星座で801ログ保管庫出張所

地球最後の…56

 乙女はそれでも怒りを納めきらぬ様子だったが、少しだけ口調をやわらげた。
「そんなふうに、離れた場所にいる人間の記憶を、勝手に見ることが出来るのか?」
 射手は頷いた。
「ラプンツェル化してたらな」
「人格の境界が曖昧になりそうだ」
「それはたいした問題じゃない。むしろそれが出来ないと困ることが多い。今回みたいに、断片的に見る牡羊の記憶だけでは、天秤の本心が分からなかった。どうもあの馬鹿国家に馴染んでしまってるようにも見えたんで、それなら『助けてあげます』なんて大きなお世話だろ?」
 それで牡牛は、射手が最初に言っていたことを思い出した。
「俺に判断してもらいたかったことって、それか」
「それもある。牡牛が、あの国をどう思うか。天秤をどう思うか。牡羊をどう思うか。それを知りたかった。この世界には、おまえも知っての通り、望んであの国に行くやつも居たんだ。この言い方も誤解しないで欲しいんだが、気持ちは分かる、ってのはあるだろう。あの集団に入れさえすれば、飢えることは無い。ゾンビからも身を守れる。死ぬにしたって少なくとも、人の役に立って死ねるわけだ。そんなふうに、人の弱さをダンゴにしたようなあの国を、どう思うのかを聞きたかった」
 それまで黙っていた蟹が、はじめて声をあげた。
「この世界で生き残った連中が、この街に集まってきてたのは、駅の国に行くためだったんだな」
 射手はまた「それもある」と言い、「けどそれだけじゃない。単純に、このへんはマシだからだ。他の地域はもっとひどい事になってる」と付け足した。
 蟹は静かな表情のまま、しかし声色を使って、激しい憎しみを表現した。
「……みんな死んでしまえばいい。そんな生き方しかできないやつは。自分が生きることばかり考えて、家族や友だちや恋人や、そういった仲間を犠牲にして、のうのうと生きてるやつは」
 聞きながら牡牛は、蟹はあの国には住めないなと思っていた。蟹がもしあの国にいれば、愛する人間が処刑に選ばれるたびに、死に物狂いでそれを止めようとしただろうし、敵対する人間に対しては、殺傷事件さえ起こしかねない。またそんなふうに、優しく、激しすぎる蟹は、真っ先に処刑の対象に選ばれただろう。
 乙女は、蟹とはすこし違うことを言った。
「もっとこう、まともにルールを変えられなかったのか。もっと早くに。処刑前提の審査なんてものは論外だ。人口爆発を避けたいんだったら、法を改正して、中から外への移住の自由を認めれば良かったのに。わけがわからん。筋が通らん。愚かしい」
 そういうことを言ってしまう以上は、乙女もあの国には住めないのだ。牡牛の思うに、問題はそういうことではない。あの国の民が願ったのは、国の発展ではなく、真っ当な生活でもなく、『今の状態がずっと続くこと』だったと牡牛は見ている。変化こそが一番の害悪だったのだ。
 牡牛は山羊に尋ねた。
「おまえはどう思う?」
 山羊は、困ったような顔をした。
「でも俺は、その国に住んでたんだろう? さっぱり覚えてないけど」
「今のおまえがどう思うかを教えてくれ」
「それは嫌に決まっている。そんな国にはぜったいに近づかない。入ったら抜け出せなくなるなんて、まるで底なし沼じゃないか。最初から避けるようにしなきゃ、しようがないと思うんだ」
 そしてもし、うっかりと入国してしまえば、山羊はなんとしてでも審査を勝ち抜こうと考えただろう。牡牛は山羊が『愛されていた』ことを知っている。それは本当に障害があったせいだけだろうかと牡牛は思う。山羊にはあの国のの生活を受け入れる素養があったのではないか。
 ずっと面白そうに聞いていた射手が言った。
「俺はどうだろ。こうやって外から眺めるぶんにはクソ国家と言えるけど、中に居たらどう思っただろう」
 乙女が冷たく言った。
「まず定住生活を受け入れずに処刑。仲間の処刑に文句を言って処刑。決められた仕事をさぼって処刑。なにをしても処刑だ」
「ンな馬鹿な。少しは生き残れる可能性もだな」
「入国希望者として審査を受けた場合は、パフォーマンスがうまければ選ばれただろうが、そのあとはやはり、生活に馴染めずに処刑だ」
「嫌だそんなの。助けてくれ乙女」
「天秤に頼め。組んで革命を起こせ。うまくいけば生き残れる」
「天秤が居なきゃどうすんだよ!」
「死ね。堂々と」
 笑いながら牡牛は思った。自分ならば、と。



