星座で801ログ保管庫出張所

地球最後の…46

 牡牛が蟹を展望室に置いておいたのは、山羊を見張らせるためだった。そして山羊を展望室に置いておいたのは、彼をラプンツェルに会わせたくなかったからだった。しかし牡牛が蟹と山羊に、射手の変化について説明すると、蟹は残念がった。
「最後はごくふつうの射手に戻ったんだね。ああ、だったらもっと話したかったな。俺が見たときは、射手すごく冷たかったから」
 山羊のほうは、驚いていた。
「じゃあ俺が思い出していたのは、射手なのか? 顔も髪も真っ白で、目だけが赤くて」
 牡牛は、眉をひそめた。その記憶については、とっとと忘れてしまえと思ったのだ。
「いや、そいつはたぶん別口だ。そいつは少し問題のあるやつなんだ」
「誰だ?」
「俺にはさっぱりわからんが、乙女は分かってるみたいだ」
 しかし乙女は、首を横に振った。
「そうじゃない。俺が理解したのは誰が誰かということではなく、それが何なのかということだ」
「人攫いだ」
「違う。……しかしおまえがそこまで連中を警戒するんなら、駅に行かないという手もある。どうする?」
「行かないわけがない。牡羊を見つけてくる」
 乙女は頷き、床に雑誌を広げた。
 それはかつてよく若者に購読されていた雑誌だった。雑誌の本来の目的は、遊び歩きの情報提供だった。だが乙女は今も昔も、雑誌を参考にして遊び歩くことに興味を持っていないらしく、ただ若者のデートスポットを特集したページを開き、そこに載った写真を牡牛に見せただけだった。
「ここだ。この駅は地下鉄とモノレールの乗り換え駅なんだ。ショッピングモール、映画館、デパート、市役所の出張所、図書館、いろんな施設が一箇所に集っている。卒業式の日も、人が多かったことだろう。そして買い物客や、施設で働いている人間の、何割が感染したのかはわからんが、今でも沢山の感染者が居ることは間違いない」
「でももし、感染した人たちをなんとかできれば、すごく良い場所なんじゃないか?」
「まあな。食べ物も着る物も、困ることは無い場所だ」
「ついでに何か取ってこれるかな」
「やめておけ。危険だ。感染者も危険だが、一年以上も放置された建物なら、その建物自体が危険だと俺は思う」
 山羊が「たぶん、その通りだ」と言った。
 皆が視線を集めると、山羊はこめかみを指で押さえ、目を閉じて、頭の中をじっと探るような様子を見せていた。
「俺の中では昨日の出来事なんだけど。あれが一年以上前だとしたら……。俺と天秤は駅に行った。二人とも、駅で待ち合わせをしていたんだ」
 それも何度も聞いていたことだったが、山羊は続けて、今までに話していなかったことを語り出した。
「俺たちは駅でゾンビから逃げ惑った。みんなパニックを起こしてた。あちこちの窓が割られていたし、通路は物が散乱していたし、火事が起きて燃えてるところもあったし」
 そうして酷く痛んだ建物に、今もまだゾンビがうろうろしているのだとしたら、たしかに非常に危険だった。
 しかしと、牡牛は思った。建物は危険で、腐ったものが沢山居て、住むにはてんで適さない場所なのだとしたら。
「なんで牡羊は、そんなところに居るんだ?」
 誰にも分かるはずは無かったが、聞かずにはおれなかったのだ。
 そしてやはり誰も答えることはできずに沈黙し、しばらくはただ魚の呻く声だけが場を満たしていた。
 牡牛は、魚に目を向けた。
「よく喋るな、魚。ついでに何かわかることがあったら教えてくれ」
 魚は檻から指を出して、手を開いたり握ったりしていた。そうして山羊と牡牛を捕まえようとしているのだった。ここしばらくは光を恐れて動かないことが多かった魚だが、今日は恐れよりも食欲の方が勝っているようだ。
 ふいに蟹が立ち、魚の檻に置いた食器を下げに行った。食器には羽を切った雀が入っていた。それを生き餌として与えたのだが、魚は雀を握りつぶしはしたものの、食べはしなかったのだ。
 蟹は死んだ雀をゴミ用バケツに捨てると、食器の底をしげしげと眺め、それを明かりの元に持ってきた。
 食器の淵に、雀の血で模様が書いてあった。月、ハート、星といった模様の連続を見て、乙女は言った。
