水瓶が来たのは夕飯の支度をしている頃だった。
「や、獅子。ちょっといい?」
「作りながら喋るんでいいなら」
「夕飯、今作ってるやつを分けてくれないかなー。牡牛が私の分まで半分近く食べやがってねぇ」
淡々とした声。横目で見ると、勝手に釜を開けている。
「叱れよ。それとも、あいつも料理が碌に出来ねーのか」
「ううん、凄い量を作る事を除けば普通に作れるよ?」
そういや食事が好きな奴だった。
「牡牛は料理出来るんだな…」
思い出す。魚を三枚おろしにする、大根を千六本にきざむ、八方だしを作る。これらを聞いて凍り付いていたのが乙女だ。出来ないか知らないかのどちらかだった。作る料理は食べれる程度の美味しさ。茶の入れ方は完全アウト。教えた事は割りとすぐ覚えていたのが救いだが、結局完璧に覚えはしなかった。
(そういや最初料理を精一杯歯に衣かぶせて褒めたら逆ギレして拗ねられたな。何故だ)
今なら幼馴染に料理習って来いと言える。これで台所での喧嘩発生率が大幅に低下しただろう。
「今、目標達成に近づいて気が抜けちゃったみたいなんだわ。彼の食欲がいつもの3割増だよ。まだお腹をすかせてたほどにさ〜」
難しそうな顔で喋りつつ、出していた食器を手に取ると、勝手に自分の分をついでいる。
「へぇ。仕方ない、牡牛にも少し恵もうか。食事、俺の分もついでについどけよ。膳ごと隣の部屋にでも持って行って食ってろ」
「ん?牡牛に恵むって?今から牡牛も連れて来た方が良いの?」
「1食以上食ってんだろ、そこまでするかよ。ただ、腹すかせてるんなら土産に少しくらいな。つーか、案外平気そうだな…もし帰れなくなりそうなら俺が殴って気絶させて強制送還するつもりだったが」
「いくら頼まれたからってね、面倒な。物騒な。獅子がそこまでしなくってもねぇ」
「そうでもねーぞ」
好きな奴が自分を心底信じて頼んできた。
今は普段なら一蹴しているような事でも、まぁ完璧にやってやるかという気分だ。
食事は自分以外に食べさせてもいいと思える味に仕上がっていた。流石俺。
「楽しく頼まれ事引き受けてるなら良いけどねぇ。依頼主は過保護すぎやしないかい。自分に惚れてる奴に、違う相手の事をここまで頼むかい、普通」
「あ?嫉妬するだろうからやめてやれとでも言うのかよ?」
空いた食器を膳の上に放りながら説明してやった。
「あいつと何年も一緒にいた幼馴染に嫉妬しろとか…。あいつらが会ってなかったら今と色々違ったかもしれないんだろ?それなら感謝はするけど嫉妬はしねーよ?」
「ふーん」
「相手が昨日今日会った奴なら話は別だけどな。お前とか」
「安心しなよ。私はその子の為に時間を使いたくはならないねぇ」
蹴られて嫌いになっちまったのかと笑い飛ばしかけて、止まった。そして首を傾げた。
(蹴られるのと包丁突きつけられるのとなら、前者の方がマシだよな?)
「いくら自分を気に入ってたからって、包丁ならなんやら持って脅してきた奴には時間使えるのか?」
「えっ毎日喧嘩してた貴方が言うの?」
本気で驚いているらしく、箸から沢庵がボトリと落ちている。
「んな、相手が脅してきた奴ならともかく…」
自分ですら、ここまでするのは予定外だし有り得ないとたかをくくっていたような奴なんだが…。
「お互い納得して幸せに暮らしてるならそれで良いじゃない、平和平和」
「あ?あぁ、そーだな!」
これでも綺麗な別れになるよう、心を砕いたのだから、第三者から見て『幸せ』『平和』と評されたのは喜ぶべき事なのだろう、多分。水瓶の評価は大抵どこかずれているけれど。
釜の中に少し残っていた米で握り飯を作りつつ、変わった友達だなぁと再認識した。
「ほい。これ土産。皿は適当な時に返せ」
握り飯ひとつに出し巻き卵がいくつか乗った皿を水瓶に渡す。
「どうも。ところで獅子よ、貴方は今、誰と暮らしてるのさ」
「誰って誰だよ。もうこの家に住んでるのは俺だけに決まってるだろ」
「それじゃあ明日から食事は一人前減らして作るって、頭に叩き込んどきなよ。捨てる食事が出来ちゃうよ」
「…食事?」
そういえば、分けたにしては水瓶の分は一人前の量だった。皿につぐのを任せたから…その皿も、棚から取らせたっけか。もう用意してあった物を取っていなかったか。
「ちょっと間違えた。これから片付けるんで帰れよ、それ牡牛に渡しとけ」
いつの間にか片付けられる事なく、部屋に置きっぱなしになっている膳を見て言った。