星座で801ログ保管庫出張所

地球最後の…55

「山羊はね、愛されていたよ。みんなに好かれていた。だから山羊に与えられた役割は、カウンセラーだった。みんな悩みごとがあれば、なんでも山羊に打ち明けていたんだ。だって山羊はなにを話しても真剣に聞いてくれるし、そして半日後には忘れてしまうからね。僕もよく山羊に愚痴を言ったな。山羊はいつだって僕に味方してくれた。たまには説教をくれることもあったけど。そして半日後には忘れてくれた」
 牡牛は首を横に振った。
「嘘だ」
「……それを言うってことは、山羊の体を見たんだね」
「ああ」
「僕の言っていることは嘘ではないんだ。山羊は愛されていた。わかるだろう? 山羊はどんな悩みを、苦しみを、感情をぶつけても、半日後には忘れてくれるんだ。なにをぶつけても。これ以上言わせるのかい」
「いや、いい。おまえじゃなかったんだな」
「体の傷のことなら、僕はそんなひどいことはしないよ。他の連中は知らないけど」
「止めなかったのか」
「なぜ? 何度も言うけど、山羊は本当に好かれていたんだ。ふつうは障害を負った人間は、まっ先に処刑の対象になるんだけど、山羊だけは別だった。みんな山羊の障害を必要としていたんだ。あのストレスの多い集団の中で、山羊はいちばん優しい人間だった。どんな罪も忘れてくれるから」
 なるほどと牡牛は納得したが、蟹が溜息混じりにそれを否定した。
「そんなことは山羊の意志じゃないだろう。きみだって本当は嫌だったはずだ。友達がそんな、毎日のように、酷い目にあってるなんて」
「うん。だから魚といっしょに山羊を逃がしたんだ。おかげでカウンセリングの仕事を僕が受け持つことになってね。だからまあ、こんな格好もするようになったんだけど」
「酷いな」
「そうだね。僕は外の世界で、魚と山羊がどうなるかを……」
「ちがう。俺は、天秤が可哀想だと言ってるんだ」
 蟹の言葉に、天秤は首をかしげた。
「僕が?」
「きみは自分を責める必要は無い。少なくとも俺には、きみを責める資格は無い」
 天秤はまったく穏やかに微笑んでいた。まるで言葉のやりとりとは逆に、天秤の方が蟹を慰めようとしているかのようだった。
「僕はこの国で、人を殺して、『食事をして』、生きてきたんだよ」
「その『罪』と似た罪を、俺も持っているんだ」
「庇ってもらえるのは有りがたいけど、僕は僕の罪を否定するつもりは無い。僕は罪人だ。間違いなく」
「あのね天秤。俺は君を悩ませ苦しめたこの国の連中を、許すことが出来そうにないんだ」
「……」
「魚のために、良い狩り場ができたなって思ってる。彼は最近、飢えてきてるから」
 牡牛よりも前に、射手がその発言を咎めていた。
「いや待てよ蟹。この国はこれから変わるらしいから。そこまでは勘弁してやれよ」
「無理だ。天秤も山羊も、牡羊も魚も、そして牡牛も、こんなくだらない、馬鹿馬鹿しい、最低な国ゴッコに苦しめられて、傷ついて……。許せない」
「まあそのへんは俺も賛成だがな。本当にひでえ話ではあるんだ。実は多面的ほにゃららのやつが、山羊の記憶を探ったのよ。説明が難しいんだが、休眠中の情報を起動させたわけだ。そしたら山羊のやつ、とんでもないことになっちゃって」
「ああ、毎晩の」
「うん。まあ連中の気持ちは分かる。山羊は新しいことは記憶できないけど、毎日繰り返していることは、習慣として覚えておくことが出来る。ってことはだ。心はいつまでも何も知らないままなのに、体はどんどん慣れていくんだな。そしてそんな自分の体に、山羊は戸惑ってたりしたんだろうな。相手のほうは楽しかっただろうなあ」
「射手!」
「気持ちは分かるって話だよ。実際にやるかどうかは別にして。人間って弱いもんよ? で、山羊はなんか、淫魔の幻覚とずっと戦ってるような状態になっちまった。映像でも音でもない、感覚の記憶だけが暴走してるかんじだ。そういう山羊にとっちゃ意味不明な記憶の断片に理由を与えるために、ロングヘアのほうが恋人を演じてた。……そういうわけで牡牛、誤解は解けたか」
 牡牛は頷いた。
「ラプンツェルに謝っておいてくれ」
「もう伝わってる。で、どうする。ここの連中を許すか、許さないか」
 なぜそれを自分に聞くのだろうと、牡牛は思った。



