星座で801ログ保管庫出張所

地球最後の…50

 この国の状況は、かつての蟹と似ていると思えた。
 蟹もかつて、自分の財産を守るために、人間を殺し、犬に食わせるまでやってのけていた。ただそれは先に財産を奪われたからで、蟹が積極的に殺しを望んだわけではない。そこは決定的に違うが、状況は似ていた。大切なものを守るために敵を殺す。牡牛は幸運にも蟹の友人であったので、蟹の敵にはならずに済んだが、今はこうして、顔も知らない人々の敵と判断されてしまった。
 牡牛は寝返りを打ちながら、今の考えを否定した。いや、それは違うと。
 なにかが決定的に違う気がするのだ。あの拷問師の男と蜜の女は、それなりに筋の通ったことを言っていたような気もするのだが、どこかに違和感を感じた。それがどこだったか、牡牛は思い出そうとしていた。しかし必死に考えても分からず、頭が痛くなったところで、ドアの開く音を聞いた。
 始めて見る若い男と、若い女が入ってきた。男は手にランプを持ち、女は盆を持っている。盆の上にはカップラーメンがひとつ乗っていた。
「食事だ。食えよ」と男は言った。
 牡牛は盆の上からカップ麺を受け取ると、じっと女のほうを見つめた。そして気づき、ああと声をあげた。
 男が笑った。
「そういやおまえ、こいつを追いかけてこの国に入ってきたんだってな」
 牡牛はさっと考えて、頷いた。
「マネキンが動いたんでびっくりした」
「こいつは見張りをやってたんだ。誰か勝手に入ってきたりしねえか」
「言ってくれれば良かったのに。勝手に入ってくるなって」
「おまえこそ入って来なきゃ良かっただろ。さっさと逃げれば良かったのに、なんでこいつを追ったりしたんだ」
 牡牛は心中で溜息をついた。拷問で口を割らせ、色仕掛けで口を割らせ、最後には雑談で口を割らせる気かと思ったのだ。しかしその考えを顔には出さず、べつに隠すことでもなかったので、普通に説明を行った。
「だって、危ないじゃないか。俺は建物の中に国があるなんて知らなかったから、暗い場所には腐ったの……、ゾンビがいるから、早く助けなきゃ危ないって思った」
「そんだけ? 久しぶりの女に興奮したとかじゃねえのかよ」
「マネキンを見たとき、きれいだなとは思ったけど。マネキンに興奮なんてしないし、マネキンが動き出したからって興奮なんかしない」
「ホモか?」
「ちがう」
「食えよ。最後の食事になるかもしれないんだ。味わって食え」
 牡牛はラーメンをひとくち啜り、それから首をかしげた。
「最後の食事ってことは、審査って今夜なのか」
「ああ。おまえは本当に運が悪いんだよ。可哀想なくらいだ。第三審査はひと月に一回あって、その日は国の祭りなんだけど、おまえはまさに、その当日にここを訪れたってわけさ。せめてもうちょっと前に来てたら、審査への対策を練れたのにな」
「自己アピールだっけ」
「あんまり意味ねえぞ。どちらかといえば、審査の日までに、審判の二人に気に入られることの方が重要だ」
 会話の合間にも、牡牛はラーメンを食べ続けた。麺を食いきり、汁までぜんぶ飲み干して、牡牛はごちそうさまを言った。空いた容器を盆に置くと、女が奇妙な目で牡牛を見ていた。じいっと、牡牛の姿を透かし見るかのように。
 男が気づいて、女に言った。
「おまえを助けようとして、おまえのケツを追って入国して、死にかけている男に対して、なんか言うことはねえのか」
 女はひたすら牡牛を見つめて、黙って首を横に振った。
 男はなにか、気に入らないような、納得できないような、そわそわとした様子を見せた。
「ううん……、あのよ。これはルール違反なんだけど、ひとつ教えてやるよ。おまえがあんまりにも可哀想だから」
「なんだ?」
「おまえのライバルはふたり。一人は男で、一人は女。いまのところ人気があるのは女だな。でも男の方が手ごわいと俺は見てる」
「ライバル?」
「入国希望者だよ」
 牡牛は驚き、うろたえた。
「待て。じゃあ、審査ってのは、その人らと争って、負けた者が処刑されるって意味なのか?」
「知らなかったのか?」
「知らなかった」
「じゃあ教えて良かったな。おっさんが一人と、かわいい女の子が一人だ。おっさんは喋りが上手くて、女はおとなしい。このくらい教えておかないとフェアじゃねえわな」
 ということは、その情報さえ教えておけば、審判はフェアなのだと、男は信じているのだ。誰が負けて処刑されようが、誰か生き残ろうが、それは必然なのだと思っているのだ。
 牡牛は苛立ちを感じたが、黙っていた。
 そして男と女が出て行ったあと、牡牛は頭を抱えた。
 自分ひとりならば良かった。それならば全ては自分の責任だ。生きようが死のうが仕方が無い。だが自分が生きるために他人を犠牲にするのは嫌だった。その人々は牡牛の敵でもなんでもない、ただの人間だからだ。
 牡牛は葛藤した。死ぬわけにはいかない。死にたくない。しかし死なないために殺したくはない。なんの罪もない人を。
 牡牛は苦しみ、悩んだ。そうするうちに日が暮れて、部屋は真っ暗になった。
 やがて部屋の扉が唐突に開かれ、数人の男たちが入ってきた。彼らは牡牛に目隠しをし、手をしばると、立ち上がらせ、言った。
「審判が始まる。行くぞ」
 牡牛は思った。のろしは上げられただろうかと。