「射手が魚の脳に残された機能を引き出したんだと思う。絵を描く、という」
 魚は絵を描くことが好きだった。それは皆知っていたが、しかし魚の描画機能はもっと優れたものであったことも知っていた。だからむしろその幼稚な絵は、みなを寂しい気持ちにさせた。
 蟹だけが、希望を持っているようだった。
「視覚と聴覚を失ったヘレン・ケラーは、手の触覚から得られた水の感触で、言葉には意味があるって事を思い出したんだ。魚だっていつかは、模様には意味があるってことを思い出してくれるかもしれない」
 乙女は、別のことを言った。
「魚は、俺や蟹と同じく、ラプンツェル化した射手にも興味を持っていなかった。つまり魚の餌となるのは、牡牛や山羊のような、まともな人間だけだということだ」
「探すよ!」
 言いながら蟹は、きっと乙女を見ていた。
「探す。魚が普通に食べられるもの。ぜったいに見つけてみせる」
「見つかるまでに、俺とおまえの心が保てばいいんだが」
 牡牛は、先の見えない話よりも、先の見える話をするべきだと思ったので、二人の話をさえぎった。
「決めてしまおう。俺は明日の朝、駅に出発する。近い場所だから、たどり着くのにはそう時間はかからない。日暮れまでに帰ってくるつもりで行く」
 すると山羊が、そろそろと声をあげた。
「俺も行っては駄目か? 俺は、自分が記憶を無くした場所に、行ってみたいんだけど」
「気持ちは分かるけど、危ないらしいからな」
「どうしても駄目か。すごく気になるんだ」
「うーん。まあ、無理だ」
 すると山羊は、必死でなにかを考えだした。
「……。のろし。木を燃やせば煙が出る」
「……」
「ほらここは展望台だろう。昼はこの、こっちの方角に駅が見えるはずなんだ。だから牡牛が焚き火を焚いて、松の葉を燃やしてのろしを上げれば、合図になるから。なにかで危険だったり、人手が必要だったら、のろしを焚けばいい。そうしたら俺が駈けつけて……」
「駄目だ」と、にべもなく乙女が言った。「アイデアはいい。だが山羊が行くのは駄目だ。のろしが上がったら、なにか牡牛の身に危険があったものと判断する。その場合、夜になったら、俺か蟹が行くことにする」
 がっかりしている山羊を慰めるために、牡牛は言った。
「俺が行って様子を見て、大丈夫そうだったら、牡羊を連れて帰ってきたあとで、また連れて行ってやる」
「わかった。すまない。勝手を言った」
「ここから駅のほうをよく見張っておいてくれ。俺の合図が無いかどうか」
 山羊は了解し、視線を床に落とした。
 蟹が空気を切り替えるように、ぱちんと両手を叩いた。
「さあ、そうと決まれば牡牛は早く寝ないと。明日は早く出発したほうが良いだろうし。……普通に寝るんだよ今夜は。体力を使ったりせずに」
 山羊はさっと赤面した。牡牛は黙って頷いた。
「寝る。ただ寝る」
「よし。じゃあ乙女、今夜の仕事をしに行こうか。さっきは射手に止められちゃったしね」
 そうして皆は話し合いを終え、蟹と乙女と、魚と二匹の犬が、展望室を出て行った。
 そして扉が閉まった途端、山羊が地に這いつくばった。牡牛にむかって頭を下げる。
「すまん!」
 牡牛は、え、と言った。べつのことを考えていたのだ。
 山羊は、必死な様子だった。
「悪かった。すまなかった。さっきのこと」
「え? あ。あー。べつに良い」
「俺は何を考えてるんだ……。自分で自分がわからない」
「あまり気にしなくていいと思う」
「俺は、毎晩のようにああなのか? おまえになにかを無理強いしているのか」
「いやそんなことは。寝よう。早く寝よう」
「本当に、おまえのことばかり責められない。みんな頑張ってるらしいのに、もう卒業式から一年以上経ってるらしいのに、俺はなにもわからない。情け無い。自分が情けない」
 パニックを起こしてるわけではなさそうだし、このくらいなら普通の自己反省だろうと思えた。だから適当になだめれば良かったのだが、牡牛はランプを消すと同時に、山羊を布団に押し込み、その体を激しく撫で回しつつ、自分で自分のものを慰めた。
 山羊の身悶えをたっぷりと楽しみ、満足したのち、牡牛は山羊を抱いて、すやすやと眠った。