星座で801ログ保管庫出張所

地球最後の…25

 黙り込んでしまえば凍えるばかりだったので、牡牛はとにかく話し続けた。それに話をすることは楽しかった。射手はやはり自分が閉じ込められたあとの世界の様子を聞きたがった。そして世界がそうなった理由も知りたがったのだが、牡牛はそれについては答えようがなかった。
「乙女は病気って言ってたけど」
「ゾンビウィルスの感染ね。漫画みたいだな。魚あたりが描いたら面白そうだ」
「おまえも病気って言われたんだろう?」
「紫外線で皮膚が痛む病気って、実際にあるからさ。なんて病気だったかな。ポ……、ポラ、ポリ、ポリエチレン病」
「そんな名前なのか?」
「違うけど、そんなかんじの病名だよ。あと色素性乾皮症って病気もあって、これも太陽が駄目になる。でもどっちも感染なんてしない。詳しい説明は本に書いてあったけど、それはおまえが破いちまった」
「悪かった」
「いいよ。謝ってないでもっと喋ってくれよ。おまえほんと無口だな」
 よく喋っていたつもりだった牡牛は、逆に閉口してしまった。
 射手は、気づいていなかった。
「そういや学校でも無口だったよな。俺あのころは、おまえとはあんまり喋らなかったし」
「そうだったかな」
「うん。だって俺、おまえ苦手だったもん。なに考えてんのかわかんなくて」
「そうか」
「こんなやつだと知ってたら、もっと話しかけたのにな。もったいないことしたなあ。ああそれで、今おまえの話を聞いていて思ったんだけど」
「うん」
「俺が閉じ込められたのは、俺を世界から隔離するためか、世界を俺から隔離するためか、どっちなんだろう」
 大切なことをさり気なく言われたせいで、しばらくは意味がわからなかった。
 やがて牡牛は話の重大さに気付き、喋り続ける射手の言葉をさえぎろうとした。
 しかし別の音が、射手の舌を止めた。
 何かが叩かれていた。鉄の鳴る音が響いた。最初はまばらに小さく、次には大きな連打となって。牡牛がここに侵入してきたドアが、裏側から激しく殴打されていたのだ。ノックというよりも、ドア板が憎しみの対象として攻撃されているかのようだった。だから牡牛は最初から、別の助け手が来たのかもしれないという希望を捨てていた。そしてそれは、射手も同じだった。
「お手伝いの谷口さんも、運転手の御手洗さんも、発音が難しい名前の博士っぽい人も、オヤジの秘書も、みんなゾンビになってるのか」
「名前は知らんが、上には腐ったやつがいっぱいいた」
「俺は嫌なやつだな。可哀想な人らなのに、ざまあみろって思ってるよ」
「おまえを閉じ込めたままにしたからか?」
「ああ。でも本当は……可哀想なんだよなあ」
 感情が正しいとも、理性が正しいとも、牡牛には言えなかった。なぜなら牡牛自身も、腐ったものたちを可哀想だとは思わなかったからだ。無慈悲に倒さなければ、自分が死んでしまう。
 牡牛は生乾きの下着とズボンを履くと、シャツを射手にかぶせた。そしてスコップを、今度は武器として持ち上げた。
 ドアの音は次第に変わっていった。高かった音が、次第に低く、深くなっていった。それはドア板が内側にふくらみ、レールから外れて、壁から離れようとしているせいに違いなかった。やがて派手に水しぶきがあがる音が聞こえた。ドア板が水に落ちたのだ。牡牛はガラス壁を睨んだ。
 水槽のむこうに、ばしゃばしゃと水の鳴る音が響く。焚き火の光は境界であるガラス壁にまで届いていたが、その向こうにも少しだけ届いていた。だから見えた。ガラスの表面に、たくさんの顔が浮かび上がった。どの顔も、明かりが暗いせいと、彼らが腐っているせいで、完全なかたちとして見えなかった。まずどの顔も眼球が無かったし、どの顔も鼻が欠けていて、どの顔も歯茎が露出していた。彼らの顔は近づいたり、遠ざかったりしながら、次々にガラス板にぶつかった。つまり仲間同士で押し合いへし合いしながら、こちらにがむしゃらに進んでこようとしていた。
