星座で801ログ保管庫出張所

地球最後の…53

 牡牛の服の裾を、少女が引っ張っていた。
「なによあれ! いったい何なの!?」
「俺の友だちだと思う」
 少女の手を丁重にほどき、人々の流れとは逆に、牡牛は舞台を降りた。
 牡羊は勇気ある国民に攻撃されていた。棒で殴られていたが、牡羊は痛みも感じていないような無表情で、片手で棒に触れ、それを消失させてしまった。別の者が鉄パイプのようなものを持って殴りかかったが、牡羊は殴られながら、鉄パイプの持ち主の手に触れ、そこを手首まで消失させてしまった。
 周りに響く苦痛の呻きも聞こえぬように、牡羊はゆっくりと辺りを見回した。なにかを探すような動きだった。
 牡牛は牡羊を呼ぼうとした。その途端、ぐいと腕を引っ張られた。
 審判の男が、牡牛の腕を引いて睨んでいた。
「逃亡は許さん」
 そんな場合かと牡牛は思い、男をおもいきり殴りつけた。
 そのあいだに牡羊はまた飛んでいた。舞台の上に着地し、そこにいた痩せた男を邪魔そうに突いた。男は突かれた腹を円形に消しながら吹っ飛び、群れていた人々をなぎ倒した。
 牡牛のほうは、数人の男に取り押さえられていた。腕をひねられ、客席の背もたれに胸を押し付けられながら、必死で叫んだ。
「牡羊! 牡羊っ! 俺だ!」
 ぴくりと、牡羊が反応した。そして首を傾げる。
 牡牛はふたたび叫ぼうとして、口を押さえられた。
「呼ぶな馬鹿っ! こっちに来るだろ!」
 しかし牡羊はもう、牡牛たちの方向に目を向けていた。また重さも無いような動作で飛び、牡牛のすぐそばに着地すると、まず牡牛の腕をおさえていた男を持ち上げ、投げた。次に口を押さえていた男の手に触れ、消失させた。そして最後に牡牛の胴を両手でつかみ、ひょいと持ち上げた。
 牡牛は高い高いをされる赤ん坊のような姿勢で、自分のからだが消えやしないかと冷や汗をかいた。
 牡羊はじいっと、それこそ穴のあきそうなほど、牡牛を見つめていた。赤い瞳に牡牛を映し出しながら、やがて牡羊は、にいっと笑った。笑いながら言った。
「お……し」
 そして牡羊は腕を下げ、そばの客席に牡牛を座らせた。それから急に振り返り、両手を広げる。
 牡牛からは、牡羊の背中に、刃物の刃先が生えたように見えた。つまり何者かが牡羊のむこうから、長い刃物で牡羊を突いてきたので、牡羊は牡牛をかばったのだ。
 牡羊はしかし、刃物を背中まで貫かせたまま、周りの人間を突き飛ばしつつ、すたすたと歩いた。また舞台の上に立つと、周りを見回す。やはり、何かを探すように。
 牡牛は座席から立ち上がり、また牡羊を呼ぼうとした。
 しかしそれより前に、自分の名前を呼ばれた。
「牡牛! こっちだ、こっち!」
 声のほうを向くと、映画館の奥に、見覚えのある二人の人物が立っていた。一人は牡牛にカップラーメンを運んでくれた若い男で、もう一人はマネキンの少女だった。
 わけもわからぬまま、牡牛はそちらに走った。そしてたどり着くと同時に、男が叫んだ。
「みんな聞け。これは革命だ。俺は鬼の力を利用できる。死にたくなければ俺の言うことに従え。死にたければ鬼に殺されろ!」
 そしてマネキンの少女が、牡牛に言った。
「牡羊を呼んで」
 牡牛は牡羊を呼んだ。必死に叫ぶと、牡羊が反応した。広い客席をいっきに飛び越えて、すとんと牡牛の前に立つ。そうして体中に生えた刃物を抜き取ると、ぽいぽいと投げ捨てていた。牡羊の体には白い穴があいていたが、牡牛の見ている目の前でふさがっていった。
