星座で801ログ保管庫出張所

桜に攫われる話 091

『お前達、どうなるんだろ。ずっと気になってるけど、魚は何か隠してないかな』
獅子の家に泊まった日の晩、寝ぼけ眼の自分へ、乙女が独り言のように言った。
昨晩、獅子が言っていた事も思い出す。
『愛情だ愛情。時間もないしな、どうしようもないと判断したら千尋の谷に突き落とすってだけだ』
時間がないと、ちゃんと説明しているようだった。
『何だよもう、文句があるなら言う時間たっぷりあったろ。今頃言うな』
自分が孤立しないようにする流れは、きちんと時間をかけて決めたようだった。
だからこそ、乙女がずっと気にしていた魚の様子について、獅子が何も言ってこないのが腑に落ちない。
(…眠気に負けてないで、具体的に何が隠し事なのか、乙女に聞けば良かったなぁ)
聞き返されても上手く説明できないほど、漠然とした事かもしれないが、
(もしかしたら、隠してるのは弱味になる事って可能性がある)
正直、贅沢を言っていられるほど蠍を説得する自信に溢れてはない。自信はないけど時間もない。だからせめて、あの漠然とした言葉を最大に利用できる状態で臨んでみた。
蠍と直接交渉するより、魚の弱味は何なのかを探る事に時間を費やそう。長々と考える時間は与えないでおこう。畳みかけよう。そう思いながら喋っていたが。
(こんなに早く黙らせられるなんてなぁ)
こんなただの説明不足ではないと思う。乙女は『隠してないか』と言っていた。これでは隠すではなく、忘れる、が正しい。これじゃない。…双子なら、ここから上手い事話せるのかもしれない。
それにしても10人が見たら9人、魚を助けるべき場面と思うであろう光景だ。そう思った矢先、
「帰ってよ」
か弱そうに見えた相手は、ちゃんと反論してきた。
「うん、蠍先輩が帰ったら俺もすぐ帰る」
「牡牛君だけ帰りなよ。その、僕は別に蠍に危害を加えようとか思ってないから」
「突然ここに連れ込んだってだけで充分だと思う」
「し、知ってるけど…」
突然顔を上げ、焦ったような顔で、
「牡牛君みたいに怒った人が桜折ったりして、こっち側にまったく被害がなかったわけでもないし」
「具体的に何があったんだよ」
「あ」
魚は目を見開くと、困惑したように水瓶へ視線を向けている。
(どうして水瓶を見るんだろ。アッサリ助け舟を出してくれるような奴だっけ)
自分も水瓶を見る。少し見開かれた目が瞬きを繰り返していた。その視線は魚に向いたまま動かない。
「…12年に1度の枠は5組までだから。後ひとり、連れて来られるし…でも、それに人間が怒って、何かあって桜が折れちゃったとか?」
蠍が魚の言葉を訳そうとしている。自分と同じく話が見えてこないのは、様子や声色でわかる。
「水瓶。俺はそんな話、ここに来る前も来た後も聞いた覚えはないよ」
「まぁ、貴方が来た後に起きたから。でも知らなくても故障はないと思うよ?」
「故障あるから今こうして話が止まったんじゃないんだ」
「いや本当に牡牛は無視して良い事だから」
「無視して良い事を、さっきあの状況で魚が言ったと?」
(でも蠍先輩が全然知らない、わかんないみたいのに…なのに乙女は勘付いてるも変な気が)
さっき、魚は真っ先に水瓶にのみ助けを求めていた。
(人間全員に隠して隠してる?えぇ…そこまで来たら規模が大きいような…)
水瓶の言うとおり無視するべきか。……
「喋って」
脅す為に包丁を持ち出すのは何日ぶりだろう。それは思わず、無言でこちらを見る蠍と青ざめて俯く魚ではなく、過去に脅した事のある水瓶に向かった。相手はもう慣れたのか飄々としている。
「喋るわけないでしょうに」
「絶対、絶対喋ってもらうよ」
「し、喋る!僕が喋るから、刃物仕舞って!」
必死の形相で手を伸ばした魚を、良い奴だなぁと思いつつ包丁を仕舞う。
「あ、あのね、牡牛君が皆を一箇所に集めて話をしたがった日があったじゃない?」
「そうだね。俺がここに来た次の日か。何があったの?」
「さ、さっき蠍が想像した通りの事が起こってね?牡牛君達が通ってる学校にある桜なんだけど…」
「学校の…へぇ。それで?」
「雨降ってて、風もすごくて。それに、その桜、元々弱ってて…」
「で、何で隠すの?」
「僕も水瓶も射手も獅子も、皆知ってる桜で…対して、折ったっていうか寿命縮めちゃった子が…」
顔色を伺うように上目遣いに見られ、
「牡牛達と同い年くらいの学校の生徒さんだって…元々知ってる子が連れ込まれて怒ってたって…」
…牡羊?
