星座で801ログ保管庫出張所

地球最後の…34

「魚はずっと暴れていたが、一斗缶の明かりを近づけると、今度は檻の奥に逃げて小さくなっていた。火を恐れることが出来るだけの知能は、まだあったということだ。それで俺たちはとりあえず落ちついた。熱い茶を飲むと、山羊は眠くてたまらないといった様子になった。あいつが布団を敷いて、そこに山羊を寝かせると、犬たちが当然といった様子で山羊の布団にもぐりこんでいたな。山羊はびくついていたが、眠気に負けていた。
 俺のほうは、夜こそが俺の時間だったから、ずっと起きて、あいつの話を聞いていた。あいつがまず語り出したのは、卒業式の日のことだった。
『俺が体育館に戻ったのは、母さんを助けるためだった。でも母さんは、俺に助けられてはくれなかった。俺を襲ってきたんだ。見た目はちょうど今の魚みたいに、体がちょっと血で汚れてるくらいで、顔とかは綺麗なままで、でも力は完全にモンスターのもので。……助けてくれたのが獅子と牡羊だよ。獅子が俺の前に立ちふさがって、パイプ椅子で母さんの攻撃をふせいだ。そのあいだに牡羊が母さんの背後にまわって、消火器で母さんの頭を、殴りつけた。俺は倒れた母さんに駈け寄ろうとしたけれど、獅子に止められて。そのあいだに、牡羊は母さんを滅茶苦茶に叩いて……。
 そのあとの記憶は薄い。気がついたときには、ふらふら道を歩いてた。家に向かって。道は人でごった返していた。人々はとにかく逃げようとしていたし、そんな彼らを、彼らの家族や、友人や、ご近所さんが、襲っていた。俺は人の流れに逆らって歩きながら、とにかく家に帰りたいと思ってた。
 ねえ、乙女。俺は彼らを憎んでるんだ。母さんを殺したから。そうしなければ俺が殺されていたってのはわかる。獅子と牡羊は、俺を助けてくれてんだ。それはわかるんだけど……、俺は彼らを憎んでる』
 俺は『理解は出来るが、共感はできんな』と答えた。『俺は先生に噛まれた。それでこうなった。俺は先生から逃げるのに必死で、彼を助けるべきだとは思わなかった』
 あいつは『どうせ噛まれるんだったら、母さんに噛まれても良かったよ、俺は』と言ったよ。
 話は変わるが牡牛。おまえ、死刑制度には賛成だったか?」
 唐突な話の転換に牡牛は戸惑ったが、しばらく考えて答えた。
「賛成というか、あんまり残酷に人を殺すような人間は、人に殺されても仕方が無いんだろうな、とは思ってた」
「ああ。今ならその考え方も理解できる。だが昔の俺には理解できなかっただろうな。俺は死刑には反対だった。人に人を裁く権利は無いし、人を殺すのが悪いんだったら、殺した人間を殺すのも悪いだろうと思っていた。だからだ。俺はあいつの考えに反対できなかったし、むしろ素晴らしいことなんじゃないかとさえ思えたんだ。どれだけ自分が犠牲になろうとも、決して人を同じ目にあわせない、というのは。魚がもう、二度とまっとうな人間には戻れないとしても、魚を守り続けたって良いんじゃないか。そう思った」
 牡牛は手をあげて、乙女の言葉をさえぎった。牡牛はもう、乙女が隠して語っている人物の名前を悟っていた。
「乙女。蟹のことを隠してたのは、俺が蟹の犬を殺したからか?」
 乙女は、曖昧にうなずいた。
「そのこともある。蟹の家は母子家庭で、蟹の母親は、蟹をたくさんの犬とともに育てたんだそうだ。だから犬は蟹にとって家族同然だった。あのトンネルの前で、蟹は、おまえが犬に対して、どういう行動を取るかを試したんだ。結果おまえは、蟹にとって、最悪な行動を取ってしまったことになる。……いや、俺は責めないがな。おまえの取った行動は当然だし、俺だって蟹の姿を発見するまでは、犬を攻撃する気でいたんだし。第一ああいった、危険な動物に囲まれた状態で、当の動物を助けようなどとするやつがいるか?」
「蟹なら助けるんだろうな」
「蟹ならな。だが俺たちは蟹じゃない」
「蟹は、獅子や牡羊と同じように、俺も憎んでいるのか」
「たぶん。しかし、俺が牡牛のことを説明すると、蟹はとても嬉しそうだったんだ。だけど同時に、牡牛の仲間にはなれないとも言った」
 ぱちんと、焚き火がはぜた。
 牡牛はのそりと立ち上がると、乙女に言った。
「展望台まで送ってくれないか」
 乙女は、牡牛を心配する風だった。
「やはり慰めにはならなかったか」
「いや、そんなことはない」
「俺はただ、他にも生きている人間が居ることを教えたら、おまえが、そう射手にこだわって、暗くなる理由も無くなるんじゃないかと思って」
「うん」
「でも……、言うべきじゃなかったな」
「いや、聞いて良かった。これから出かける準備をする」
 乙女は、いぶかしげな顔をした。
 牡牛は乙女の手を引いて立たせながら、説明した。
「展望台に帰って、出かける準備をして、寝る。目が覚めたら、蟹に会いに行く」
 牡牛、と乙女は言った。しかし乙女が続いて喋ろうとするのを、牡牛はさえぎった。
「乙女は留守番をしててくれ。ラプンツェルがいつ、山羊を返しに来るか分からないから」
 乙女は、じっと牡牛を見つめた。非難する目をしていた。
「俺の話を聞いてなかったのか?」
「聞いてた」
「おまえは憎まれているかもしれない」
「うん」
「また犬をけしかけられるぞ」
「今度は殺さないようにする」
 乙女はまたしばらく牡牛を見つめた。
 そして、ふいに肩をすくめた。
「実は、おまえがそう言うんじゃないかと思っていたんだ」
「そうか」
「一人で大丈夫か?」
「昼間のうちに辿りつけるようにするけど。……トンネル前の道路が怖いな。あの自転車がまだあったら、いっきに走り抜けられるんだが」
「わかった。自転車だな。今夜じゅうに調達してきてやる」
「ああ、そいつは嬉しい」
「無理はするな。駄目だと思ったら早めに引き返せ」
「わかった」
「気をつけろ」
 牡牛は、うんと返事をしながら、乙女に手をのばした。
 抱きしめようとしたのだが、乙女は断固としてその手を跳ね除けた。
 牡牛は、ほんの少しの腹立ちを感じた。
「乙女は、けちだ」
「なんだと」
「明日からまた会えなくなるのに。触らせてくれるくらい良いだろう」
 乙女は目元だけで、なんとも言えない複雑な表情をこしらえた。
 返事に困って停止してしまった乙女に対して、牡牛はさっと手をあげ、乙女を丁寧に抱きしめた。髪に顔をうずめ、頬に頬をよせ、口元の包帯に口づけようとした。
 そして乙女に突き飛ばされた。