散歩に出かけた水瓶が帰ってくるなり、『用事が出来たよ」。自分の手を引き獅子の家へと向かった。
そして何やら小さな声で喋り、『ちょっと射手と魚のとこに行くから、ここで大人しくしてろ』。
水瓶と獅子だけ行ってしまった。何があったの、という声に答えたのは、『随分、急いでいたな』
やはり何があったかわからない乙女だった。
仕方ないので、言われたとおり大人しくお茶を飲む。空になっていたペットボトルは乙女が洗ってくれた。急須のお茶が余ったら、それを入れてしまえとの事だ。
ぬるくなったお茶を入れながら言った。
「入れたてのお茶じゃあダメかなぁ」
「もしペットボトルが変形したら、俺は困らないがお前が困る」
自分は困るだろうか。そんなに困らない気がするけど、どちらでもいいか。
「ねぇねぇ」
「何だ?」
「どうすれば帰ってくれる?」
「最低でも、お前が帰らないなら帰りたくない」
「やだなぁ。俺は乙女と双子先輩と蠍先輩が帰ったなら1秒後にでも帰る気満々だよ」
「3人連れて帰るなんて無理そうだから言っているんだ」
困り果てたようにこちらを見ている。
「蠍先輩は特に。3人なんて言ったら、牡牛、お前ずっとここに居るかもしれない」
「蠍先輩限定なの?乙女は、俺が帰ってって頼んだら帰る?」
「俺だけ帰ったら、誰が無条件でお前の味方するんだ?水瓶か?他には?」
条件次第では、速攻で帰ってくれそうだ。ただし、後ろ髪を引かれる思いで帰りそうだ。
「珍しいね〜。素直だ」
「こんな時にふざけんな。それより、明日の射手と魚のほうが心配だ。包丁持ち出すなよ」
「そればっかりは、気軽に『はい』って言えない」
物騒だと怒られようが、あれは数少ない護身用品。それが使えないなんて怖い。
「水瓶に傘使ってもらえれば、すぐ逃げられるだろ。攻撃するんじゃなくて逃げろ」
「水瓶かぁ。あいつって、どこまで頼りにして良いんだろね」
昔から知っている桜というだけの理由で選んだが…獅子を見るに、自分はかなりの当たりくじを引いたようだ。あの平和さとアッサリした性格には大分助けられている。
(何考えてるのかわかりにくくても、今は特に困ってないから何とも言えないんだよねぇ)
「呼んだ?」
声の方向を見ると、水瓶と獅子がいた。思ったより早く帰ってきてくれた。
「おかえり。…明日、牡牛が何かやったら速、連れて逃げてくれって話だ」
「おう、今戻った。で。あのな、牡牛が何もしなけりゃ心配事は起きねぇよ。幼馴染だろ少しは何とかしろ。大丈夫だ絶対お前なら出来る混乱しない限り」
「何を根拠に言ってるんだ!」
「俺が根拠だ」
世界は自分を中心に回っていると言いそうな人、実際見たのは初めてだ。あ、人じゃない桜だ。
「本当に全部私頼みは困るからねぇ。何事もなければ最高だね」
何とも言えない。やっぱり頑張ってくれ水瓶。
「獅子〜。どうせ明日また来るんだし、もう泊まるね」
「あ、夕飯は食べてるから布団だけで大丈夫だよ」
「お前ら泊まるの前提で話進めんな!」
「そっか。じゃあ…泊まっちゃだめかな?」
確かに、まずは聞いてみなくては。というわけで聞いたら、扇子を取り出し少し開いている。
布団が真横に二組落ちた。
「おぉ…!」
「ふっ♪」
感嘆の声をあげると、得意気にされる。なんか、単純…じゃなくて、単に純粋な方だ。
「乙女と獅子は?どこで寝るの?」
「えっと…俺は向こうにある部屋をひとつ、使わせてもらってる」
「あ、じゃあ俺、乙女と同じ部屋に行く」
「わかった。これ片付けたら一緒に行こう」
「じゃあ私は獅子が居る部屋に行くね☆」
「来るのは別に良いからその言い方やめやがれ」
食器を乗せた御盆を持った後、獅子と少し話すと乙女は台所に行ってしまった。
落ち着かない。
桜って、もっと木の化物みたいなのだと思っていた。事実、間違ってもいないはずだ。水瓶と会った時点で気づくべきだったが、どうやら自分は人の形を刺せる神経していないらしい。
喜ぶべきか悲しむべきか。
(おまけこいつら、攫った後は保護してる…って矛盾があるけど、とにかく倒すと面倒が起こる)