「もしかして、牡牛君達の内、誰かの友達かもしれないじゃない?でも折れた桜だって、僕達の知り合いで…。気まずいから黙ってようって…。あ、その子は無事だからね!?」
そういえば、自分がここに来た次の日。突然獅子の家に行く事になり、乙女と留守番させられた。
(俺達の知ってる人間が、水瓶達の知ってる桜を殺したって話か)
「多分それ、俺と乙女のクラスメートで双子先輩が可愛がってる後輩だ。でも、もう安心してよ。
乙女と双子先輩はどんな反応したかわからないけれど、俺はそれを聞いてもそんなにダメージ受けないから。だって、刃物で脅してここに来た人間だよ?」
それにしても、牡羊はそこまで出来たのか。やっぱり別行動を取って正解だった。そうしなかったら足手まといになっていたかもしれない。無事というのは何よりだ。今頃何をしているだろうか。
「ねぇ、ちょっと良い?」
静かに魚を見守っていた蠍が口を開いた。
「はい」
「もしかして、誰かに頼まれてここに来たの?」
一瞬、何を言い出すのかと首を傾げた。
「私は牡牛くんとここに来て初めて会った。牡牛くんが以前から仲良くしてたのは双子くんと乙女くん。
そのクラスメートの子も同じようなものなんだよね?」
「大雑把に言えばそうです」
「会った事もないのに、こんなに熱心に帰そうって言ってくれる事がちょっと不思議になったんだ。
だから、誰かに頼まれたのかと思った」
「…頼まれた…ですか…」
少し考えた途端、自分の目が焦点を失ったのがわかる。
自分はいつから、こんなに頑固になって、双子と乙女と蠍を帰そうとしたのだっけ。
水瓶、魚、獅子、射手の桜側は違う。早々に攫われた乙女と蠍でもない。双子は情報収集や何とかする方法探しを始め、それから間もなく攫われた。あちらからは何も強制されていない。
牡羊は、思い出してほしがってはいた。話を整理したりもした。最後に学校で話した内容は何だっけ。牡羊のお兄さんに何か聞いてみようか、だったっけ。
それからは別行動を取り、今に至る。
(…頼まれてなんかないけど…)
大体、強制的に忘れさせられていたのだから。
初対面の相手にここまで執着する自分が不思議だと、蠍は純粋に思ったに違いない。それはそうですね、と、少し前の自分なら言うだろうか。知らない方が幸せとはこの事か。
『牡羊は、そんな事があったら攫われた人を助けるみたいで』
『格好良いね。牡牛くんも助けるの?』
『知ってる人なら助けるかなぁ?牡羊は全員助けて、攫った奴殴りたいって考えですが』
突然、天秤との会話が頭に蘇った。最後に牡羊と話した日、第三者の意見が聞きたくて天秤に桜の話をしたのだった。勿論、ただの噂話として。そして例え話もした。牡羊の考えと自分の考え、どちらを支持するかと聞いた。
天秤はどちらも否定しなかったが、
『そうだな。人が全員助かるなら牡羊くんかな』
『話してて牡羊と少し意見が違ったので。他の方はどうするか聞きたかったんです』
『誰でも、そんな完全な助け方は出来ないと思うけど』
『えぇ。俺もそんなヒーローみたいな事は無理。その補佐すら怪しい』
『…そんなに?少しは無理かな?』
『少しでいいなら俺もやっちゃいましょうかね〜』
持っていた図書室の鍵も、歩いていた廊下も、職員室の扉も、全部鮮明に浮かんでくる。
(あー…そうか…)