 雨の日が続くようになった。柵が完成したおかげで、小雨くらいならば外に出ることは可能だった。ただし柵の内側で出来る仕事は限られていた。畑を見回り、世話をし、罠をたしかめ、獲物がかかっていた場合は回収する。それでもずいぶん時間が余ってしまったので、牡牛と山羊はひたすら読書をした。建築の本だけではなく、小説や雑誌、漫画も読むようになった。
 あるとき牡牛は漫画を読んでいて、ふと気がつき、それを魚の檻に放り込んでおいた。魚はその本が好きだったことを思い出したからだ。しかし魚は漫画本に見向きもせずに、檻を揺さぶって吠えた。ずっと『食事』をしていない魚は、さいきん凶暴になっていた。
 夜間は乙女と蟹が働いた。公園に広く罠を仕掛けたため、それを見回ってくれるようになった。獲物に多かったのは猫だったが、それをどうするかについて、牡牛は蟹と議論しなければならなかった。逃がすべきか、食べるべきか。
 蟹は逃がすべきだと主張した。
「まだ食料に困っているわけでもないんだろう? いつかは食べなくちゃならないんだとしても、それは今じゃないと思うんだ」
 牡牛は反論した。
「捌けば保存できる。食い物が足りなくなってからじゃ遅い」
 理屈で言えば牡牛が正しいのだし、蟹もそんなことは分かっているのだ。ただ牡牛としては、蟹の気持ちも分かるのだった。だから無理に捌く気はなかった。
 しかし蟹は、自分の意見を引きとった。
「俺は勝手なことを言ってるな。犬を助けろとか、猫を助けろとか」
「そんなことはないけど。ただ罠で大怪我してるから、逃がしてもけっきょく死ぬと思う。だったら食べなきゃ勿体無い」
「ああ、俺は食べられない。どうしても可哀想で。うちでは猫も飼ってたから」
「そうか。じゃあ蟹には出さないようにする」
「ごめんね。勝手を言って」
「次にもし、怪我をしてない子猫を捕まえたら、飼おう」
 蟹は悲しげに、しかしきっぱりと首を横に振った。
「無理しなくてもいいよ。俺のワガママだってのは、わかってるから」
「そうじゃない。家畜にするんだ」
「食べるの?」
「食べてもいいけど、ネズミを取ってくれるかなと思って」
 不思議なことに猫はよく罠にかかったのだが、犬はいっさいかからなかった。どうやらこの世界においては、犬の生存能力は低く、猫や鳥のように数を増やして、生きのびることが出来ていないようだった。人に飼われた歴史の長さが、犬という種から、生きる力を奪ったのだろうと牡牛は思った。
 乙女は小屋を建てる場所を決めて、そこに基礎をこしらえていた。水平を計る段になって、水準器を探さなければならないと言うと、山羊が言った。
「透明なホースを探してきてくれ」
 そして山羊がこしらえたのは、ホースとペットボトルをつないで、接着剤で固めた水準器だった。ペットボトルを逆さまにして、底から水を入れると、ボトルの口につながれたホースに水が浸入する。ホースの先を高く持ち上げておけば、ホース内の水は、ボトル内の水位と同じ位置で止まる。それで水平を図ることが出来る。
 そうして四人が展望台の生活を固めるべく働いている一方、射手は外を飛び回っていた。射手は昼のあいだは、展望室内で『停止』をするようになったが、日が暮れると同時に動き出し、目の前の食事をかきこむと、風のように外に飛び出した。そうして帰ってくるのは夜明けぎりぎりだった。
 ただ射手の行き先は明らかだった。射手は帰るたびに様々なみやげ物を持ってきたからだ。最初は牡牛が駅の国に置いてきたスコップで、次に玩具、次に薬局の店先によく置いてある、大きな動物人形を持ってきた。
 ガラクタを持ち込むなと乙女に怒られて、射手はこう答えた。
「だって役に立つものはくれないんだよ。そういうのはみんなで分配するんだとさ」
 それで射手が駅の国に行き、天秤や牡羊の様子を見ていることがわかった。乙女は小言を言わなくなり、蟹は天秤と牡羊を案じて様子を尋ね、山羊は自分も連れて行ってくれと毎日のように言っては断られ、牡牛はなにも言わなかった。
 展望台の柵の外には、道路標識やら、大売出しののぼりやら、レジの機械やら、様々なガラクタが積みあがっていった。
 魚は漫画本に落書きをするようになった。