた。
 集団ってのは難しい。助けた味方が敵にかわる。味方の中からも敵が出る。仲間が異型化するたびに、俺たちはそいつを処刑しなければならなかった。そうしなければ、一番守りたい人間からの信用を得られなかったんだ」
 そこでいったん、言葉に間が出来たので、牡牛は尋ねた。
「一番守りたい人間って、政治や軍事の人とかか?」
「原発の技師、化学工場のオペレーター、そんな連中だ。世界中でそういう動きはある。危険な施設を、安全に停止させてもらっている。だがもう意味が無い」
「なんで意味が無いんだ」
「避けられない運命として、人間は絶滅するからだ。人は残らず異型化する。異型化は日本の場合、冬のきつい寒さが緩みはじめてから、温度が上がりきるまでの間に行われる。周期は二年。だから、卒業式から今までの間に、異型化せずに済んだ人間も、次の冬には異型化する。それを乗り切っても、また二年後には異型化する。それを乗り切っても、また次がある。避けられない運命として、俺たちは全員、絶滅するんだ」
 獅子はそこで黙り、手元のコーヒーを飲んだ。
 しんと静かになった世界に、焚き火のはぜる音だけが響いていた。
 そして話を再開させた獅子の口調は、不思議なほど暗さがなかった。
「次の仕事として、俺は、まともな人間を探す旅をしていたんだ。あちこちに、生き残った人間の集団があるという情報を聞いていた。だがしかし、まともな集団はひとつも無かったな。生き残るにふさわしい連中は、ひとりも居なかった。
 今日は駅の集団を尋ねたんだが、これは俺たちが一足遅かったらしくて、全員が異型化してしまっていた。しかし、それで良かったんだ。あそこの集団については、ろくな情報を聞いていなかったからな。生身の人間と争わなければならないことを予想してて、うんざりしてたんだが、まあ、ああいう結果だったから、遠慮なくやらせてもらった。
 なんでそんなことになったのかは、だいたい想像できる。今までにもそんなパターンはあったからだ。つまり異型化した仲間を、殺せなかったんだろう。躊躇しているうちに、やられてしまったんだろう」
 天秤がそれを否定した。
「違うんだ。それは違うんだ獅子」
「それを言うのは、おまえらも異型を殺せずにいるからか」
「そうじゃない。駅の彼らを滅ぼしたのは、怠惰と不信だ。誰も守ろうとはしなかったからこそ、彼らは滅んだ」
「ここでは誰を守ってるつもりなんだ。いや誰でもいい。俺たちは来年の春までの命だ。もしそれでも、たとえそれまでの間だけでも、まともな人間として生きたいなら、俺と一緒に来い。守ってやる。狂うまでは守ってやる」
 牡牛は獅子の話から、奇妙な感触を受け取っていた。なにかが足りない、という感じだった。
「獅子。おまえの見てきた人たちは、噛みつかれたり、空気感染でおかしくなったりしたんだな?」
「ああ。あの体育館で見た連中と同じだ」
「噛みつかれた場合、それでも頭がまともな連中はいなかったのか?」
「最長で五分くらいはな。噛みつかれても、まともな思考ができるようだ。その間に遺言を言わせる。助けてくれなんて言うやつは、俺の仲間にはいなかったが……」
「最長で五分」
「五分以上まともだった例は知らん。それ以上待ったことが無いからだ」
「ここに住んでる仲間は、もう一年以上、ずっとまともでいるんだが。それって特別なのかな」
 獅子は、眉をひそめていた。
「一年以上?」
「ああ。もう体がボロボロなんだけど、頭はぜんぜんしっかりしてる」
「そんな危険なやつを、なぜ放っておくんだ」
「危険じゃないからいっしょに居る。いちばん危険なのは別の一人で、これはもう頭が完全にゾンビなんだけど、見た目は普通なんだ」
「……信じられんな」
「真っ白な人間は知ってるか? 力が強いし、走ったら早いし、テレパシーとかも使える。で、そんなみんなで畑を作ったり、小屋を作ったり、動物を狩ったりして暮らしてる。犬も二匹飼ってる。猫もいずれ飼おうと思ってる」
 獅子はぽつりと、猫、とつぶやいていた。
 牡牛は、まえにも似たようなことを言って、誰かに呆れられたことがあったな、と思っていた。
「駅で獅子が戦っていたのも、仲間が教えてくれたんだ。みんな獅子に会いたがってる。でも獅子が乱暴者だといけないから、今は避難してる。もし獅子が、みんなを撃たないって約束するなら、今から呼ぶけど」
 獅子は呆れた様子のままなにかを言いかけ、その口を閉じると、がしがしと頭を掻いた。それから、酷い頭痛に悩まされているような顔をした。
「牡牛がここのリーダーなのか?」
「リーダーとか、そういうのは無いな。でも、ここに住んでるのは、俺がいちばん長いから、なにか決める時は、俺の意見が通りやすい」
「そういう曖昧な集団だから、そんな風に甘い考えを持っていられるんだ。口約束なんてなんの役に立つ? 俺が嘘をついて、他の連中を呼び寄せたあと、暴れまわる可能性もあるんだぞ」
「そうか。じゃあどうすればいいんだろう」
 牡牛としては、獅子はそんな人間では無いと思っていたが、人の人間性をアテにして何かが出来る世界では無いことは、今までの経験で分かっていた。人間は人間の敵になるのだ。