星座で801ログ保管庫出張所

地球最後の…65

 蟹が正直な感想を述べた。
「ちょっと怖いね。そんな風に、自分を他のものの中に溶け込ませてしまうなんて」
 射手がうんうんと頷いた。
「俺も最初はどうなることかと思ったんだ。そんなもんの一部になっちまって大丈夫なのかと。白くなって赤が俺で紫になるとかいって、本当にややこしすぎる」
 乙女が乾いた視線を射手に投げた。
「色の例え話は、いま俺が発明したばかりだが」
「けど似たようなことを思っていたんだ。俺は、俺のままでいられるのかなって」
「まあ、そうだろうな。実際におまえら多面的意識は、人格を入れ替えることも可能なわけだ。牡羊という名のチューブの中に、射手という色を放り込むことも出来る。そのあいだ、射手というチューブの中身は、紫色のラプンツェルで満たされている。これが前の出来事だな。射手が牡羊の体を借りて、牡羊の中にあるものを利用しつつ、天秤を助け出した。その間に、射手の体を占めていたのは多面的意識だった……」
「他にも出来ることはあって、いま紫色の中味はどんな按配かなーとか、他のチューブはどんな具合かなー、ってことを調べることも出来るんだ。分かりやすく言えば、覗きとか、盗み聞きだな。さっきそれで牡牛に怒られた」
 牡牛は「べつに怒ってない」と言った。
「俺はただ、蠍の居所を知りたかっただけだ」
 乙女と蟹が驚いたように牡牛を見たので、牡牛もややこしい説明をしなければならなくなった。
「髪の長いやつの中に、蠍の絵の具が入ってたんだ。髪の長いやつの本来の魂は、もう紫の水に溶けてしまって無いらしい。残った体を蠍が借りてて、でも蠍は自分自身も、紫の水に溶けてしまいたいと思ってるんだ。――自分で話してても、わけがわからない。みんなわかるか」
 蟹が眉をひそめつつ、「要するにその人は蠍なんだね」と言った。
 牡牛はとりあえず、そうだと言っておいた。
「たしかにあれは蠍なんだけど、体が違うからな。ややこしいから、俺が蠍の体を見つけると言ったら、蠍はすごく嫌がってた。なんでだ射手」
 すると射手は赤い瞳をまぶたの下に隠し、妙に思慮深げな顔をした。
「それを言う前に、みんなに聞いておきたい。おまえら、人間ってなんだと思う? 生きてるってどういうことだ?」
 何のてらいもない質問内容が、皆を戸惑わせた。
 それはたとえば彼らが、もう少しだけ若い小中学生のころなら、学校や社会や大人といった、自身に対する最初の壁に立ち向かうために、つたなく幼く考えるような問題だった。あるいはもっと年を取ってから、哲学的な命題として、人生観や宗教観や、理性や客観や内省を利用して、答えを導き出そうとする問題だった。
 実際、山羊は気恥ずかしげだった。
「そういうことを考えると、妙に落ち着かない気分にならないか。そういうことを考えすぎたら、なにも出来なくなってしまうんじゃないかって、不安にならないか。みんなは違うのかな。俺はそうだ。だって俺は、今なんでこういう状態になっているのかさえ、文章でしか知らないんだぞ。それで、そういうことを答えろと言われても」
 乙女が山羊に同意した。
「抽象的すぎて困るような問いだと思う。もっと具体的に、脳死は死かとか、尊厳死は認めるべきかとか、そういった問いなら答えやすいんだが」
 射手は目を開き、赤い瞳を蟹にむけた。
 蟹は唇を引き結び、じっと考え込んでいた。
「……俺と乙女は脳だけが人間で、体はモンスターに変わってしまっている。俺はまだ自分が人間であるつもりだけど、でももし自分がモンスターなのだとしても、かまわないんだ。ただこうして、みんなのそばに居られるんなら、どっちでもかまわない。魚もそう。モンスターでもいい。射手や牡羊が、人を超えたなにかだとしても構わない。山羊の障害なんてぜんぜん問題じゃない。天秤の罪がなんだというんだ。牡牛の健康は守ってやりたいけど、もしそれが失われたって、俺は牡牛といっしょに居たい」
