星座で801ログ保管庫出張所

桜に攫われる話 062

学校で働き始めた年の入学式、門の前で項垂れている子を見つけた。聞くところによると、自転車がパンクして遅刻したそうだ。
自分はただ通りかかっただけだ。門の鍵なんて持っていないし先生方はほとんど式に出ている。
その子は、遅刻しやすい生徒には見えなかった。気の毒になり知恵を絞った結果、別の方向にある門がまだ開いているので、そちらへ走るよう促した。そして式が開かれている体育館に走り、1年を受け持つ中でも最高責任者の先生を捕まえて話した。
数十日後、廊下を歩いていると呼び止められた。入学式に遅刻した子だ。お礼を言い忘れたので、それで自分を探していたそうだ。
職員室を見てもいなかった、と言われた。そりゃあ教師じゃなくて事務員だから、と言った。
学校に勤め生徒の記憶に残るとはこういう事か。なんだか嬉しくて仕方がない。
約2年後、その子から弟が入学すると聞いた。入学式が始まる。懐かしい思い出が蘇る一方で嫌な予感がする。少しだけ門を見てみると、門の前で両手両膝をつく生徒がいた。その横には自転車。
まさか…いや、ないないと思いつつ声をかけると、まさに例の弟くんだった。
後日、
『理由は全然違うけど、兄弟だねぇ』
『…遅刻したって、絶対あいつには黙っててくださいよ』
内緒にしてたのかと、思わず笑ったら怒られた。
怒られようが、入学した時から自分にとって、山羊は可愛い子だ。牡羊も可愛い。もし、身内にこれくらいの年齢差の子がいたら、間違いなく溺愛していたに違いない。
「本当に駅までで良いの?高速に乗れば家まで行けるよ?」
「駅までで大丈夫です」
山羊は何だかそわそわしている。自分の車はそんなに落ち着けないだろうか。
「雨がやんで良かったねー。行きは傘が役に立たなかったんじゃない?」
「それはまぁ…でも高校の時に自転車通学だったせいか、濡れるの慣れました」
「いや慣れない方がいいと思う」
久々に会って言った第一声が「靴脱ぎなさい」になるとは。上手く屋根がある場所を歩いたのか、割とすぐ乾いたが…生徒指導室から借りたドライアーも、これほど活躍するとは。
「ごめんね。天秤先生は今年来た方だから山羊くんの事知らなかったらしくて、年の離れた兄弟だと思って呼んじゃったんだって」
「ですねー…そういうのは、はい、慣れてますんで…」
地雷を踏んだらしい。もしかして天秤先生、年の離れた兄弟以外にも何か言ったのでは。
「中学の時、木から落ちた時も電話がかかってきたし…よく電話を使わせる奴だなぁ」
思い出した事でもあるのか、ひとりごとのように呟いていた。
「牡羊くん、中学の時も何かあったの?」
「受験勉強してたら電話が鳴って、そのまま話されそうになりましたけど…父親に代わりました。で、電話が終わったら親は学校へ迎えに行ったんですけど。木登りしてたら落ちたそうで。保健室の先生が、運と反射神経が良い生徒だと感心したほど軽傷でした」
…『学校まで迎えに行く』は父親が言っていたものをそのまま口にしてしまったのかもしれない。
駅の送迎場所で車を止めた。
「ありがとうございます。天秤先生にも言いましたけど、親には俺から伝えますので」
「はい、交通費」
「う…す、すみません。いや、本当に大丈夫そうだったし。電話かけても留守なら仕方ないよなと」
「帰ったら休んでよ?」
「そこまで疲れてませんよ」
「それでも休んでね?」
言いながら山羊の頭を撫でた。途端に、目に見えて肩の力が下がった。持っている鞄からはノートや参考書が覗いている。大学から速攻で来たといったところか。帰りの交通費を払ったら、財布が空になってしまうんじゃないだろうか。早く弟の無事を確認する事以外、考える余裕がなかったのか。
「頑張ったね」
「はい」

(『はい』じゃないだろ俺よ)
電車に揺られる内に気づくも、時既に遅い。
(親への連絡は…メールにしよう。読み返せるから何度も説明しなくていいし)
蟹とは、やっぱりあれか、まだ同じ場所に立てないのか。
入学式からずっと同じ扱いだ。困った時に世話をやいてもらうところから全く進歩していない。かれこれ4年目突入して距離が少しも詰まりません、は流石にどうなんだ。
昔、あの先生は誰だったのかと探し回ったのを思い出す。…先生じゃなくて事務員とは盲点だったが。まぁ今となってはどうでもいい思い出と化した。
それよりだ。外気圏より高くマリアナ海溝より深い問題がある。
年齢。こればっかりは、今後どれだけ努力しても埋まらない。
それに直面した数年前の自分はこう結論を出した。「社会人になって力をつけようそうしよう」。
そうしたら、いつも面倒見てもらった側から今度は面倒見る側に変われないかなーとか考えたわけだ。
生徒扱いは、面倒を見る側から限りなく遠いところにある。
というわけで、これは将来の目標に追加される事となった。
ただ、急に接近できるとも思えない。高校卒業が少しは役に立たないか…と考えていたのだけれど。
…それらは全て、弟がいるというのが当然の前提として作られている。前提。当たり前。牡羊に関する目標は『元気があり余っていても良い。常識を知った上でそれを活かせるようになってくれ』が幼き頃、やたら面倒を見させられたので作った目標だ。…もうこの目標を立てた時点で、落ち着きを持ってもらう事は諦めていた…。そして年月と共に『自分の事は自分でやれ』が追加された。
(牡羊は兄弟だから暢気に考えられるけど…蟹さんは暢気にしてたらまずいよなぁ。結婚したとか勘弁してほしいが普通に考えて難しいよな。何かないかなーないかなー)
電車が途中駅で一旦停止する。目が乾いたおかげで、外の景色が滲まず見える。雨で随分散った桜が、それでも華やかに咲いていた。牡羊が言っていた話が頭に浮かんだ。
(12年くらい時間くれないかなぁ…10年でもいい。もし扱いが変わったらすぐにでも計画変更したい)
目標をたてた時、大学生は高校生より社会人に近く見えたが、いざなってみると同意しかねる。
考えあぐねている内に、再び電車は動き出した。