星座で801ログ保管庫出張所

地球最後の…54

 出会った時はマネキンで、次に美しい少女だった天秤は、微笑んだ。
「僕のこと、いつ気づいたの」
 牡牛は思い出そうとして、顔をうわ向けて考えた。
「最初は完全にマネキンだと思っていたな。でもおまえが人形のふりをやめて、動き出したとき、ああ天秤だなと思った」
 天秤はやっと、驚きの表情を見せた。
「そんな最初から。なんで」
「だって文化祭でやってたじゃないか。女装。あれは洒落にならなかったな」
 天秤は、懐かしそうな顔をした。
「忘れてたな。そんなこともあった。僕はまた、きみが気づいてくれてないと思ってて、必死だったんだけどね」
「実は、俺を見捨てる気なのかなと思ってた。だったら気づいてないフリをしたほうが良いと思って。でも助けてくれたんだな。ありがとう」
「礼を言うのはこっちだ。おかげでやっと……」
 不自然な会話の中断は、天秤らしくないなと牡牛は思った。
 天秤はうつむき、次に顔をあお向けて、泣くのをこらえようとしていた。
 やがて諦めたらしく、微笑みながら涙を流した。
「駄目だな。もう無理だ。まともな生活なんてどこにも存在しない。いったいこの世界は何なんだろう」
 牡牛は「そんなことはないと思う」と答えた。「まともな生活はできるけど、まともじゃない世界なんだと思う」
「僕にはまともな生活さえ無かったよ。最初はみんなただ、あのゾンビたちから隠れて暮らしていただけなんだ。でも次第に、みんなおかしくなっていって。少しづつ、少しづつ。僕はいつのころからか、こんなのはおかしいと思うようになった。でも現実は止まらないし、僕もその現実をつくっている一人なのだし……」
 国家の成立について語っているのだと分かった。
 だから牡牛は黙って、天秤の話の続きを待った。すべての謎を知るために。
 天秤はいちど涙をぬぐうと、淡々と語った。
「僕は山羊とここに逃げ込んでね。最初は本当に大変だった。山羊は障害を負ってしまうし、ゾンビは次々と沸いてくるし。やがて残った無事なものたちで、助け合うようになった。ルールをこしらえて、食料と物資を平等に分配して、平和に暮らしていたんだ。そして牡牛の予想とは逆に、食料は尽きなかった。種類は減ったし、量も少なくなったけど、ちゃんと食べていくことができたんだ。だから僕らは苦労して農業をしたり、危険な狩りをする必要がなかったんだよ。なぜだかわかるかい?」
 牡牛は頷き、「たぶん」と言った。
 天秤は寂しげに目を伏せた。
「そう。なら、もうわかるよね。なぜ僕らには、処刑が必要だったのか」
「ああ」
「牡羊は狩りの名人だったらしくて、あるとき、この建物に逃げ込んだ獣を追って、入国してしまった。そして牡羊に守られながら旅をしていた魚も、牡羊を追って入国してしまった。そして牡牛の身に起こったのと、同じことを体験した。僕は山羊と相談して、二人を助ける方法を考えなければならなかった。ひとつだけ、ろくでも無いアイデアが浮かんだので、それを実行することにしたんだよ。
 そして彼らは第三の審査を受けた。牡羊のアピールは痛快だった。彼はこの国をクソだと言った。こんな国の人間になるくらいだったら死んだほうがマシだから、自分には投票するなと言ったんだ。嬉しかったな。彼の変わらない健全さが嬉しかった。魚のほうは、審査が始まるまでは酷く泣いてたんだけど、始まってみると堂々としたものだった。でも魚が主張したのは、牡羊の素晴らしさだった。彼が狩りの名人で、ゾンビに対してどれだけ強いかを語った。だから牡羊を選んで欲しいって。本当に、魚も変わってなかった。変わったのは僕だけだ。
 実際に審査で選ばれたのは牡羊だ。魚は処刑されることになった。だけど僕はそこで、魚に悪戯をしたんだ。囚人部屋に忍び込んで、魚の、髪に隠れて見えないところに、おもいっきり噛みついて、噛み傷をこしらえた。そして処刑係にその傷を見せ、彼はゾンビだから処刑はやめて、凶暴化しないうちに追い出してしまおうと言った。うまくいったよ。魚は解放された。
