「…何してんの」
牡牛が、自分を帰らせる以外の目的はないと言った次の瞬間。水瓶は相手の肩に乗せていた手を、そのまま首に叩きつけた。いつの間にやら手の形は手刀になっていた。
立ち上がろうとするのを見ると手を差し伸べる。ただし、助ける気はないようだ。手刀で叩いておいて助けるも何もないが。牡牛はいくつか話しかけられる内に、前のめりに倒れ、完全に気絶してしまった。
「何って、血管を一時的に強く圧迫して脳貧血の状態に…」
「見ればわかる。そうじゃなくて、どうして急にこんな事したのか」
「なんか蠍を帰らせるのは牡牛以外の人の望みみたいじゃない。なら、牡牛は帰って良いでしょう?
私も、まったく知らない人にまで世話やくほど出来た奴じゃないし」
「…これだけ出来るなら、脅されてもなんとかなったんじゃ…」
水瓶は、倒れた牡牛の体を抱き起こしている。一瞬重そうに見えたのは気にしない。
「やっぱり、水瓶が何をしたいのかわからない」
「み、水瓶ってちょっと変わってるから」
硬直状態が解けた魚が口を挟む。
「うん、そうだね。何だろう?ずっと倒す機会を伺ってたとか?でも同じ家で生活してたし…」
「ちょっとちょっと。倒すだなんて、流石にそれは外聞の悪い」
「その外聞の悪い事を今やったよね」
「えっと、射手が前、言ってたじゃない。双子君と一緒に来た時。水瓶の事、博愛主義の個人主義って」
博愛主義の皆平等に相愛協力、と、個人主義のそれぞれの権利等を尊重、を合わせたら。…。
「意見が違う者同士がぶつかった場合、どうなるの?」
「そこは両方大事にしてくれるというか…」
「例えば、どちらも自分の友達だった場合でも?喧嘩の仲裁役?」
「うーん。射手、こうも言ってたと思う。私は私の幸せを優先するから、貴方は貴方の幸せを優先して、みたいな子って。だから水瓶が人を連れ込んだ事に驚いてたんだよ」
…親切ではあるのに、一歩引いた感じがしていた。
全員の目的を極力邪魔していなかった。幸せそうならそれでよしという態度だった。
気絶した牡牛を見る。水瓶の腕に体を預け、静かに、昏々と眠り続けている。
「何がしたいかよくわからない桜だけど、牡牛くんには肩入れしてるのかって思ってた」
「水瓶はもっと、こう、平等!誰かのものに強く干渉する、なんて滅多にないよ」
「そうだねぇ。皆さんそう仰るし、私もそう仰りたい」
「ふーん」
魚達がやってる事も理解できなかったのだろうか。でも、友達が幸せそうだったから良かったのか。人間もそこまで嫌がっていないなら、尚更問題ないと認識したのか。
(…私は今幸せだと言ってもわかってくれるかな?聞いても半信半疑じゃないかな。そういうのがあまりよくわからない奴なのか、それはそれで気の毒)
「何か言いたそうだねぇ」
「聞いた事を個人的に整理してただけだよ」
「そう。じゃあ、私はこの子を連れて行くね。早くしないと目を覚ますかもしれないしさ」
「頼む。現にさっき1回起き上がってたしね」
「いやいや、大体は即気絶する。起き上がる方が珍しい」
「…尚更頼むよ。早く、丁重にね」
もし起きたら、またあの手刀を受けるはめになるのか…。
早くしてあげなければと、上から覗き込むようにして短く言う。
「じゃあね。元気でね」
小声で牡牛に声をかけたが、勿論返事はなかった。
傘がクルクル回転し、慣れた様子で開かれる。傘下にいた者は一瞬で消えた。
「あの、そんな深刻な顔しないで。座って、少し落ち着いて」
魚に勧められ、素直に腰を降ろす。少し上を向く。明かりが朧だ。牡牛と話していて思い出した学校生活と比べたら、話にならないほど薄暗い場所にいる。
「大丈夫だから。変り者だけど酷い奴ではないから」
「結構言うよね」
「だって本当なんだよ」
おかしい事を言っただろうかというように、不思議そうに手を口元に当てている。
目の前の素直で可愛らしい桜と、倒れるまでここにいた後輩。どちらも本当に存在する。
「本当に思うのなら仕方ない」
「うん、本当なんだもの、仕方ない」
「思うんだけど、魚が何か隠してないかなって」
「え?」
「牡牛くんが言ってたね」
「そうだね」
たじろがれた。
逢ってまだ数日だし、むやみに聞き出そうとは思っていない。思っていなかったが。
だけど、これを聞くのが今から強制的に帰らされるであろう後輩最後の目的になった。正確には、自分を帰らせるのが1番の目的で、聞きだすのは2番という印象。
1番目はお断りする。けど2番目だけならそこまででもない。
相当萎縮させてしまったようなので、用心深く言う。
「それを教えてほしいと思う。教えてくれる?」
「いきなり言われても困るよ」
自分の言葉を遮り、吐き捨てるように、
「僕が隠してる事が、すぐ言えるような事ばっかだと思って言ってるなら、何もわかってないよ」
「心底そう思ってるなら、言わなくても大丈夫」
「あ、言い過ぎた。何もっていうのは…ううん、言い過ぎでもないか」
魚は弁解しかけたが、途中でこちらを真っ直ぐ凝視した。無理矢理言おうとしているようだった。
「あの…その、ね…」
「いや、無理しなきゃいけないほどなら、少しずつでも良い」
「いいや、言うよ。実はこれを聞いていないと1番困るのは蠍なんだ。これからどう思われようが。
やっぱり言う。ごめんね。長くなるけど、黙って聞いて頂戴」