「答えろ。我が国のことをどこで知った」
うまく思考が回らなかったが、牡牛は必死だった。身を守るためというよりも、あの強烈な痛みを避けるために。
「あんたの国ってのがわからない。初めて会ったのにわかるわけがないだろう。知らない。知らないんだ。本当だ」
「友だちを探して駅に行った?」
「そうだ。駅で、女の子を見かけて、追いかけてるうちに殴られた」
「友だちを探して駅に行った。その友だちとは誰だ」
「名前は牡羊。駅に居るって聞いた」
牡牛は自分が失敗した事を知った。男の顔色が急に変わったからだ。男は牡牛が今言った、『牡羊』の名前をつぶやくと、くいと顎を差し出し、隣りの男に指示を出した。
そして牡牛はまた苦痛にまみれた。今度の痛みも激しく、また長かった。体中の神経が焼き尽くされるような、生きたままミキサーで引き裂かれるような苦痛ののちに、解放され、牡牛はがくりと首を落とした。
次の男の言葉を、牡牛はほぼ無意識の状態で聞いていた。
「貴様は牡羊のなんだ」
何度も言っているのに、どうして聞いてくれないのかと牡牛は思った。
「友だち……、俺の」
「牡羊を探してここに来たのか」
「……」
「牡羊がここに居るとなぜわかった」
「……っ、う」
「言え!」
「……射、手。言ってた……」
「射手というやつが言ってたのか」
牡牛は頷いた。
男はまた指示を出した。牡牛はふたたび水を浴びせられたが、牡牛はもうそれを、不快だとも何とも感じられなくなっていた。
男は身をかがめ、牡牛の耳もとで怒鳴った。
「射手とは何者だ!」
牡牛は身をすくめ、男から視線を反らした。
「友だち。俺の、……高校の、同級生」
「なぜそいつは、牡羊のことを知っているんだ」
「牡羊も同級生だから……」
「なぜここに牡羊が居ると、そいつは知っていた」
「知らない。本当だ。本当だやめてくれ!」
どうやら『知らない』というキーワードが、男の不快を刺激するらしいと牡牛は知った。苦痛にのたうちながら、牡牛の本能は思考した。言って良いことと、言ってはならないことを。
やがて、頬を叩かれて、牡牛は目を開いた。
男は牡牛の目を覗き込むと、また同じ事を言っていた。
「射手というやつは、なぜここに牡羊が居ると知っていた」
本当に、なぜなのだろうと牡牛は思った。
「……、ら、ラプンツェル」
「なに」
「多面的……意識。たぶん、世界を……、知ってる」
「なにを言っている。質問に答えろ」
「な、んでも……、知ってる、から……」
牡牛は自分がなにを言っているかを、よく意識していなかった。またそういう状態であるがゆえに、嘘をつくことなど出来なかった。また本当のことを言ったところで、どうやらこの苦痛は終わらないらしいとも悟っていた。
何度も叫び、何度もわめき、何度も狂いそうなほどの苦痛を味わい、牡牛は、自分が何回気絶して、何度目の気絶が本当に有効だったのかもわからなかった。
やがて、妙に心地よい、安らいだ感触の中で、自分は死んでしまったのだろうかなどと考えているうちに、体をやさしく揺さぶる感触に気づいた。
おそるおそる目をあけると、自分の顔の前に、顔があった。
「気分はどう?」
化粧の濃い顔はそう言うと、牡牛の頬を優しく撫でた。
牡牛は喋ろうとして、体中の痛みに呻いた。
女はベッドから滑り降りると、手に盆を持って戻ってきた。水入りのコップが乗っていた。
「のど渇いたでしょ?」
そう言って女は牡牛の上体を抱き起こすと、牡牛の口に水を含ませて飲ませてくれた。牡牛は飲み下した水の美味さを感じ、それをもっと欲しいと思った。女に乞うと、女はベッドを離れて、また一杯の水を持ってきてくれた。
牡牛は今度はそれを自分の手で持って飲んだ。いっきに飲み干し、口を手でぬぐい、女に礼を言う。
女は牡牛にむかって、にっこりと微笑んだ。
