ざわざわと大勢の人が騒いでいる。牡牛はその声の響きから、自分がホールのような場所に連れてこられたようだと考えた。はたして目隠しを外されてみると、牡牛は自分が映画館の舞台に立たされていることを知った。
客席に目を向けると、それほど広い場所ではなかった。収容人数が100人くらいの小さな映画館で、座席は半分ほどが埋まってる。そこに座った人々は、はしゃいでいた。それこそ映画の上映でも待っているかのように、お喋りに興じている。
そして牡牛は、自分が何によって客席を見たか、ということを悟り、驚愕した。ここには電気の明かりが灯っていたのだ。天井に電灯がぶら下がって、ぴかぴかの真っ直ぐな光を放っていた。舞台の周りには電気スタンドが立っていた。懐かしい科学の灯を目にしながら、牡牛は、山羊のことを思い出していた。山羊の欲しがっていた発電機がここにはあるらしい。貴重な物品であるそれを、しかしここの人々は、奇妙な娯楽のために、惜し気もなく使用している。処刑の観劇に。あるいは、捕虜の拷問に。――そのことが牡牛に違和感を感じさせたのだ。
やがて舞台には、拷問師の男と、蜜の女が立った。この二人がどうやら審判のようだった。二人は今回の審査の参加人数、名前、年齢、性別を述べると、入国希望を出した順番に、審査を開始すると述べた。
そして一人の男が舞台の中央に引き出された。中肉中背の、40代くらいの男だった。男は笑顔で、背筋を真っ直ぐに伸ばし、客席を睥睨している。
隣りに拷問師の男が立った。彼は入国希望者をちらりと見やると、客席に向かい、審判としての説明を始めた。
「この男、まず身体に問題は無いようだ。なにかに噛まれた傷は無かった。正真正銘の人間ではある。ただ尋問の段階で、この男にはいささか問題があることもわかった。性格的にだ。この男は、集団に向いているとは思えん。自己主張が強すぎる。国民化させればかならず摩擦が起きる。俺は推薦しない」
聞きながら牡牛は、なるほどと思った。二人の審判がそれぞれの考えを述べ、投票結果を微妙にあやつることができるのだ。ということはあの二人は、この国の権力者でもあり、この審査は権力争いの舞台でもあるのだ。
牡牛の考えは、次の女の審判の態度で保証された。彼女は入国希望者をはさんで、男の審判の反対側に立つと、笑い混じりの声を張り上げた。
「性格が気にくわないから駄目ってのはフェアじゃないわね。もうちょっと国民の役に立つ情報を示しなさいな。――そうねえ。彼、自信家よ。自信家のセックスって、体は良くても心が良くないの。わかるでしょ? でもまあ、精力があって、元気でマメってのはわかるわね。でもそれって退屈よね」
男の審判は国民に信頼されているらしく、先ほどの説明は客席から、納得のような感心のような声を呼んでいた。女の審判は愛されているらしく、客席から笑いを呼んでいた。それぞれがそれぞれの持ち味を武器にして戦っているのだ。
次に、舞台には一人の少女が引き出された。青白い顔の、小柄な少女だった。態度は非常におどおどとしていて、落ち着きが無かった。
審判の男が説明をはじめた。
「心身ともに問題なし。性格は従順。俺が勧めるのはこの娘だ。いきさつが泣かせる。夫とともに旅をしていたそうだが、その夫を最近、亡くしたんだそうだ。一人になって、この国に来る決意をした。失った夫への愛を、変わりにこの国に捧げると言っている。良い決意だと俺は思う」
そして男の審判が説明を終えると同時に、女の審判が大げさに肩をすくめながら語り出した。
「やあねえ鼻の下伸ばしちゃってさあ。旦那が死んだからなんだってのよ。フリー確定の女が欲しいってか。やあねえ。あたし依存的な女って嫌いなのよね。男にくっついて腰振ってエサもらうなんて馬鹿でも出来るわよ。そんな女いらないわ。あたしはお勧めしない」
厳しいなと、牡牛は思った。男の審判が下心でもって少女を推薦していることを、牡牛は知っている。しかし女の審判の言い分は、弱い者には生きる資格が無いと言っているようにも聞こえる。それはこの国では正しい考え方なのだろうか。
そしていよいよ、牡牛についての説明が始まった。