 牡牛は恐ろしかったが、これは自分の知っている人間だと信じて、牡羊に語りかけた。
「牡羊、俺だ。俺が分かるか」
「……」
「なにか探してるのか。俺もそうなんだ。俺はおまえを探してここに来たんだ」
 牡羊が身をかえしかけたので、牡牛はあわててその背中にかきついた。
「行くな! 待て、聞いてくれ最後まで」
 そして革命を叫んだ男の方は、場内に向かって、大声で指示を続けていた。
「俺に従うものはまず、審判を拘束しろ! それから審判に従うものも拘束するんだ! この中にはすでに俺の考えに同意している者が多く居る。抵抗は無意味だ。早くしろ!」
 牡牛はその声を聞きながら、どうやら自分は助かったようだと感じていた。つまりこの若い男は、この狂った国を改革する計画を、前々から立てていたのだ。ただタイミングがつかめずにいたが、牡牛がこの白い鬼の友人であることを知って、それを利用することにしたのだ。
 そういうことを考えながら、牡牛は牡羊を引きとめ続けていた。牡羊を全力で抱きしめていたのだが、ある瞬間、牡牛の手はあっさりとふりほどかれた。そして牡牛は逆に抱きしめかえされていた。
「……お。……お、し!」
 カタコトで牡牛の名を呼ぶ牡羊の表情は、実に嬉しそうだった。牡牛は蟹の犬が、エサをもらって尻尾を振っているときの様子を思い出しつつ、このまま牡羊に抱き潰されはしないかと青ざめていた。
 やがて牡牛はまた、マネキンの少女に指示を受けた。
「牡羊を連れてきて」
 言うなりすっと歩き出した少女の姿に、牡牛はあわてた。
「待ってくれ、連れて行くといっても」
 少女は返事もせずに、映画館のドアをくぐって行った。
 牡牛は溜息をつき、牡羊に向き直った。牡羊から身を離すと、その手を取り、引っ張った。
「牡羊、行こう。俺と行こう。俺と行くんだ。さあ行こう」
 ぐいぐい引いていると、牡羊は首をかしげた。
「いく?」
「行くんだ。俺と行く。おまえは俺についてくる」
「いく」
 牡羊はまた牡牛を抱くと、飛んだ。映画館のさらに奥の、出入り口に向かって。
 暗い廊下に着地すると、そこに少女が立っていた。牡牛はジェットコースター降車後のような気分で、眩暈をおこしていたのだが、少女は牡牛を冷たく見ると、またさっと歩き出した。
 牡牛は必死で、牡羊に歩くことを教えながら、少女の後を追った。
 長い通路を歩き、階段をふたつほどあがると、外に出た。そこは大きな広場だった。夜空の下、広場の中央には焚き火が燃えていて、そこにまた見知った顔があった。
 蟹と射手は、こちらの姿に気づくと、急いだようすで駆け寄ってきた。蟹は牡牛の手を取って握り締め、「ああ、良かった!」と言った。
 牡牛は幸せな気分で蟹の手を握り返しつつ、射手を見た。
 射手は牡羊の前に立ち、じっと牡羊を見つめていた。その無言の冷たい表情を見て、牡牛は思った。またあっちの射手なのかと。
 しかし射手はにこりと笑い、片手をあげると、牡羊の肩をぽんと叩いた。
「無茶するなあ、おまえ。体が光で焼かれてるぞ。ぼろぼろだ」
「……い」
「射手だよ。わかるだろ。ああ大丈夫だ。ここにはおまえの味方しかいない」
 その射手の言葉を聞いて、牡牛は、あることを確信した。
 だから乙女から身を離すと、マネキンの少女に向かって言った。
「それで天秤、なんで女装してるんだ」