「礼儀正しいね。名前はなんていうの」
「牡牛。あなたは」
女は名を名乗ると、ひょいとベッドに乗り、牡牛の体に身を摺り寄せてきた。
「くっついたら痛い?」
痛みよりも牡牛は、目のやり場に困った。女は非常に薄着だったからだ。ネグリジェのようなものの下には何も着ておらず、胸も下も透けて見えていた。
女は牡牛の肩に顎を乗せ、甘くささやいた。
「牡牛くん、もう大丈夫よ」
女の柔らかな感触や、強い香水の香りに、牡牛はくらくらしたが、必死で目を反らした。
「あの、俺は……、俺は質問されて」
「うん。酷い目にあったね。可哀想に」
「俺は本当になにも知らないんだ。駅に人がいっぱい住んでて、国をこしらえてたなんて、知らなかったんだ」
「……今はなぜ知ってるの?」
「あの質問してた人の話を聞いてたらわかった。牡羊のことを知ってるみたいだった。牡羊は駅に居るんだから、あの男の言う『国』ってのは駅のことなんだろうと思った」
「そう。賢いねえ。それで?」
「あなたもその、駅の国の人なんだろう」
「牡牛くんは牡羊の友だちね。どうして友だちを探しているの?」
言いながら女は牡牛の体を撫でさすり、胸を腕に押し付けてきた。
牡牛は、困った。
「あんまりくっつかれると、困る」
「なんで? 女は嫌い?」
「嫌いじゃないけど困る」
「したくなる? いいわよしても。あなた可愛いわ」
股間をさすられて牡牛は快楽に息を呑んだ。強烈な欲求がわき起こった。この柔らかで良い匂いのするものを、抱きしめたいと。
しかしそれをこらえて、必死で言った。
「そ、そんなことしなくても、俺はちゃんと正直に言うから。嘘なんてついてない。ぜんぶ本当なんだ」
女の目がすっと冷えた。
牡牛は、うつむいた。
「鞭と飴の、飴があなたなんだろう。俺から聞き出したいことがあるんだったら、そのまま聞いてくれたら答える」
「……本当に、賢い子ね」
「そんなことない。これが罠だって気づいてること、黙ってた方が良かったのかな。でも久しぶりに会う、本物の女の人を、騙すなんてあんまりかなって思って」
女は、きょとんとした。
それから笑い出した。激しく笑い、手で牡牛の頭を撫でる。
「可愛いわあなた。本当に可愛い。こんなに可愛い子、久しぶりに見たわよ」
「あまり触らないでくれ」
「あらごめん。痛いの?」
「痛いのよりも、どきどきするから」
「女っけの無い生活をしてきたみたいね。いつから?」
「世界がこんなになってから、ずっと」
女は、同情深げな目をした。
「……そう。寂しかったね」
「ずっと一人だったけど、今は友だちと一緒に暮らしてるから、寂しくは無い」
「牡羊も友だちだって言ってたみたいね」
「うん。牡羊はここにいるのか? 牡羊は俺の友だちで、俺は牡羊を探してここに来たんだ」
女はなぜか、奇妙な顔をした。
牡牛は自分が拷問されていたときのことを思い出した。牡羊の名前を出したとき、やはり相手はこんな顔をしていた。驚いたような、怯えたような顔を。
「牡羊はいったいどうしたんだ。あいつに何かあったのか」
女はじっと牡牛を見つめた。牡牛の真意をさぐるように。
牡牛としては、ただ女を見つめ返すしかなかった。体をなるべく見ないようにして。
女はやがて、溜息をついた。
「牡羊はねえ。昔はあなたの友だちだったんだとしても、今はただの化け物ね」
「腐ってるのか?」
「それならまだいいわよ。こっそり追い出しちまえばいいんだから。……鬼よ。あいつは鬼。あんたこの国に住むんだったら、あいつと友だちだなんて言わないほうがいいわよ。ぶちのめされるから」
「もう、ぶちのめされてる」
「仕方ないわ。最近はおかしな連中が増えてね。審査が厳しくなってるの」
「審査?」
「入国審査。あら知らなかったんだっけ。でも大丈夫。あたしはあんたを応援するからね」
牡牛は意味が分からなかった。