 だけど牡羊はね。国に馴染んではくれなかった。魚が解放されたことも知らずに、魚を返せと言って暴れ続けた。そしてそのうちに一人の愚か者が、牡羊に、処刑の意味を教えてしまったんだ。それで牡羊は狂った。毎日の食事を拒否するようになって、言葉も喋らなくなって、暴れることも、動くこともなくなった。狂った国に閉じ込められたまま彼は姿を白く変えていった。僕は隙を見て彼に教えたよ。魚は生きている、生きてどこかに居るって。
 牡羊が脱走したのはその次の日だ。ふだんはどこをさ迷ってるのかは知らない。ただときどき国に帰ってきては、皆を殺戮した。彼はそうやって魚を探しているんだと思う。自分を鬼の姿に変えて、怒りのままに復讐しながら。
 審判は僕らに、牡羊の行方を探すことを命じた。牡羊が来るのは必ず夜だ。昼間の寝ぐらを探し当てて、やっつけてしまおうという計画だった。けど僕は、仲間と相談して、見つけた牡羊を倒さないようにしようと約束した。革命に利用するためだ。そして運良く、審判派の連中よりも前に、牡羊の居所を発見することができた。あとは機会を待つだけだ。
 牡牛がここに来たときに、僕は思った。これが最後のチャンスだって。ここでまた友だちを救うことができなければ、僕はもう生きている価値が無い。牡羊は僕のことも怒ってるだろうけど、相手が牡牛なら、攻撃しないんじゃないかと思った。だから仲間に頼んで、牡羊の寝ぐらに牡牛の荷物を投げ込んでもらった。そうして彼を呼び寄せることにしたんだ。
 ちなみに審判派の連中がのろしをあげた時は、僕は見張りとして外に立ってたんだ。射手をつかまえて追い返すためにね。けど射手が来たのは、夜になって、僕が建物の中に引き返そうとしたときだった。吃驚したよ。射手の姿にも、一緒に来た蟹にも。だけど僕は考えた。もしも牡羊が映画館に来てくれなかったら、かわりに射手を白い鬼として利用しようって。幸いなことに射手は狂ってはいなくて、僕の話が通じた。だから建物の中に引き入れて、待っていてもらったんだ。
 そのあとすぐに映画館に入って、僕は三人の生贄の演説を聞いた。牡牛、僕はきみに投票したんだ。きみが友だちだったからじゃない。きみの主張が素晴らしかったからだ。まったく正しくて、僕はこの国に生活するようになって以来、あれほど素晴らしい演説を初めて聞いた気がした。そう思った人間は僕だけじゃない。少なくとも僕の仲間は、みんなきみに投票したと思う。
 まあそういうわけで、僕は勝った。この国も少しはまともに……」
「待て」と牡牛は言った。「おまえは隠し事をしている」
 天秤は目を見開いて、牡牛を見上げた。
「僕はなにも」
「山羊の話がごっそり抜けている」
「ああ山羊か。魚と一緒に国を脱走させたんだ。国の皆には行方不明だと思わせてあった。記憶が切り替わった瞬間に外に迷い出てしまって、そのまま帰ってこれなくなったんだろうと説明して……」
「違う。それ以前のことだ。まだ聞いて無いのか? 魚と山羊はいま、俺たちといっしょに居るんだ。乙女も居る。犬も二匹居る。みんなで一緒に住んでる」
 天秤は息を呑んでいた。
「うそ」
「本当だ」
「みんな無事なの?」
「無事じゃない。山羊は記憶の障害。魚は腐ってはいないけど、脳がゾンビになってる。乙女はからだが腐ってるけど、脳はまともだ。蟹は」
「俺は乙女と似てる。噛まれてるけど心は……、まともじゃないのかもしれないけど、まあ狂ってはいないと思うよ」
 そう蟹が言うと、天秤は人形のようにぎこちなく首をまわし、蟹を見て、射手を見た。
 射手は頭をかいた。
「俺も白いけど頭はまともなつもりだ。馬鹿なのは変わらねえが」
「それも、不思議だった。牡羊は、なんで……」
「牡羊はすごく混乱してて、俺らのアクセスを拒否してんのよ。こいつは別に狂ってねえよ。自分を押し込めてるだけだ。天秤にムカついてるわけでもない。ただ魚が心配なだけだ」
 天秤は長い睫を数回ほど瞬かせ、やがて皮肉げに言った。
「きみたちは強いな。誰がどんな状態になっても、一緒にやっていけるなんてね。僕らには無理だった。噛まれた者は容赦なく追放したし、嫌われている人間は、月に一度の投票で処刑した。みんな自分が選ばれないように、びくびくしながら暮らしていたよ。表面は明るく楽しく、無害な人間を装いながら」
 牡牛はふたたび言った。
「山羊の話をしろ。その話が抜けている」
「必要なの?」
「たぶん」
「うん……。じゃあ話すけど」
 そして天秤はなぜか、優しいまなざしを焚き火に向けた。