星座で801ログ保管庫出張所

地球最後の…15

 数日後、曇りの日の朝、牡牛と乙女は家を出た。
 牡牛がまず驚いたのは、団地の一階までの階段に、何体も倒れていた死体だった。団地の階段は日が差し込むものの、その光量が弱いせいか、死体らは半端な痛みかたをして、作り方に失敗した人体模型のようになっている。
 乙女が、あっさりと説明した。
「おまえの気配を嗅ぎつけて、毎晩のようにやって来てたんで、俺が倒した」
 乙女が毎晩に出かけていたのは、そういう理由もあったのだった。硬貨と枕カバーで作ったブラックジャックを武器に、牡牛の寝屋の門番をつとめていたらしい。
 牡牛は建物の外に出ると、マウンテンバイクに荷物をくくりつけて、スコップを背負った。スコップについては、そんな重いものは置いていけと、乙女に何度も忠告されたが、牡牛はそれを手放す気は無かった。あとはバイクを押しながら、二人で黙々と歩いた。道がわかっていると、団地街を抜け出すのはたやすかった。
 まもなく、太陽が雲から顔を出した。乙女はさっとそばの商店のひさしに隠れた。肩で息をするその様子は、いかにも辛そうだった。牡牛は心配した。
「大丈夫か」
「やはり昼間は無理だ。牡牛、ここからは一人で行け」
 牡牛のもの問いたげな表情に向けて、乙女は安堵させるように頷いてみせた。
「日が落ちてから、あとを追う。約束する。もし俺が行かなければ……」
「俺が展望台から飛び降りる」
「もう本気にせんぞ俺は。考えてみれば、おまえに自殺するようなか弱さがあれば、今まで生き延びているはずがないんだ」
 ばれてしまったので、牡牛は別の手を考えた。
「じゃあそれはやめよう。そのかわりに、乙女が来なければ、俺はまたここに探しに来る」
 乙女は、ふっと息を吐いた。
「止めても無駄か」
「ああ」
「せめて三日、いや、五日待て。五日待って、俺が来なければ好きにしろ」
「五日?」
「どうせいったん別れるのなら、おまえのくれた情報を調べてみようと思うんだ。トンネルと野犬、学校の虎、運動場の地雷……」
「俺も行く」
「ひとりで大丈夫だ。正直、おまえが居ると足手まといだ」
 たしかに、まだ怪我から回復していない牡牛が、乙女の助けになるはずもなかった。
 黙りこむ牡牛に対して、乙女は少し、声を優しくした。
「俺は感染者に対しては平気だからな。どちらかといえば、野犬や虎の方が怖い。ただ野犬に関しては……」
 今度は、乙女が黙った。
 牡牛がなんだと尋ねると、乙女は顎に指を当てて、考えるふうに首をかしげた。
「犬に会ったとき、いやな耳鳴りがしたんだろう。だれかがトンネルから犬笛を吹いたんじゃないか」
 牡牛ははっとした。言われてみれば、そうに違いないと思ったのだ。
 犬笛は、人間には聞こえない、高い音で犬をあやつる道具だ。その程度の知識ならば牡牛にもあった。だから牡牛にはそれを音として認識できず、不愉快な耳鳴りとして感じたのではないか。ということは。
「やっぱり、あそこには誰か居たんだな」
「まだ何ともいえない。それに調べに行って、野犬に囲まれても困るしな。虎と地雷に用心しつつ、学校のほうを探ってみよう」
「……気をつけろ」
「おまえこそ。また曇る前にはやく行け」
 牡牛は頷き、バイクにまたがった。
 そうして牡牛は乙女と別れた。牡牛の心には、せっかく出会った者との別れに対する一抹の不安があったが、今は乙女を信じるしかないということも分かっていた。それに牡牛の知る限り、乙女という男は、ついても無駄な嘘はつかない男だった。だから乙女が待てと言うのなら、乙女は牡牛を待たせておいて、用事を済ませたら、ちゃんと牡牛の元にやって来るつもりなのだろう。



 展望台の周囲は、雑草だらけになっていた。
 牡牛は畑の無残な有様を残念がるよりも、雑草の生命力に驚いていた。雑草を食えるようになれば、人間は永遠に食料に困らないのではないかと思った。
 荷物を部屋にあげ、まず点検をする。部屋に何者かが侵入した形跡は無く、ただ干しっぱなしだった塩漬け肉がカチカチに固くなっていて、それは牡牛の満足する結果だった。吊るした肉をひっくり返し、さらに日光に当てつつ、部屋を掃除して回る。バケツにゴミを溜め、スコップを持って外に出て、穴を掘る。そこにゴミをあけると、畑の草抜きをはじめた。
 そうしてかがみこんで地面をよく見ると、柔らかい土の上に、けものの足跡がたくさん見つかった。牡牛は、柵を作る必要があるなと考えた。
 その日はそうして、牡牛にとっての生活の仕事をしているうちに日が暮れ、牡牛は部屋に戻り、食事を作って、食べて、眠った。

 次の日、つまり乙女と別れてから一日目、牡牛はいつものスケジュールに加えて、柵作りを開始した。公園じゅうの花壇にある煉瓦を集めてまわった。ひたすら集めては積み、集めては積むことを繰り返す。いくら積んでも大きくならない柵は、牡牛に賽の河原の話を連想させた。

 二日目、牡牛は竹を切って集めた。それを地面に打ち込んで柵を作ろうとした。材料自体は簡単に集まったが、持っている金槌では小さすぎて、竹を強く打ち込むことができなかった。

 三日目は雨だったので、牡牛は展望台に閉じこもって、布団に寝転び、これからのことをあれこれと考えていた。乙女のぶんの布団が居るなとか、柵をどうやって作ろうかとか、道具は何が要るだろうとか、色々と考えて、考えつくして飽きた。ひどく退屈だった。



 四日目を、牡牛はひどく苛々として過ごした。気に入りのコーヒーカップを落として割ってしまった。掃除をしていて指を切った。いつまでも消えない壁の染みが気になって仕方が無く、ひたすらこすってみたら染みが広がった。
 また、ツキも無かった。畑に行くと、ジャガイモがまた獣に掘り起こされて食べられていた。タケノコを取りに行ったが、すべて育ちすぎていた。住宅街に行っても、安全に入れそうな家が見つからなかった。
 牡牛は、乙女に会いたかった。乙女が病気だろうがなんだろうが知ったことではなかった。今すぐ迎えに行って、有無を言わせず連れて来たかった。嫌がろうものならふん縛って担いででも、という気さえ起こった。
 夜、牡牛は展望台で、バケツに溜めた水で体を洗いながら、つくづくと自分を反省した。他人の感触に飢えすぎているのを、牡牛は自覚していた。
 牡牛は深呼吸して自分を落ち着かせると、腕の傷から抜糸を行った。想像したような痛みは無く、抜糸はつつがなく終わった。素人の手によって縫われた傷は、いびつな形の痕となって残っていたが、牡牛にとってはどうでも良いことだった。
 牡牛は眠った。乙女の夢を見たが、牡牛は「夢よりも本物に会いたい」と、夢の中で乙女に語っていた。