 牡羊と天秤は、駅の国に残ることになった。革命の事後処理があるので仕方がなかったのだが、牡牛はしつこく天秤を誘った。しかし天秤は、首を縦に振らなかった。ただ落ち着いたら展望台に遊びに行くとだけは約束してくれた。
 そして牡牛は帰宅した。展望台に帰り着いたとほぼ同時に、夜が明けた。牡牛を待って朝を迎えた乙女はひどく眠そうで、徹夜をしていた山羊もひどく眠そうで、蟹も牡牛も眠かったので、そのまま皆で眠り込んだ。射手は夜明けと同時に動きを静止させた。魚も檻の中でじっとしていた。二匹の犬だけが退屈そうに、彼らのまわりを動き回っていた。
 夕方、最初に目覚めたのは山羊で、彼は必死になって牡牛を起こした。目覚めた牡牛は食事をこしらえ、その音につられて蟹も起きた。乙女は目覚めはしたものの、食事を断ってまた眠りについた。
 やがて夜が更け、射手が動き出した。
「メシの匂いがする!」
 と射手は言って、食事の残りをうまそうに平らげた。
 そしてやっと乙女も起きたので、牡牛は、ことの顛末を説明した。
 乙女は激しく怒った。狂った国とその国民に対して、ありとあらゆる批判と非難のことばを吐いたのちに、射手を責めた。
「そんな危険な場所に、なんの情報も与えずに、どうして牡牛を行かせたんだ!」
 射手は飲んでいたコーヒーを床に置くと、乙女に向かって頭を下げた。
「ごめんなさい」
「許さん! 謝るよりも釈明しろ! 釈明できなかったらやはり許さん!」
「あいつらは、牡牛をすぐには殺さない。それは分かってたから、夜の間に助け出せばいいと思ってた」
「死ななければ良いというものじゃない! 牡牛を使うのではなく、おまえ自身が牡羊と天秤を助け出そうとは思わなかったのか?」
「牡羊は俺のアクセスを受けつけてくれなかった。あいつは混乱の固まりだった。困って、寂しがってた。だから牡牛をぶつける必要があったんだ。ってのは、あいつは魚と旅をしながら、昔の仲間を探していて、特に心配してたのが牡牛のことなんだ。このへんはよくわからないんだが、あいつはこう思ってる。体育館で牡牛の手を離してしまった。牡牛を置いて走り出してしまったって。意味分かるか牡牛」
 牡牛は体育館での出来事を思い返しつつ、戸惑った。
「いやしかし、それは……。俺が勝手に逆に走っただけで」
「分かるんだな? 牡羊はそれを気にしてるって知ってたから、牡牛をぶつければ一番いいと思った。混乱が静まれば隙ができる。もっと強引に牡羊の記憶を探れる。牡羊はあの国での記憶を隠してるんだ。それはあいつにとって、苦しみや、悲しみや、悔しさや、屈辱なんだ。だから拷問の記憶も知らなかった。ごめん牡牛」
 深々と頭を下げられても、牡牛はすぐには頷けなかった。射手を許せないからではなく、射手の語る牡羊の心が、信じられない気がしたからだ。あまりにも牡羊らしくて。