星座で801ログ保管庫出張所

地球最後の…59

 すでに天秤たちは展望台前に到着していた。天秤を抱いて立つ牡羊の体は、変形していた。それはまさに怪我と呼ぶよりも『変形』と呼ぶのがふさわしかった。チーズを火であぶったように、肉体が溶け崩れているのだ。肩から腕、背中、足の後ろにそういった様子がひどく、そして目に見える内部組織は、肉の赤色ではなく、大理石の白色をしていた。
 天秤は牡羊の腕に抱かれていたが、その様子は無残だった。右半身に、ひどい火傷を負っていた。特に右足は無残な有様で、指先が炭化して黒くなっている。いかにも苦痛の強そうな様子ではあったが、天秤はぐったりとしていて、呻くことも泣き喚くこともしない。意識を失っているのだった。
 牡羊の中の射手が、牡羊の声で言った。
「水水水。水を浴びせてくれ、このまますぐに早く熱っちいのよマジで!」
 幸いなことに最近降り続く雨が、豊富な水を与えてくれていた。皆は展望台周辺に置いた雨水タンクから水を汲んでくると、二人にそれをあびせた。
 それから全員で二人を展望室に運んだのだが、そこからの治療法が誰にも分からなかった。牡羊はなぜか暗室に飛び込み、そのあと射手が自分の肉体に戻り、「牡羊は放っておいて大丈夫だ。天秤をなんとかしてくれ」
 と言ったのだが、出来ることは限られていた。ビニールシートを敷いて天秤を寝かせると、衣服をはさみで切り開き細かくして、また水をあびせて小さな繊維まで洗い流した。それでも細かな断片が皮膚に貼りついていたが、無理に剥がすことはできないのだった。
 乙女は医学書を読みながら指示を出していたのだが、やがて言った。
「死んだ組織を除去する必要があるらしい。ここまで酷いと足を切断しなければならないんだろうな。しかし俺たちにはそんな技術は無い」
 牡牛は、射手に言った。
「おまえの仲間に、医者はいないのか」
 射手は瞳を上向けて、思考をめぐらせるような表情をした。
「これって医者の知識なのかな。蛆虫を傷口にわかせて、死んだ組織を食わせるんだと」
 乙女が「聞いたことがある」と言った。
「医療用の、殺菌された環境で飼われたウジを、傷口に乗せるんだ」
 牡牛は眉をひそめた。
「ハエなら外にいっぱい居るけど、クソにたかってるぞ。大丈夫なのか?」
 聞かれた射手も首を傾げつつ、言葉を続けた。
「あと傷口には、ワセリンを塗って、ラップを巻く」
「ラップ?」
「ガーゼとか乗せちゃ駄目らしい。消毒も駄目だ。薬も塗るな。ワセリンとラップで、傷が乾かないようにしておく」
 山羊は疑問をとなえることもなく、いそいそと動いていた。惨い見た目になった天秤の皮膚に、躊躇することなく触れて、ワセリンを塗っていく。しかしワセリンもラップも量がまったく足りなかった。
 蟹が即座に鞄をつかんだ。
「ドラッグストアに行ってくる」
 乙女が「俺も行く」と言い、犬は当然のように蟹の足元についた。
 二人が出て行ったあと、牡牛と山羊は射手の指示に従って、天秤の体を毛布に包み、布団に寝かせた。
 そして牡牛は山羊に天秤をまかせて、暗室の様子を見に行った。
 ランプで内部を照らし出し、牡牛は驚いた。魚の檻の鍵が引き千切られていたからだ。そして狭い檻の中には、牡羊の姿があった。牡羊は窮屈そうに手足を折り曲げ、両腕でしっかりと魚を抱いて、じっと動かずに居た。魚は牡牛に抱かれたまま、ランプの光を嫌がって動き、顔を牡羊の肩に伏せた。
 牡牛は牡羊に言った。
「檻の扉に鍵をつけなおしてもいいか」
 牡羊は返事をせずに、ただ目を伏せていた。その表情は非常におだやかで、安堵に満ちているようにも見えた。牡牛は理解した。牡羊はやっと、探していたものを見つけ出せたのだと。
 牡牛は射手に頼んで、檻のドアに鎖と鍵をつけてもらった。