「最後にこの男、……若造だなまだ。結論から言えば論外だ。性格や、ここに来るまでの過去が問題なのではない。この者はそもそも入国希望者では無かった。あの、白い鬼を探してここに来たんだそうだ。あの白い鬼とは友だちなんだそうだ。わざわざ鬼の仲間を身内に入れる必要がどこにある? 論外だ」
客席のざわめきを聞きながら、牡牛は首をかしげた。なぜに牡羊はここまで嫌われているのか。いったい牡羊に何があったのか。
考えている間に、女の審判が、ゆっくりと語り始めた。
「あたしも結論から言うと、この子をお勧めするわ。絶対にこの子にすべきよ。だって鬼の友だちってことは、鬼について詳しいってことでしょう? もっと情報を引き出さなきゃ。鬼についての情報をね。今回の三人の中で、いまこの国に一番役に立つのは、間違いなくこの子だわ!」
ざわめきを無視して牡牛は思考する。どうやら彼らにとって牡羊は、憎むべき敵であり、倒すべきものらしい。ということは牡羊は国民ではないのか。しかし彼らは国民以外の人間を、国の中に住まわせないのではなかったか。
舞台ではアピールが始まっていた。最初に紹介されていた男が、自分が生き残るべき理由を訴え始めている。
「誤解をされている。俺はすごく謙虚な男だ。自己主張が強いって、そりゃそうだろう。いきなり殴る蹴るされて、電撃を浴びせられたら、誰だって気をしっかり保とうとして、相手に悪態のひとつでも浴びせるもんじゃないか? そんなことさえされなければ、俺はすごく冷静だし、謙虚だ。もちろん単におとなしいってわけじゃない。おとなしいだけで生きていけるような世界じゃないだろう。腕っ節には自身があって、ゾンビ狩りならまかせろという感じだ。あと昔は大工をやってたから、建物を修理したりとか、家具や道具をこしらえたりとか、そういうのは得意だ。これだけ大きな建物を国にしてるんだったら、メンテナンスも大変なんじゃないのか。窓が割れたり、物が壊れたりしてねえか。そういうのも俺が居れば問題ない。というわけで、俺を選んでくれ。俺を選べば間違いない。甘ったれた女や役立たずのガキよりも、俺のほうが確実に役に立つ」
最初、牡牛は、男の主張に対して、『うちの展望台に来てくれれば良かったのに』などと考えていた。しかし最後に役立たずのガキと言われてしまったので、やはり来てくれなくて良かったと思っていた。
次に始まった少女の主張は、牡牛にとっては、驚くべきものだった。
少女は細い声を震わせながら、しかし自分の生き残るべき理由を、主張しなかったのだ。
「私は、いいんです。ほかの人を選んでください。死にたいわけじゃないけど、もしかしたら生きられるんじゃないかなって思ったけど、でもやっぱり無理みたい。外でだって、どうせ私一人じゃ生きられないし、ここでもし選んでもらえても、私みたいな弱い人間は長く生きられないと思うんです。ただ、もし良ければ、私を選ばなくてもいいから、私の子どもは助けてやってくれませんか。妊娠してるんです。その子を産んでからだったら、私はどうなってもいい。子どもには何の罪もないから、良かったら、助けてあげてください。おねがいします。おねがいします。私、こんな世の中になる前から、すごくいじめられてて、自信が無くて、でもそんな私でも、好きになってくれて、助けてくれる人が居たから、もうそれで充分なんです。殺されたって恨んだりしません。でももし、選んでもらえたら、出来ることはなんでもするつもりです。ていうか、それしか出来ないもの。でも駄目だったら……。おねがいします、子どもを助けてください」
牡牛は心の底から少女に同情した。自分が客席に居たら、この少女に投票するのではないかと思った。それは実質、助ける人間がひとりではなく、二人に増えるということになる。しかしもし少女を犠牲にしてしまえば、自分は同時に、人間として必要ななにかを犠牲にしてしまうような気がしたのだ。
しかしと、牡牛は思う。
本当だろうか?
少女の腹はふくらんでいない。初期なのかもしれないが、もし嘘だとしたら。晴れて国民になったあとで、誰かと寝て妊娠してしまうことを狙っているのだとしたら。また国民になれなくても、延命さえされれば、逃げられると思っているのだとしたら。
牡牛は自分の黒い思考がつくづく嫌になった。
やがて舞台に引き出されて、牡牛は、主張を始めた。