 牡牛は射手を見た。射手は思ったよりも動揺していなかった。真っ直ぐな視線をじっと前に向けて、なにかを深く考え込んでいるようだった。
 牡牛も視線を前に戻した。怖がっている暇があれば、観察して考えるべきだと気づいたからだ。
「逃げ出すどころじゃ、なくなってしまった」
 それだけは確実だったのでそう言ったのだが、射手は笑った。
「もうひと晩、泊まるか?」
「ガラスが保てばな」
 腐った者たちは競争の結果、力の強いものが前列を独占したようだった。彼らは拳でもって、ガラスを叩き始めた。牡牛がスコップで割るのにあれだけ苦労したガラスの壁を、彼らは手のみで傷つけた。ドンという音と共に、ガラスに放射線状のヒビが入っていた。2打目は別の場所にぶつかったのだが、そこにもヒビが入っていた。3打目の地点は、1打めの場所に近かった。1打目のヒビがさらに大きくなった。
 牡牛は覚悟を決めざるを得なかった。『同じ場所を攻撃して叩き割る』ということがされないせいで、壁はしばらくは保ちそうだったが、いつかは割れる。そうなれば最後だ。
「射手。おまえに会えて良かった」
 いつか誰かが牡牛に言ったセリフを、射手に向けて放った。
 射手は答えた。
「それは俺のセリフだ。愛してるぜ牡牛。おまえ最高だ」
「こんな時にまでふざけるんだな」
「本気だ。この夜が来て、動けるようになって、目覚めた瞬間に一目ぼれした」
「うーん……」
「あっ困ってるな。どうしようフラれた。もうすぐ死ぬのにフラれた」
 射手はハイになっているなと牡牛は思った。そして自分も、恐怖はあったが、絶望的な気分では無かった。
 ガラスを叩く音は次第に変化していった。ガラスが割れるにつれてにぶく、小さなものに変わっていった。やがて牡牛は奇妙なことに気づいた。焚き火にくべる薪の数が減っているにもかかわらず、彼らの顔がよく見えるようになってきたのだ。夜目に慣れたせいかと思ったが、そうではなかった。夜明けはまだ遠いのに、彼らの背後が明るくなっていたのだ。光はランダムに踊っては消え、また踊り出す。よく耳を澄ませば、彼らの悲鳴も聞こえた。
 射手も変化に気づいていた。身を乗り出して前方を見ていたが、とつぜん「うわっ」と声をあげた。射手が恐怖を表現したのは初めてだった。牡牛も急いで前を見た。
 ガラス壁の片端に、黒尽くめの死神のような姿が浮かび上がっていた。手にしたランタンをかかげて、こちらをじっと覗き込んでいたのだ。牡牛は叫んだ。
「乙女!」
 乙女はうなずき、いったん姿を消した。ランタンの明かりが遠ざかる。しばらくして、一匹の「感染者」の肩の後ろに、また乙女の顔が浮かび上がった。乙女は感染者の背中から両腕を突き出し、その首になにかを巻く仕草をした。それが光を反射したので、牡牛はどうやらワイヤーらしいと検討をつけることができた。感染者の首はワイヤーに切断され、落ちた。それでも彼の首の無い体は、腕をふりあげてガラスを叩き続けていたが、乙女が蹴り飛ばすと水の中に倒れた。
 乙女は感染者たちを一人、一人と倒していった。不思議なことに、彼らは乙女に対して、まったく抵抗をしなかった。一度だけ危なかったのは、乙女が入り口に置いてあったランタンを取ってきて、残りの人数を確認していた時だった。一人が乙女のランタンに襲い掛かったのだ。乙女は素早く逃げ、ランタンを入り口に置きなおした。そして光に向かって突進していった感染者の背後にまわり、首を切断していた。
 やがて、すべての感染者を倒し終えた乙女は、ランタンを掲げてガラスの前にやって来た。
 牡牛は水の中に降り、穴をふさいでいた冷蔵庫を除けると、乙女を呼んだ。
 乙女は穴のふちにコートを引っかけつつ、苦労しながら中に入ってきた。
「手紙を読んだ。あれがラプンツェルか?」
 乙女が指さした先には、射手が居た。
 射手は自分の髪をつまんで前に差し出すと、「ほら。上がって来いよ」と言った。