星座で801ログ保管庫出張所

地球最後の…37

「理解なんて最初から求めてなかったんだ。許されるとも思ってなかった。許されたいとも思わなかった。俺は、俺の大切なものを守る。それが俺の生き方だって決めてた。もう俺は目の前で、大切なものを失うのは嫌だったんだ……!」
 母親を目の前で友人に殺された出来事が、蟹の柔らかい心に食い込んでいるのだと牡牛は思った。ただ牡牛としては、牡羊と獅子を責めるつもりにもなれなかった。その二人にしたって、大切な蟹を守ろうとしたのだ。そしてそんなことは、蟹自身にも分かっているのだ。
「難しいな」
 つぶやくと、蟹はうなずいた。
「俺の犬を殺したやつにも、大切な誰かがいて、そいつを守りたかったんだろう。でも俺はね。俺の大事なものを守るよ」
「うん。わかる」
「たかが犬って思わないのかい?」
「たかが犬というより、蟹の犬だ」
「泥棒を殺すことはなかった……とは思わない?」
「蟹はそう思うのか」
「今でも思い出すと怒りでどうにかなりそうだ。俺は何度でもあいつを殺してやりたい」
 牡牛は、射手が行ってしまった時の気持ちを思い出していた。あのとき牡牛は、激しい怒りを感じていた。殺意という感じではなかったが、それは相手の正体がよくわからなかったからで、それさえしっかりと見えていれば、牡牛はあっさりと、怒りを殺意に転化していただろう。
「殺すことはなかったのかもしれないが、俺も同じ立場ならそうするだろうな」
 蟹は目を丸くして、首を横に振った。
「いや。牡牛はしないよ。そういうことは」
「いいや、する。俺の行動はたぶん蟹よりもひどい」
「そんな……」
「でも牡羊や獅子は許せると思う。そこが俺と蟹の違うところだ」
 蟹は、難しい顔をした。
「親を殺されて平気?」
「平気なわけが無い。でも俺の親が、俺を殺して、俺の友だちを殺して、そのあとも誰かを食べたくて腐りながらうろうろするなんて、耐えられない」
「乙女もそういう考え方で、だからきみに、殺してほしいと言ったのか」
「蟹の親も、蟹を食べたくなんて無かったと思う」
「わかってるよ。わかってる。俺はどちらかといえば、母さんを守れなかった自分が憎いんだと思う。でも犬たちを置いて自分を殺すことなんて出来ないから、かわりに彼らを憎んで、気持ちを誤魔化してただけだ」
「死ぬな」
「うん」
 理解と共感と許し。そのみっつを牡牛から得られた蟹は、ずいぶん穏やかな表情になっていた。だが本来の牡牛は、望んでそういうことをするような、同情的な人間ではなかった、蟹もそれはよく知っている。だからこそむしろ、牡牛の中に嘘が無く、それなりに厳しいリアリズムでもって判断されているのが、逆に嬉しかったのかもしれなかった。
 牡牛としては、自分で自分の身を守るしかないこの世界で、自分以外のものを守ろうとあがいていた蟹を、責めることはできなかった。そして守れなかったことの辛さもよくわかるので、牡牛はふたたび蟹に、大切なことを聞いた。
「自分が狂って、大切なものがわからなくなったら、どうしてほしい?」
 蟹は、しっかりと牡牛を見据えた。
「俺の犬を守ってくれ」
「わかった」
「俺のことも飼ってくれ。魚といっしょに」
「わかった。そうする」
「あと、できれば……。できればでいいんだけど」
「……」
「いや、いい。まえの二つの条件を呑んでくれるんだったら、俺は牡牛のところに行きたい。行ってもいいかな」
 牡牛は、もちろんと答えた。
 蟹は微笑み、ふたつのカップを取り上げた。
「お茶を入れなおそう。俺のことばかり話してしまったな。牡牛の話も聞きたいよ」
「眠くないのか?」
「いつも太陽が、空のてっぺんに登るくらいに寝てるんだ。まだ大丈夫」
「トンネルの入り口に野菜を置いてきた。取ってくる」
「ああ、待って」
 蟹は犬を牡牛に近づけ、牡牛の匂いをかがせた。そして犬の鼻先をトンネルの入り口に向け、取ってこいと命令した。犬は走り出し、しばらくして、大根とナスをくわえて戻ってきた。蟹は犬を誉め、それから牡牛に礼を言った。
「お土産だよね。ありがとう」
「蟹みたいな体になると、メシをあまり食わないらしいけど、メシを作りながら話をしないか。道具も持ってきてる」
 蟹の表情が輝いた。
「久しぶりだなそういうの。すごく懐かしい」
「蟹なら喜んでくれると思ったんだ」
 包丁やまな板を取り出す牡牛を、二匹の犬は何事だろうというような顔で見ていた。



 蟹は食べるものについて、牡牛とは違った工夫をしてきたようだった。そしてそのことが牡牛を悩ませた。
 メニューを相談の結果、干した鶏肉と大根を煮ることになり、茄子は火で焼くことになった。残った大根葉と皮をどうしようかということになったとき、蟹が、
「これと炒めればいいんじゃないかな」
 と差し出してきたのが、へこんだ缶箱だった。
 牡牛が缶箱を開いてみると、中に入っていたのは虫だった。うぞうぞと蠢く白い芋虫を見て牡牛はのけぞったが、蟹は平気な顔だった。
「ああ苦手なのか。美味しいのに」
「ていうか、ふつう苦手だろう」
「そんなことない。俺の田舎ではよく食べてた。騙されたと思って食べてみなよ。余ってて勿体無かったんだ」
 騙されることが分かってて騙される人間などいないのだから、そういった表現は矛盾していると牡牛は思った。
 蟹は手際よく動いた。洗い、剥き、切り、分け置く蟹の動きを、牡牛はほとんど見守っていた。蟹がとても楽しそうなのが嬉しかったのと、蟹が牡牛のものに手を触れることに、まったく躊躇していなかったのが嬉しかったのとが理由だった。
 そのかわりに、牡牛は自分の事情を話し続けた。蟹は良い聞き役だった。牡牛が嬉しかったことを喜び、辛かったことを悲しみ、悔しかったことに怒った。牡牛は話しながら、蟹との距離を、物理的にも心理的にも縮めていった。やがては鍋をのぞきこむ蟹を、背中から抱くことに成功した。
 蟹は、笑い出した。
「乙女の言ってた通りじゃないか! やたらと触りたがるから困るって言ってたよ」
「乙女は触ると怒る」
「乙女は、自分みたいになってほしくないんだよ。牡牛に」
「……」
「寂しいの?」
「寂しい」
「乙女と俺は半分モンスターで。魚は完全なモンスター。山羊は記憶障害。射手はラプンツェル。ああなるほど。取り残されたみたいな気分なんだね」
「みんな俺とは違うからって理由で、俺と離れてしまう」
「俺は俺である限り、牡牛のそばにいるよ。俺が俺でなくなっても、牡牛のそばにいる。大丈夫、大丈夫……」
 牡牛の手を優しく叩いてから、蟹は虫入りの缶箱に手を伸ばした。
 牡牛は、蟹のそばを離れた。