射手と乙女が出て行って、しばらくの時間が経ったあと、牡羊が展望室に入ってきた。
彼は脇にかかえていた魚を降ろし、その首輪から伸びたリードを手すりに結びつけると、部屋を振り返って言った。
「射手が解説しろって言ってる。あいつは今、駅の国に居る。乙女もいっしょだ」
牡牛は驚いた。
「戻ってるのか? 頭」
「……なんで俺を馬鹿のまま放っておくんだよ。じゅうぶん反省したからもういいだろ」
「知らん。射手に聞かないと」
「その射手が言ってる。解説しろって。わかったよ畜生。――ええと、駅の広場を建物が囲んでただろ。その建物の屋上に居るんだ。乙女がすごく怒ってる。射手が途中から、乙女を抱いて飛んだのが気に入らないらしいぜ。ケンカしてる場合じゃねえだろおまえら」
その説明の途中で、蟹が展望室に入ってきた。蟹はなにかを言おうとして口を開いたが、牡羊が手で制していた。
「待ってくれ。頭の中がゴチャゴチャでややこしいんだ。俺の心と、耳と、目はここにあるけど、俺の中には射手の感覚が伝わってるんだ。いま、射手の目は乙女を見てる。射手の耳は乙女の声を……、いや、声だけじゃない。銃声を聞いてる。射手が下を見た。広場を見てる。駅前広場で、誰かが銃を撃ってるのが見える。
……なんだこりゃ。マネキンか? いや、人だ。人がいっぱい倒れてる。立って動いてるやつもいるが、こいつらはゾンビだ。
わかった。たくさんのゾンビが、広場の銃を持ったやつを襲ってるんだ。
……強いな。銃のやつは、強い。一発一発を、確実にゾンビの頭に当てて倒してる。でも数が多すぎる。乙女が助けるかって聞いてる。どうするよ牡牛」
牡牛は素早く考え、逆に尋ね返した。
「助けられそうか?」
「乙女がこう言ってる。銃のやつが、射手や乙女を見て、味方と思ってくれるかどうかって」
「……難しいだろうな」
「あっ待て。もう一人居る。広間に降りる階段の上だ。……あぁ!?」
それきり、牡羊は沈黙した。
天秤が焦った様子で尋ねた。
「なんだ。どうしたんだ牡羊。生き残りが居るの?」
牡羊は唾を飲み下し、赤い瞳を天秤に向けた。
「双子がいる。こいつは双子だ。階段の上から、ものすごく眩しいライトで広間を照らしてる。銃を持った男は、獅子だ。ライトのおかげでゾンビの群れが割れたんで、そこを走り抜けてる」
牡牛は思い出していた。獅子と会話した記憶を。学校のコンピュータ室を。メールのメッセージを。学校の運動場を。
「獅子が双子を助けて、いっしょに行動してたんだ」
そう言うと、牡羊は首をかしげた。
「そこまでは分からねえけど、二人は親しそうだぜ。ライトは車の荷台にあって、光はそこから出てるんだが、その荷台に双子が手を入れて、なんか黒いものを取り出した。獅子がそれを構えた。……うわ、すげ。機関銃だぞこれ。広間のゾンビが、ストライクを食らったボーリングのピンみたいになってる」
牡羊の表情は楽しそうだった。
蟹が天秤の横に座り込みつつ、牡羊をたしなめた。
「笑ってないで、ちゃんと話して。駅の国の住人の姿は?」
「この距離じゃ、詳しいことまではわからねえ。いま射手と乙女が、下に降りるかどうか相談してるよ」
そのとき、蟹の胸に頭を抱きしめられていた天秤が、静かな声をあげた。
「僕の予想では、住人は全滅したな」
牡牛は天秤を見た。
「どういうことだ?」
「あの国では、ゾンビに噛まれた人間は即座に追放されることになっていた。この世界において、集団の追放はすなわち死だ。安全のためだけれど、僕はあるときこう考えた。もしもひどく臆病で、弱くて、しかし嘘のたくみな者が、噛まれたことを隠していたらどうなるんだろうと。つまり僕は噛まれたらどうするんだろうと」
「……天秤なら隠しとおせるんじゃないか」
「隠し通す自信はあるよ。そして生きながら周りを感染させていったかもしれないね。言っておくけど、僕は噛まれてない。もし噛まれていたなら、ちゃんと君に相談する。だって君たちは僕を追放しないって知ってるから」
集団を守るための厳しいルールが、逆に集団を滅ぼしたのではないか。天秤はそう語っているのだ。そしてふだん駅に閉じこもっていた彼らのうち、誰かが感染したのだとすれば、それは彼らが天秤を追って駅を出て、ホテルに詰め掛けていたときである可能性が高い。
天秤は優しい表情のまま、皮肉な結論を出した。
「牡羊が復讐するまでもなく、彼らは自分で自分を滅ぼしたんだ。国に住むのはゾンビだけ。そんな状態になってたんだろう。そしてたった今、獅子と双子に滅ぼされた」
牡羊が天秤に同意した。
「なんかそんな推理を、乙女も話してるよ。でもって射手のシャツの背中に、なにか書き始めた」
牡牛は乙女の行動を予測できた。むかし乙女は、道に迷って困っていた牡牛に対して、地図を投げてくれたのだ。
そして牡牛の思ったとおりの行動内容を、牡羊が説明した。
「駅から展望台まで。その道順だな。射手がシャツを脱いで、中にくるむものを探してる。ええと、割れたコンクリのかけらを包もうとしてる。ちょっと大きすぎねえか? 大丈夫か射手。それはオモリっつーのか。オモリそのものが本体で、引っ掛けたシャツがオマケじゃねえか。……あーあ、投げちまったよ。大きなコンクリが広場に落ちて地響きがした。獅子と双子が死ぬほどビビってる」
「地図には気づいたか?」
「警戒してなかなか近寄ろうとしねえな。……いや、獅子が歩き出した。銃をからだの前に、こう、構えてる。慣れた動きだわ」
「双子は?」
「ライトで獅子の歩く方向を照らしながら、気をつけろって叫んでるよ。……よし、獅子が瓦礫の中にシャツを見つけ出した。いま、拾い上げた。乙女が帰ろうって言ってる」
牡牛は部屋の片隅に行き、そこにあったスコップを取り上げた。そして皆に向かって言った。
「俺と山羊と、天秤が出迎える。牡羊と蟹は部屋に残ってたほうがいい。当然、魚もだ。射手と乙女も、帰ってきたら部屋にいれる」
つまりそれは、特別なことがなにも無い、ただの人間だけで出迎えるという宣言だった。
山羊は不思議そうだった。
「なんでそんなことをするんだ? みんなで出迎えては駄目なのか」
「獅子と双子が駅の国に居た理由は分からないが、ゾンビに襲われてたってことは、まだふつうの人間なんだ。そしてゾンビを容赦なく殺すことに慣れてる。まずは俺たち三人だけで説明した方がいい」
牡羊は、不満そうだった。
「双子も獅子も、友だちを撃つようなやつじゃねえよ」
「昔は友だちにゾンビなんて居なかっただろうから、撃つ必要も無かったんだ。今は、わからない」
蟹は、納得していた。
「理由は分かったけど、なら展望室に閉じこもるよりも、逆に、俺たちは魚を連れてここを出て、隠れていたほうがいいんじゃないかな」
「ああ、それがいいな。外の茂みにでも居てくれ。犬は吠えたらいけないから置いていってくれ」
「了解。……彼らが仲間になってくれればいいね」
牡牛は大きく頷いた。