 牡牛は蟹の答えを聞きながら、射手が聞きたいのはこういうことなんだろうな、と考えていた。
 だから視線を向けられて、蟹と似たことを答えた。
「俺が人間なんだって思ったら、そいつは人間なんだろう。生きていると思えば生きてるんだ。俺にとってはな。他は知らん」
 射手は唇に笑みを浮かべた。
「俺はねえ、こういうことを考えるのが大好きでさ。答えの無い問題ってやつは面白い。じゃあまあ仮に、ここに人間が居るとしよう。そいつはゾンビ化してるのかもしれないし、白くなってるのかもしれないし、そうではなくて普通なのかもしれないが、まあ人間だ。だけどそいつは箱に閉じ込められてて、その蓋の鍵はぜったいに開かないんだ。箱は頑丈で壊れないし、外から耳を当てても、中の音は聞こえない。当然、姿も見えない。触ることもできない。いっさいのアクセスが不可能なんだ。けどおまえらには、そこに人間が居るって情報が与えられてる。で、おまえらにとって、その箱は人間か?――なんでこういう事を聞くのかというと、蠍の体がそういう状態にあるからだ。だからあいつは自分の体を捨てざるをえなかった。……なあ。おまえらは本当に優しくて、人が良くて、なんでも受け入れられる凄いやつらだけど、じゃあ蠍を、体を失った蠍を、そのまま放っておいてやるべきだとは考えないのか。あいつはネクラだから消えたがってるんだが、それは何も死ぬってわけじゃない。ただ自分のすべてが紫色の水に混ざって、別のものの一部になるだけだ。それが蠍の望みだ。あいつはそれで、自分が完全に自由になれると信じてる。それならそれで、消えさせてやればいいとは思わないか?」
 これにはすぐに牡牛が答えた。
「話にならん。箱の場所を教えろ」
 射手もあっさりと頷いた。
「まあおまえなら、そう答えると思ってたよ」
「もう前置きはいい。言え」
「うん。船の上なんだ。その船は、今は遠いところにある。近くに来る予定もあるけど、ちょっと先の話だ。それまでは会いに行くにしたって、取りに行くにしたって、物理的に無理だから、おまえもう少しのあいだ我慢しろよ」
 そのとき牡牛が感じていたのは、長い前奏を聞いたあと、歌詞が始まる直前で、CDの傷に歌を奪われたような気分だった。
 体ごとがっかりする牡牛を、蟹が慰めた。
「とりあえずは、彼の正体が分かって良かったじゃないか。きみはまた一歩づつ、新しい仲間に近づいてるんだよ」
 そうなのかなと牡牛は考えた。
 乙女は、そっけなかった。
「新しい仲間か。いったいどれだけの人数を増やすつもりなんだおまえは」
「気が済む人数までだ」
「いい加減にしろと言いたいが、やめておく」
 もう言ったじゃないかと牡牛は思ったが、黙っていた。
 そして気の毒な山羊は、歯でも痛むような顔をして悩みこんでいた。先ほどは考えたくないと言ったにもかかわらず、彼は考え込んでいるのだった。
 牡牛は心配になった。
「あまり考え込むな」
 そう言うと、山羊は眉間にしわを寄せた。
「邪魔しないでくれ。どうせ忘れるんだとしても、答えを出してから忘れたい」
 牡牛は、そんなものかな、と思った。
 あとは皆、適当に雑談をしたあと、それぞれの仕事に戻ることになった。乙女と蟹がふたたび外に出て、射手は天秤を看て、山羊と牡牛は睡眠を取るために布団に入った。
 しかし考え込んでいる山羊は、寝づらそうだった。
 そして牡牛も別の理由で、あまりよく眠れなかった。