星座で801ログ保管庫出張所

地球最後の…24

 射手は昔から素直な男で、感情をそのまま顔にあらわす。牡牛の見る限り、いまの射手の表情は、苦痛に満ちていた。このまま彼の言葉を聞き続けて良いものかと牡牛は心配した。
 しかし射手は、語り続けた。
「俺は、病気なんだって。光に当たったらぜったい駄目だし、熱いのも駄目。しかも伝染するから隔離が必要なんだって言われた。それからずーっとここに居る。最初は白衣を着た博士っぽい人が沢山ここに来て、ガラスの外から俺を観察してたよ。呼びもしないのに勝手に来るから鬱陶しかった。けどすぐに来なくなったな。今度は呼んでも叫んでも来ないんだ。そこのガラスを叩いた。何回も、何日も。出せ出してくれってわめきながら。今ならみんなその、腐った変態に襲われたんだなって分かるけど、あのころはそんなこと分からなかったから、俺は見捨てられたんだと思ってた。このままここで飢え死にかって。水が切れて、食べるものがなくなって、電気がつかなくなって、真っ暗になって、なんの音も聞こえなくなって、俺は最初は独り言とか言ってたんだけど、もうそのうち自分で自分に「うるさい!」とか怒鳴るようになって、あー狂ってきたなー、辛いなー死んだほうがいいなーとか思って、でも死ぬ道具も無いから死ぬに死ねなくて。そのうち、飲みも食いもしてねーのに、なんで俺生きてるんだろうと思った。ていうか俺、もう死んでるんじゃねえの? 俺、自縛霊とかになって、ここに住みついてんじゃねえの? 嫌だな。そりゃ腹は立つけど、別に誰かを呪い殺す気もねえのに。ぶちのめす気は有るけどな! でもウラメシヤーとか、そういう陰険なの苦手なんだって。俺は生きてる。俺は生きたい。俺は生きてるはずだ。死にたくないわけじゃないが、死にたいが、このままだと確実に死ぬが、そう考えている間は生きてるはずだ。怖かった。怖いものがあるから怖いんじゃない。なにも無いのが怖いんだ。なにも変化が無いのが怖いんだ。真っ暗で、音が無くて、分かるものといえば、温度だけだった。空気が暑くなって寒くなって、さいきんちょっと寒いのがマシになってきたから、一年経ったのは分かるんだけど。
 それでな。やっと変化が起きたんだよ。さいきん天井が崩れて、光が差し込むようになったし、水も入ってくるようになったんで、やっと終わると思った。この真っ暗でなにも無い、0と1の間の境界が曖昧な世界に、はっきりとした区別と、答えが出るだろうと思った。俺、光に当たったら死ぬらしいし。水に溺れても死ぬだろうし。けどどうせなら、太陽を思いっきり浴びて死ぬほうが気持ち良さそうだから、天井の穴が広がるのを待ってた。そのまえに天井が落ちて圧死って可能性もある。まあどれにしろ最後は同じだ。俺は死ぬ。さんざん焦らされて待たされて、それでもひょっとして、もしかして、誰かが来るのかなってって思いも捨てきれずにいたが、けっきょくは誰も来なかった。この無意味な一年に意味は無かった。まったく意味のない苦痛だった。死は無意味で、死後はゼロなら、生は死に対して何の力も持たないことになるな。絶望的な状況において、狂うことは救いで、期待や希望はただの無意味か。俺は、自分で自分の首をねじ切り、心臓を掴み出してでも、とっくに死んでおくべきだったのか。無意味な苦痛を味わっただけ無駄だったのか。でも、それでも俺は、誰かが……」
 その長い話の間に、牡牛は射手を抱きしめ、背中を撫でていた。そうせずにはいられなかった。
 射手の状況は牡牛とよく似ていた。ともに一箇所に閉じこもって、なんとか危険をやり過ごすことが出来た、という意味では。しかし牡牛が自分の考えでその方法を選んだのと違い、射手のそれは、強制されたものだった。牡牛が自分を助けるための工夫と努力をしてきたのと違って、射手はそもそも工夫や努力をすることさえ許されなかった。だから牡牛が、いつか誰かに会えるはずだという希望を持っていたのと違って、射手には、もう誰にも会えないという絶望を繰り返すしかなかった。
