星座で801ログ保管庫出張所

桜に攫われる話 086

「着物の1枚や2枚やるぞ。本当にいらねぇのか?」
「戻った時、見覚えのない物持ってたら驚くだろう。だから、いい」
「ま、そりゃそうだけどよ」
何か渡したいのだろうか。しかし、あと少しで獅子への情も記憶も消えるのだから仕方ない。
…余計な事を思ってしまった。これを前提にしたら、この後何を聞いても何があっても虚しいだけだ。これが本当の事に違いないが、最後くらい『好きな奴と一緒に居れた』と思って終わりたい。速攻で話を変える。
「それよりも、いつの間に制服を洗濯したんだか」
「知らね」
(この期に及んで格好つけるなぁ、こいつ)
無理するなと言いたいものの、言ったらそんな事ないとか叫んで怒るだろう。
(そもそも俺の頼みがこうなってる元凶だしな)
「食事にしたって、食ってかねぇのかよ」
「多分、真っ直ぐ帰るからな。そしたらすぐ家につく。夕飯が食べられないのは困る」
満腹感とか、こういうものこそ消えればいいのに。最後も食べないのか、自分は。れっきとした理由があるとはいえ、食べると言った方が喜ぶだろうとわかった上で断っている。
「牡牛が食べたいって言ったら出来る限り作ってくれ。あいつは食べるの好きだから」
「言われなくてもわかってるっての。特別な意味で愛する以外は何でもしてやる」
胸を張って笑っている。それを眺めていると不思議になってきた。
「お前は俺のどこを気に入ったんだ?」
ぴたりと笑いが止まった。
「だってそうだろ。1番がいいと言っても、初めて逢った時って夕方じゃないか。朝も昼もあったんだ、通行人も花見客も、もっと目を惹くのは山ほどいたと思うんだが」
「俺の見る目が間違ってなかっただけだろ。言わせんな当たり前な」
偶然なんとなく目に止まり直感で気に入られたのか。
「今、お前に対して怒っていたら日が暮れるな」
「よくわかってんじゃねーか」
扇子が取り出された。鞄を握る手に力が入る。
「帰れなくなる前に帰れ。真っ直ぐ帰れ。大丈夫だから」
「やっぱ待て、ひとつだけ言い返したい」
「はいはい世話の焼ける奴」
「俺だって特に大きな理由もなくお前の所に行ったから、同じだ」
「そんな夢のない事、ぶっちゃけなくてよろしい」
自分の事棚に上げやがった…。
「さて。言い残す事はあるか?」
「そうだな…最後だし…」
目を伏せて考え込んだ。思いついた事を頭の中で箇条書きにしていく。
・食事に関しては、獅子も悪いがこちらも悪かった。
・食べてみたらちゃんと美味しかった。
・自分の作った料理が随分低評価だが、あれでも頑張ってるから褒めてくれ。
・片付けに少しは気を遣ってくれ。
後、ここから出たいと思った事とここに居たいと思った事の回数なら、後者の方が弱冠多いかもしれない。何せ喧嘩ばっかりしてた気がするからな。会話と口喧嘩はイコールになるんじゃないかと思うくらいだ。って、『ここ』か?『獅子』か?
箇条書きが思いついた事に追いつかなくなってきた。そうだ名前読んでないけど今名前だけ呼ぶのもわけわからないか。にしても多いぞ思いつく事。もっと気が利いた言葉で短くまとめよう。えーと…。
「…お世話になりました」
「そうとも、忘れるな」
言い終わると同時に、もう聞きなれた音が空気を切った。

…何で庭園の出入り口傍なんかにいるんだ。
正確に言うなら、その近くに咲いている桜の傍だ。周囲を大きな石で囲んである、いかにも目立たせる為に植えました、という感じの桜。それに近寄れる限り近寄り向かい合った形だ。
足元にある石を見て、これ以上近寄ってどうする気なのかと我ながら思う。
(ここは、家とは少し違う方向の場所なんだが…本当にどうした)
首を傾げながら、頭上を覆う葉桜を見た。葉と葉や、花と花の間から夕日が差している。
「綺麗だなぁ」
ゆっくり落ちてくる花びらを見た素直な感想だ。もう少し見ていこうかと思った時、風が吹いた。
落ちていた花びらも舞い上がるような突風だった。
「………」
転ぶかと思った。花びらが当たった箇所が痛い気すらする。
(…これから天気でも悪くなるのか?いやそれより、今ので花が散ったんじゃないか?)
桜を見上げた瞬間、自分がその影にいたと実感した。それくらい、葉桜になっても妙な迫力がある。
「…散ってない?な。良かった」
まぁ今雨が降ったりしたら、自分も物理的に困るが。
それからまた3度ほど突風に当たった時、ようやく思った。
(帰ろう)
何だかいつもより、帰らなきゃいけない気がしてきた。真っ直ぐ帰ろう。
花影から出るまでの間、花びらは降り続けていた。影から出て夕日に当たった時に振り返ると、目立つだけに影も大きいのは寂しい感じがするなぁと思った。
とにかく、帰らないと。