自分の願い事はもう叶った。いつの間に、牡羊の願いを自分の願いと思っていたのだろう。
もう、少しだけやっちゃっただろう。帰って良いんだ。
何だかホッとして前を見た瞬間、現実に引き戻される。
下を向いている魚に、質問の答えを待ち続ける蠍が見える。隣には無理矢理付き合せている水瓶もいる。
何、これ?と、しばらく他人事のように眺めていた。
「…時系列がわかる奴が欲しい。場所変えよう。…獅子の家に行こう」
「やめてあげなよ。あれでも強がりさんだから」
強がり?そうか?笑っている姿と怒っている姿しか見た事ない。あと偉そうにしている姿。いやでも、自分の行動を友達思いな行動と捕らえて勝手に感動するところがあった。
「それなら、やめてあげようか」
失恋したての相手に押しかけるのなら、射手の時にもうやっている。当たり前だが怒っていた。しかしその数日前、水瓶の家に遊びに来た時は、明るい声とそれが似合う容姿と性格を持った奴だと思った。
水瓶は…いつも通り。今も傘を片手に場を見ている。
(そうだ、いつも通りだ)
今のは、あまり突っ込んでほしくない事を確認させられただけだ。落ち着いて息を整える。
「蠍先輩が不思議に思う気持ちはよーくわかります。ホント世の中色んな奴がいます、見ず知らずの他人を助けようとする人とか」
「それはさっきから言ってるクラスメートの子?事務の人じゃなくて?」
「事務?」
「あ、違うならいいよ」
「じゃあ、話を戻します。俺は裏事情聞きに来たわけじゃないんだ。もうぶっちゃけると、魚が何か隠してないかなって」
「まぁ後は、蠍に帰ってもらうのだけが目的なんだよね」
唐突に水瓶が呟いた。
「それ以外には何かあった?ねぇ牡牛?」
ポンと軽く肩に手を置いてくる。今更な質問に顔を見ず、只ひとこと、
「ないよ」
と言った。もう一刻も早く用事を終わらせてしまいたいと思った。
ーいきなり目の前の景色がなくなった。
(あれ)
目を閉じたように真っ黒で何も見えない。声を出そうとして、呼吸が上手くできない事に気づく。
体の半分に鈍痛が走った。気を失わないよう、必死で目を開く事だけに集中する。その甲斐あって、少しずつ視界が色を取り戻す。
どうやら、床に倒れたらしい。
立ち上がろうとすると、また視界が黒くなる。一瞬色が戻ったと思えば物が何重にも見えて、わけのわからない視界に気分が悪くなり、ひたすら手を伸ばす。すると誰かの手を掴んだ。
「素直に寝なさい」
掴んだ手は、差し伸べられたもの。手の主は水瓶。それはわかるのに声が遠い。
(これ…水瓶がやったの?何、これ?なんで?)
「…………………………?…、……?………?」
声が出ない。苦しい。見えない。でも、手を掴んでいる感覚はある。目の前にいるのだと思う。膝をついたまま頭を動かせないまま、意地でも意識を保って声を出そうとした。
(何があったんだよ、俺まだやる事があるよ)
「……………………、…………………………」
やっぱり声が出ない自分に、段々遠ざかる水瓶の声が耳に届く。
「牡牛は私とずっとここにいたい?」
(どうしたんだよ、いきなり)
自分が帰れなければどうしようもないじゃないか。そこまで自己犠牲の塊になった覚えはない。
ただ、あんまり暗いと怖い。
(帰りたいなぁ)
黒いままの視界が途切れる寸前、心からそう思った。