「俺はここに来る前に、カップラーメンを食べてきたんだけど……」
なぜか客席が沸いた。笑いの渦の中で牡牛は首をかしげていた。何が面白かったのだろう?
「カップラーメンを食べてきたんだけど、それで思ったんだ。ここの客席に居る人は50人くらいだろう? で、そのすべてが国民だろうから、計算が合わなくなるなって。一人が一日に一個づつラーメンを食ったとして、一ヶ月で1500個、一年でええと……、1万8千個いるのか。1ダースで割ったら1500ケース。この辺にはたしかに、スーパーとかデパートとかがあったらしいけど、1500ケースもラーメンを仕入れるところなんて、あるわけがないだろう。ここは服とか、道具とか、女の人の化粧品には困らないんだろうなってことはわかる。けど食料は別だ。50人もの胃袋をずっと満たしていくのは大変だ。だからこその人数制限なんだろうとも考えたが、それでも変だ。一ヶ月に一回の審査で、一人ずつ国民を増やしていけば、一年で12人も増える。12人って大変な人数だ。どうやって国民の人数を削っているんだろう。そこにもルールがあるんじゃないか。国民が増えたら、別の国民を減らすようなルールがあるんじゃないか。――で、ここまで考えて、よくわからなくなった。俺はまだ世界がこうなるまえの価値観を持ってて、人をむやみと苛めたり、殺したりってことには抵抗があるんだが、そうせざるをえない状況ってのは有り得るんだし、ましてや今の世界のこの状態で、必死で生きてる人々を責めることなんて出来ない。出来ないが、なんとなく、この国は、このままじゃ滅びるんだろうってことはわかる。国民に選ばれることが幸せとは限らないんだろう。
だから選んでもらえるんだったら、俺が考えることはひとつ。そのルールとやらを変える。変えるための方法もある。俺の予想通り、ルールの出来た理由が食糧不足だったら、そこを改善することを提案する。ていうか、なんでそうしないんだ。外はたしかに危険だけど、俺や、そこの大工の人や、そこの女の子だって生きて来れたんだぞ。50人もいればいろんなことができるだろう。アスファルトを引き剥がしたら土が出るから、それを耕してもいいし、山から猪とかが降りてきてるから、それを狩ってもいいし、別の食料品がありそうなところを探索してもいい。なんでそうしないんだ。俺はそれが不思議だ。ゾンビが怖いのか? あいつらは夜しか活動しないから、暗闇さえ気をつければなんとかなる。野生動物が怖いのか? 犬でも飼えばいい。それ以外に理由があるのか。だったらそれを教えてくれれればいい。人を増やすってことは、知恵を増やすってことだ。せっかくの知恵を殺すなんて馬鹿だ。俺はできれば、大工の人と、そこの女の子だって殺すべきじゃないと思う。まあ理由があるんだろうけど、その理由だってはっきりしないから、何とも言えない。俺の意見は以上だ」
牡牛が狙ったのは、時間稼ぎだった。しかしもともと喋るのが得意というわけではなかったので、言うべきことが尽きてしまったのだ。
牡牛は日暮れまでに帰宅することを告げていたから、のろしの有無にかかわらず、乙女か蟹が来てくれる筈だという思いは有った。ただのろしが無い場合、乙女などは見た目だけで外敵と判断されて、即座に攻撃される可能性もある。それが心配だった。
味方を期待しつつ案ずるという、ぎりぎりの状態の牡牛に、少女が話しかけてきた。
「投票、始まっちゃいましたね」
牡牛は客席を見た。人々が列を成していた。手に札のようなものを持っている。それが投票用紙なのだろう。
少女は寂しげだった。
「私だったら、あなたに投票する。庇ってくれてありがとう」
しかし礼を言われても、牡牛はまだ、少女に対する疑いを消せずに居る。牡牛は良心を疼かせつつ、口先だけのことを言った。
「生き残られればいいな」
「わたしは死んでもいいの」
「……」
「でも子どもが欲しいのは本当」
「ええと……」
「もしあなたが選ばれて、私も生き残らせてもらえたら、あたしとつきあってくれませんか? 短い間だけだけど」
牡牛は呆れながら感心した。女は強いな、と思ったのだ。
しかし二人の小声の会話に、元大工の男が、ひょいと割り込んできた。
「残念ながら、その可能性は低いぜ」
少女は眉をひそめた。
「どうして? そんなに低くは」
「低い。あんたは阿呆な男の同情票はもらえるが、女の票はもらえんだろう。賢い男と女は、俺に投票する。坊やはアウトだ」
「逆じゃないの。同じ理由で、この人が投票されるかもしれないじゃない」
「無理だなあ。坊やはこの国のタブーをつつく発言をしちまった。あまり賢いことを言うべきじゃなかったな」
そうだろうなと、牡牛は思った。分かっていて言ったのだ。
男はにやにやと笑いながら、あごを撫でさすっていた。
「まあこの国に阿呆が多けりゃ、あんたが選ばれるって可能性もあるぜ」
「あなたが選ばれても、私、あなたとはつきあいたくないわ」
「そう言うな。俺は優しいんだぜ」
「ねえ牡牛さん。あなたなら誰に投票した? 私か、このおじさんか」
牡牛は口を開きかけ――
しかし言葉を発する前に、耳に響いた大きな声が、牡牛の思考をかき消してしまった。
声は映画館の奥の、出入り口から響いてきた。
「鬼が来た! 鬼だ!」
さっとそちらに目を向けた牡牛は、奇妙なものを見た。
扉の前で、男は叫んでいたのだ。両手で開いたドアを支えつつ、頭を場内に突き出して。その頭の上に、ぬっと三本目の手が伸びた。白い手は折れ曲がり、男の頭にさわった。
その途端、男の頭が無くなった。牡牛の目には、男の頭が溶けたように見えた。熱湯に落とした雪片のように、さっと散って無くなったのだ。
そして男の首から血があふれはじめた。体は頭部からの命令を失って、戸惑うように揺れたあと、くにゃりと倒れた。あきらかになったドア枠の向こう側には、一人の男が立っていた。上半身が裸で、髪は白く、皮膚も白い男が。
牡牛は最初、名無しのラプンツェルかと思った。しかしそれにしては髪が短いので、射手かと思った。しかし射手にしては小柄なので、どちらでもないことを知った。
場内は混乱していた。鬼だ、鬼だと叫びながら、舞台側に人々が逃げてきた。
新しいラプンツェルは、とん、と飛んで、客席の真ん中辺りに着地した。そして左右に居た若い男と中年の女の体に触れた。男の頭はまた砂のように散り、女もまた散った。音も無く、悲鳴も無く、動きも無く、ただ消えて無くなった。
牡牛は呆然と、明かりの下のラプンツェルを見つめた。彼は牡牛の知っている男によく似ていた。牡牛が捜し求めていた男に。髪が白く、皮膚が白く、瞳は赤いが、それは牡羊に間違いなかった。