 その夜、牡牛はしっかりと睡眠を取った。朝目覚めると、一人で大量の食事をこしらえ、それを皆にくばった。
 山羊は徹夜をしていたのだが、まだ起きていられると言い張った。
「理由は分からないが天秤が怪我をしてるんだ。俺があのとき気絶なんてしなければ」
「山羊のせいじゃ、まったくない」
「きのうゾンビに追いかけられたせいじゃないのか?」
「違う。けどじゃあ、昼まで天秤を見ててくれるか。俺は別の仕事をするから」
 蟹も山羊と同じく、できるだけ起きていたいと言った。
「太陽の光さえなければ、俺は動けるから。窓をカーテンでふさいでくれれば看病できる」
 しかし牡牛は承知しなかった。
「日光を部屋に入れないと、不衛生だと思うんだ。それに蟹は夜になったら、また薬局とかに行って欲しくなると思う。だから休んでてほしい」
 乙女は食事を断り、夜まで眠ると言った。
「夜の間に部屋中を消毒液で拭いておいた。これからはおまえも、仕事から帰ってきたら手足を消毒したほうがいい」
「食わなくて大丈夫か?」
「食うよりも眠りたい」
 射手は静止する直前だったのだが、元気に食事を摂りつつ説明した。
「天秤は大量の睡眠薬を飲んでるんだ。けど致死量には届いてない。薬が切れたら目が覚める」
「牡羊は大丈夫なのか」
「あのまま体が治るまで眠り続けるよ。放っておいて大丈夫だ」
「檻の中じゃ狭いだろうと思うんだが」
「魚は狭がるだろうけど、牡羊は幸せだ」
 そして射手の言ったとおり、牡羊は昨日とおなじ姿勢のまま、呼びかけても答えず、動きもしなかった。魚は牡羊の腕の中を脱出しており、牡牛の持っている食器には反応しなかったが、牡牛に反応して食べたそうにした。
 牡牛は「夜まで待ってくれ」と言い、暗室を出た。
 食器のすべてを酢で拭いてから、牡牛は外に出た。天気は晴れてはいたものの、雨雲が西の空に見えていたので、また崩れるのがわかった。牡牛は急いで全ての罠を見回ると、回収した獲物のうち生きているものをくびり、首を切って木に吊るしていった。滴る血をハンカチにたっぷりと染み込ませると、それも吊るした。次に畑を見回り、虫や雑草を取って穴に埋めると、いそいで川に飛び込んで体を洗った。
 そして肉を吊るした木に戻ってみると、ハンカチの表面と肉の切り口に、白い卵がびっしりとついていた。まわりを飛び回る蝿を手で振り払いながら、肉とハンカチを回収し、畑からも野菜をいくつか取って、展望台に帰宅した。
 山羊が天秤のそばにじっと座っていた。牡牛におかえりと言ったあと、「天秤はなんで怪我してるんだ。大怪我じゃないか」
 と言った。
 牡牛はバケツに消毒液を入れながら答えた。
「山羊のせいじゃないから、それは気にしなくていい」
「半日しか記憶が保たないんだってな。……いったい何があったんだろう」
「手帳を読んでから寝てくれ。看病を交代する」
 今度の山羊は素直に従った。部屋の隅の敷きっぱなしの布団に潜り込む。
 牡牛は手と足を消毒し、使った道具もそれで拭いた。それから取り込んだ獲物を取り出し、ガラス瓶を持ってくると、獲物の切り口から瓶の中に、蝿の卵を落としていった。ハンカチからも卵を落とし、瓶に卵をためると、獲物の解体にかかった。皮を剥ぎ骨をはずし、肉を水で洗う。
 汚物をバケツに入れて蓋をすると、牡牛は天秤のそばについた。
 眠る天秤の顔は穏やかだった。首から下は無残な有様であるにもかかわらず、奇跡的に顔は燃やされなかったのだ。小造りで、整っていて、だれにも好まれそうな、天秤の顔がそこにあった。
 牡牛は「よかったな」と語りかけ、天秤の髪を撫でてやった。