 射手の体は固くて冷たかったし、手触りも生々しい感触がまるで無く、ロボットを抱いているようだった。しかしこれは間違いなく射手だと、牡牛は思った。
 射手は語ることをやめなかった。不思議なほど明るい口調で。
「実は俺、いまだにこれが、夢か幻覚か妄想かと疑ってるんだけどな。自分のほっぺたつねっても痛くないのは分かってるし。どうやって確かめたらいいんだろ」
「俺をつねればいいんじゃないか」
「意味ねえ。ああ、遅いよ。遅すぎる。なんでもっと早く助けに来ないんだ!」
「ごめん」
「俺はいま、言っても仕様の無いことを、あえて言ってウサ晴らししてるだけだから、別に謝らなくてもいいんだぜ?」
「うん」
「そのテキトーさは間違いなく牡牛だ。ああ、夢じゃねー。信じられねー……」
 射手はやっと語るのをやめて、牡牛に寄りかかった。
 牡牛は胸へかかる重みと、手のひらで撫でる感触で、心ゆくまで射手の存在を味わった。いつまでも満足できそうになく、永遠に撫で回していたい気さえしたが、牡牛は精一杯の我慢をして、実際的なことを言った。
「ここの床の入り口の開け方は、どうやるんだ?」
 射手はあっさり「無理だ」と答えた。
「牡牛。俺は閉じ込められたんだぞ。こっちからドア開けられたら、意味無いだろ」
「そうか」
 では牡牛がいちばん非現実的だと思った、屋敷内にいる、腐ったものたちとの戦いしか無いわけである。しかし牡牛はそれを、前に考えたときほど、馬鹿馬鹿しいとは思わなくなっていた。理由はいくつかある。夜間ならば射手が動けると分かったこと。戦い手が二人になったということ。通路の出口から、屋敷のドアまでは、そう遠くは無いということ。
「射手。上にあがったら、俺ができるかぎり暴れるから、おまえは展望台に逃げてくれ」
 射手は、眉をひそめた。
「犠牲になるって言ってるように聞こえるぞ」
「そりゃ俺も出来る限り逃げるつもりだが、結果としてはそうなるかもしれん」
「牡牛……」
「まあ聞いてくれ。おまえは夜しか動けないから、俺たちは暗いうちにここを逃げ出すしかない。しかし夜はあの腐ったやつらも元気だから、俺たちは上にあがったら、あいつらと全力で戦わなきゃならない。おまえはここにじっとしてたから知らないだろうが、おまえの身体能力はかなり高いはずだ。俺が見たあのラプンツェル、いっきに10メートルくらいジャンプできてた。おまえにも出来る可能性がある。それなら必死で走れば逃げきれる。俺も逃げるために頑張るがな。頑張るが、まあ駄目だろうという気がする。つまりその……、そうなっても、気にしないでくれと言いたいんだ」
「……」
「逆に、おまえがやられる可能性もある。俺も出来る限り助けるが、でももし、そうなってしまったら……、俺は一人で夜の世界を逃げきることは出来ない。腐ったやつらか、夜型の肉食獣か、どっちかに食い殺される。そういうわけで、おまえが死んだら、俺も自動的に死ぬしかない。だから可能性はみっつ。ひとつめ、俺とおまえが戦って生き延びる。ふたつめ、俺が倒れたあとで、おまえが生き延びる。みっつめ、二人とも死ぬ。最後のは最悪だ。俺は出来るなら最初のがいい」
「当たり前だろう」
「うん。でも最悪の状況も考えておかないと。山羊と乙女が心配だから、せめておまえだけでも展望台に行って欲しいんだ。俺が駄目だと分かったら、早めに見切りをつけて」
「無理だな」
 やはりそうかと牡牛は思った。自分が射手の立場でも、そう答えるだろう。
「じゃあ二人で助かろう」
「ああ」
「そうだな。せめてぎりぎり夜明け近くまで待つか。屋敷の外に出たあと、朝が来て、おまえが動けなくなっても、俺が何とかして運んでやるから」
「まかせるよ。頼むわ」
「すまない。がんばって助けに来たんだが、こんなに頼りない結果で」
「いいよ。そういうふうに、なんかやって死ぬんだったら」
 牡牛は今まで、醜く腐り果てたグロテスクなものに殺されることを、最悪な死に様だと考えていた。たしかに良い死に方ではないが、しかし今はそれも、この世界においては、ずいぶんマシな死に方なのだと思えた。