牡羊が外から壊すなら、自分は内から壊そうと考えたのに。建物の中にいる人を助けたいのに、外壁や柱を壊すようなものじゃないか。外壁ならまだしも柱を壊すのはダメだ。柱にヒビを入れるのは、それをしてもいいくらいの勝算が見えるか、外から助けが来るか、最終手段の賭けにしよう。
自分が死んでからも攫った人間をここに置くくらいなら、三途の川を渡る前に帰すかもしれない。
(…結局、自ら手放してもらうようにするのが1番安全そうなんだよねぇ)
悠長にも程がある話なので、こんな事をしているわけだが…。
(外に居たら様子どころか記憶もわかんないし、ただの人質という立場を回避できてるだけで僥倖かなぁ)
来る前の状況と比べれば、間違いなく来て良かった。
(でも、外に味方がいてこその今の俺なんだからね。そこは頼んだからね牡羊)
…と、ごちゃごちゃ考えてみても事態は好転しない。
それによる気分は、今日のところ、寝る前まで続いた。
「おやすみね〜うわぁ抱き心地良い、やっぱ牡牛は抱き枕としてこっちに来てもらおう」
笑い声が耳元まで、手が背中辺りまでやってきた。
軽く抱きついてきた水瓶の足に蹴りが入ったのはその直後だ。
「あ゛ぁ゛?何をやっている?」
「もう眠ぃから騒んじゃねーよ。少し抱きついたくらいでガキかお前は。ガキだけど」
限りなくどうでも良さそうに獅子が欠伸をした。あんたの相方が視線で誰かを殺せたなら、あんたの友達は即死しそうなんだが。いや、その視線を浴びても平然としているので、この場で欠伸する権利は充分あるのかもしれない。
「アノ人コワイヨ…」
「じゃあ水瓶、おやすみ〜」
自分は乙女を、獅子は水瓶を各部屋に引っ張った。後ろで襖が閉まる音がした。
「あんまり怒ると眠れなくなるよ?」
「あんなの怒りたくもなるだろ!何だあの変態!」
冗談で抱きついただけにしか見えなかったが…変わり者ではあっても変態ではないと思う。
「寝〜よ〜う〜」
話に付き合っていると日付が変わりそうなので、半強制的に布団の上に転がし自分も横になる。
「うっわ布団ふわふわだ〜良いね良いね!おもてなし抜群だねぇ」
ゴロゴロしてもふわふわする。
「何してんだよ…」
先刻、ガキと言われた人は『ガキかこいつは』と言いたげにしていた。からかったり放置したりを繰り返していたら、自分はいつの間にか寝てしまった。
あー、ここ安心する。学校で働き始めた年の入学式、門の前で項垂れている子を見つけた。聞くところによると、自転車がパンクして遅刻したそうだ。
自分はただ通りかかっただけだ。門の鍵なんて持っていないし先生方はほとんど式に出ている。
その子は、遅刻しやすい生徒には見えなかった。気の毒になり知恵を絞った結果、別の方向にある門がまだ開いているので、そちらへ走るよう促した。そして式が開かれている体育館に走り、1年を受け持つ中でも最高責任者の先生を捕まえて話した。
数十日後、廊下を歩いていると呼び止められた。入学式に遅刻した子だ。お礼を言い忘れたので、それで自分を探していたそうだ。
職員室を見てもいなかった、と言われた。そりゃあ教師じゃなくて事務員だから、と言った。
学校に勤め生徒の記憶に残るとはこういう事か。なんだか嬉しくて仕方がない。
約2年後、その子から弟が入学すると聞いた。入学式が始まる。懐かしい思い出が蘇る一方で嫌な予感がする。少しだけ門を見てみると、門の前で両手両膝をつく生徒がいた。その横には自転車。
まさか…いや、ないないと思いつつ声をかけると、まさに例の弟くんだった。
後日、
『理由は全然違うけど、兄弟だねぇ』
『…遅刻したって、絶対あいつには黙っててくださいよ』
内緒にしてたのかと、思わず笑ったら怒られた。
怒られようが、入学した時から自分にとって、山羊は可愛い子だ。牡羊も可愛い。もし、身内にこれくらいの年齢差の子がいたら、間違いなく溺愛していたに違いない。
「本当に駅までで良いの?高速に乗れば家まで行けるよ?」
「駅までで大丈夫です」
山羊は何だかそわそわしている。自分の車はそんなに落ち着けないだろうか。
「雨がやんで良かったねー。行きは傘が役に立たなかったんじゃない?」
「それはまぁ…でも高校の時に自転車通学だったせいか、濡れるの慣れました」
