星座で801ログ保管庫出張所

地球最後の…47

 荷物をリュックに詰め、肩にスコップをかついで、牡牛は出発した。展望台のある公園を抜けると、駅は目と鼻の先だった。大きくカーブした明るい道路を走り、ホテルの横を通り過ぎて、牡牛は、駅前に出た。
 その途端、牡牛は、たくさんの人々に遭遇した。
 彼らは広い道路に倒れていた。密集して折れ重なっているのではなく、それぞれが間隔を置いて、道路いっぱいに広がっていた。仰向けのものもいれば、うつぶせの者も居て、横向けのものもいる。立っているものもいるが、その人数はわずかだった。そんな風に、みながいろんなポーズを取っていて、そしてぴくりとも動かなかった。
 牡牛は最初、ガスを想像した。地下の痛んだ管からガスが噴出し、人々は一斉にやられたのではないかと。しかしすぐに真相に気づいた。朝日を照り返す彼らの肌の輝きが、不自然だったからだ。
 それらはみな、マネキン人形なのだった。かつては立っていたものが、風で倒れたらしい。みな色とりどりの衣服を着ているが、どれも月日の影響で薄汚れていた。
 いったい誰が、なんの目的でこんなことをしたのか。
 牡牛は帰りたくなっていたが、まだ街の端にたどり着いたばかりであったことと、天気がよく晴れていたことが、彼に勇気を奮い起こさせた。牡牛は目の前のマネキン地帯に入っていった。
 倒れたマネキンを足先でつつき、踏まないようにまたいで、牡牛は辺りを調べた。そして気づいた。マネキンには罠がしかけられていた。持ち上げると、結び付けられたテグスが引っ張られて、街路樹に隠された木片が鳴るようになっている。
 そして、そういう仕組みが有るということは、このあたりには、生きている人間が住んでいるということだった。
 まもなく牡牛はある匂いに気づいた。花のような香りだった。かすかだが、はっきりと匂った。もうずっと嗅いだことも無いような、甘い、良い香りだった。
 匂いの元をさがして、牡牛はあたりを見回した。
 指を口にふくみ、差し上げ、風の方向をしらべる。そちらに向かって移動していくと、匂いは濃くなり、やがて目的のものが見つかった。
 三体の、比較的あたらしいマネキンが置いてあった。一体は子どもの姿で、入学式のような、可愛らしい礼服を着ている。一体は男性の人形だった。スーツを着て、手を腰にあてたポーズを取っている。そしてもう一体は、成人女性のマネキンだった。ピアノ発表会にでも着るような、やたらとフリルのついたドレスを着ている。
 牡牛は子どものマネキンに近づき、微笑んだ。小さな人間を可愛らしいと思うのは、久しぶりのことだった。手で頭を撫で、顔を寄せ、匂いを嗅ぐ。たしかにその子の髪からは、整髪料の香りがした。間違いなく、誰かがこの人形を整えたのだ。
 次に男の人形に近寄った。これもたしかに整髪料の香りがした。子どもの髪とは違い、少し人工的な香りだった。牡牛は、これが隣りの子の父親なのかな、と考えたりした。そうだとしたら、とつぜん子どもの髪を撫でて匂いを嗅ぐ男のことをどう思っただろうと。
 最後に女性のマネキンに近寄った。久しぶりに見る女性の姿は、美しかった。細い顎や、首や、胸のふくらみや、細い腰が、優しく柔らかな感触を連想させた。これが本物だったらと思うと、胸がときめいた。
 牡牛は自分の感覚のおかしさに苦笑し、最後にもう一度、マネキンの顔を見つめた。
 マネキンは、ぱちんと瞬きをした。
 牡牛はあやうく悲鳴をこらえた。
 マネキンだったはずの女は、牡牛の胸をドンと突き、同時にすばやく後ずさった。驚きうろたえる牡牛をじっと見つめたあと、くるりと背を向けて、走っていく。
 牡牛が我に返ったのは、女が建物に駆け入っていってからだった。
 やっと、声が出た。
「待て。……待ってくれ!」
 牡牛は慌てて走り出し、女の後を追って建物に入った。
 中は真っ暗だった。入り口からの光で数メートルほど先までは見えるが、その先は闇だった。そして闇の彼方に、光で四角く切り取られた空間があった。つまりここは通路で、先に出口があるということだ。
 牡牛は壁に片手を当てて、そろそろと歩いていった。
 危険だとは思わなかった。あの女がすでに通った通路だったからだ。またもしも、ここが危険な場所なのだとしたら、なんとしてでもあの女を助けなければならなかった。
 男としてのシンプルな保護本能が、牡牛を無謀にしていた。
 やがてもう少しで出口にたどり着くころ、牡牛は突然、後頭部に激しい衝撃を感じた。殴られたのだと悟った瞬間、意識が暗転し、牡牛はその場に倒れた。



 顔に水がかかる不快な感触で牡牛は目覚めた。咳き込んで気管に入った水を吐き出していると、牡牛の前髪はぐっと掴まれ、顔を上向けられた。
 そして牡牛は自分の状況を知った。牡牛は拘束されていた。手は背中で縛られていて、上半身は裸だった。場所は室内で、視界に天井と壁が見えた。
 牡牛の周りには二人の男が居た。一人は脱力した牡牛の背中を支えつつ、髪を引っ張っている。もう一人は腕を組んで、牡牛の目の前に立っている。
 その男が、牡牛に言った。
「名前は?」
 牡牛は名乗り、逆に聞き返した。あんたは誰だと。
 男はしかし、牡牛の質問を無視した。
「ここの事をどこで知った」
 牡牛は答えようとして、呻いた。後頭部にずきりと痛みが走ったからだ。
「頭が痛い」
「国のことをどこで知った」
「国? 俺は……、俺は、殴られて」
 そして牡牛は唐突に、後頭部の痛みよりも何倍もひどい痛みを感じて、絶叫した。目の前が白くなり、筋肉が捻じ切れそうなほどに収縮した。そして感じたときと同じく唐突に痛みが抜けて、脱力した。
 横の男が、電極を持っていたのだった。バチバチと鳴る拷問具を横目に見ながら、牡牛は当然のことを言った。
「なんで」
 目の前の男が、また言った。
「我が国のことをどこで知った」
 牡牛はもう悟っていた。自分は尋問されているのだと。自分は彼らによって敵と判断され、捕らえられたのだと。
 ぞっと身が震えた。牡牛は急いで答えを探した。釈明をしなければならない。自分は彼らの敵では無いと。
「ここがどこの国だか知らない。俺は殴られて連れてこられた。その間のことは知らない」
「国のことを知らんというのか」
「知らない。ここは日本じゃないのか。俺は友だちを探して駅に行ったんだ。そしたら殴られた。それだけだ……っ!」
 強烈な痛みの中で、牡牛は自分の悲鳴を聞いていた。ふたたび痛みが抜けたときには、牡牛は朦朧としていて、また気絶の暗闇に落ちてゆこうとしていた。
 顔に浴びせられた水が、また牡牛を目覚めさせた。