「いや慣れない方がいいと思う」
久々に会って言った第一声が「靴脱ぎなさい」になるとは。上手く屋根がある場所を歩いたのか、割とすぐ乾いたが…生徒指導室から借りたドライアーも、これほど活躍するとは。
「ごめんね。天秤先生は今年来た方だから山羊くんの事知らなかったらしくて、年の離れた兄弟だと思って呼んじゃったんだって」
「ですねー…そういうのは、はい、慣れてますんで…」
地雷を踏んだらしい。もしかして天秤先生、年の離れた兄弟以外にも何か言ったのでは。
「中学の時、木から落ちた時も電話がかかってきたし…よく電話を使わせる奴だなぁ」
思い出した事でもあるのか、ひとりごとのように呟いていた。
「牡羊くん、中学の時も何かあったの?」
「受験勉強してたら電話が鳴って、そのまま話されそうになりましたけど…父親に代わりました。で、電話が終わったら親は学校へ迎えに行ったんですけど。木登りしてたら落ちたそうで。保健室の先生が、運と反射神経が良い生徒だと感心したほど軽傷でした」
…『学校まで迎えに行く』は父親が言っていたものをそのまま口にしてしまったのかもしれない。
駅の送迎場所で車を止めた。
「ありがとうございます。天秤先生にも言いましたけど、親には俺から伝えますので」
「はい、交通費」
「う…す、すみません。いや、本当に大丈夫そうだったし。電話かけても留守なら仕方ないよなと」
「帰ったら休んでよ?」
「そこまで疲れてませんよ」
「それでも休んでね?」
言いながら山羊の頭を撫でた。途端に、目に見えて肩の力が下がった。持っている鞄からはノートや参考書が覗いている。大学から速攻で来たといったところか。帰りの交通費を払ったら、財布が空になってしまうんじゃないだろうか。早く弟の無事を確認する事以外、考える余裕がなかったのか。
「頑張ったね」
「はい」
(『はい』じゃないだろ俺よ)
電車に揺られる内に気づくも、時既に遅い。
(親への連絡は…メールにしよう。読み返せるから何度も説明しなくていいし)
蟹とは、やっぱりあれか、まだ同じ場所に立てないのか。
入学式からずっと同じ扱いだ。困った時に世話をやいてもらうところから全く進歩していない。かれこれ
4年目突入して距離が少しも詰まりません、は流石にどうなんだ。
昔、あの先生は誰だったのかと探し回ったのを思い出す。…先生じゃなくて事務員とは盲点だったが。まぁ今となってはどうでもいい思い出と化した。
それよりだ。外気圏より高くマリアナ海溝より深い問題がある。
年齢。こればっかりは、今後どれだけ努力しても埋まらない。
それに直面した数年前の自分はこう結論を出した。「社会人になって力をつけようそうしよう」。
そうしたら、いつも面倒見てもらった側から今度は面倒見る側に変われないかなーとか考えたわけだ。
生徒扱いは、面倒を見る側から限りなく遠いところにある。
というわけで、これは将来の目標に追加される事となった。
ただ、急に接近できるとも思えない。高校卒業が少しは役に立たないか…と考えていたのだけれど。
…それらは全て、弟がいるというのが当然の前提として作られている。前提。当たり前。牡羊に関する目標は『元気があり余っていても良い。常識を知った上でそれを活かせるようになってくれ』が幼き頃、やたら面倒を見させられたので作った目標だ。…もうこの目標を立てた時点で、落ち着きを持ってもらう事は諦めていた…。そして年月と共に『自分の事は自分でやれ』が追加された。
(牡羊は兄弟だから暢気に考えられるけど…蟹さんは暢気にしてたらまずいよなぁ。結婚したとか勘弁してほしいが普通に考えて難しいよな。何かないかなーないかなー)
電車が途中駅で一旦停止する。目が乾いたおかげで、外の景色が滲まず見える。雨で随分散った桜が、それでも華やかに咲いていた。牡羊が言っていた話が頭に浮かんだ。
(12年くらい時間くれないかなぁ…10年でもいい。もし扱いが変わったらすぐにでも計画変更したい)
目標をたてた時、大学生は高校生より社会人に近く見えたが、いざなってみると同意しかねる。
考えあぐねている内に、再び電車は動き出した。