最悪の事態になった…。
今すぐ3人全員の元に連れて行くのは無理だ。なので、1番近くにある獅子の家に来たのだけれど。
溜息をつくと、唖然としている乙女の横に走る。
手元にだけ吹いた風に牡牛が驚いた隙に、包丁から逃げ出せた。あれからまだ10秒も経っていない。
背後に吹く風に恐る恐る振り返ると、戦闘態勢の獅子と包丁を握り直した牡牛という物騒な図があった。
早く部屋の隅に連れて行こうと腕を引っ張ったところ、動こうとはせず質問された「水瓶、どうして牡牛がここに居る」
「貴方達3人を帰せって怒られてね。要望に応えたらまぁ…こうなっちゃって」
急に気温が下がった、気がした。
「あいつらを助けろ」
冷たい。目がすんごく冷たい。
「まぁそう言うよね…頑張れば出来るかもしれないけど」
「今すぐ頑張ってくれ」
打てば響くような返答だ。安易に打ってほしくない返答だ。
「獅子も本気でやりはしないって。脅かすだけでしょ。少し待てば収まるよ」
「憶測で待てる状況に見えないし思えないので言ってるんだが」
雪が深々と降る中(水瓶ビジョン)黙っていると、また気温が下がった、気がする。
「わかった、わかったってば」
この幼馴染達、嫌なところが似てやがる。脅されるわ修羅場になるわ、先刻から平和さの欠片もない。
「あぁもう、獅子、死ぬよりマシって思ってね!」
傘を開くと石突の部分を手に取り、持ち手を目的に向け、投げた。
天井に舞い上がった傘は風も花びらも吸い込みながら落ちてゆく。それに気づいた獅子が眉をひそめて片手で払いのけようとするも、それすら無視して目標めがけて落ちてゆく。
残ったのは自分と牡牛と乙女と、畳みの上を転がる傘だった。
「…助かったぁ。正直どうすりゃいいんだと思ってた」
苦笑いすると、牡牛は随分素直に包丁を下ろす。乙女が駆け寄り、
「こっちが言いたい。水瓶に聞いた。馬鹿みたいな理由で来たな」
「だってむこうにいても八方塞がりなんだよ。それがこっちに来た途端に記憶まで戻ったし、今までのは何だったんだって言いたいよ」
傘を拾い上げながら溜息をついた。疑問にお答えする。
「それは貴方が3人と同じ立場になったから。忘れる側じゃなくて、忘れられる側になっちゃってるの」
「あぁ成程ね」
「成程じゃないだろう。脅してまで来ることないし「助かった」じゃないだろ。料理以外で包丁なんか持つからこうなるんだ。誰か殺したらどうするんだよ殺したら殺すぞ」
「刃物持ってる俺が言うのもなんだけど、乙女が1番物騒な事言ってない?まぁ元気そうだ」
「あ、どっちも私の心配してないなコレ」
「心配はしていないが感謝くらいはしている。でも、獅子はどこ行ったんだ?」
牡牛と乙女の間に入ると、
「私の家。少し頭が冷えたでしょう。牡牛に約束したのは話す場だったね」
傘を開く音を響かせた。
一瞬で移動できた。
傘が開かれたと思った直後には目的地に着く。本当に牡牛が言った「テレポート」という言葉が似合う。
覚えのある匂いがした。
「…水?」
「呼んだ?」
「いや、お前の名前じゃなくて」
傘を畳んでいた水瓶の方を振り向く。隣で牡牛が楽しげに笑う。
周囲は暗いのに、周りの景色がやけにくっきり見えた。和船の上に居る。足元が少しふらつく。見渡す限りどこまでも続く水面に、ところどころ船が浮かんでいた。
「これ、本当に水か?その…四大要素の。無色透明な液体の。沸点が100度の。本物?」
「本物だけど?」
「…ここ、どこ?」
「私の家だけど?」
「俺こういう船に乗ってみたかったんだよね〜」
「牡牛は疑問に思わないのか!?この桜、家って言ってるんだが!?百歩譲って池だろ!」
「遊園地のアトラクションにこういうのあるじゃん」
「だから屋内にあってもおかしくないとでも!?」
「上も見てみなよ〜」
言われずとも気づいている。上にあるのは満天の星空だ。晴れて澄み渡った夜空にいくつも煌めいている。
「うん…屋内にこれか…」
「プラネタリウムも屋内で星が見れるじゃない。水が使われてるアトラクションとプラネタリウムが合体してるだけだと思えば良いんじゃないかな」
「…家でか」
「まぁツッコミ入れても仕方ないって」
「…俺か?俺がおかしいのか?」
「横から失礼するけど、多数決で決めるならそうなっちゃうんじゃないかな」
「いや、俺だって常識外れだとは思ってるからね」
「何でそんなに落ち着いてるんだ…」
「落ち着けとまで言わねぇから、慌てるのはやめやがれ」
近くに浮く船を見ると、獅子が身を起こしている。
「その人間は牡牛って名前か。何しに来た」
「俺は3人を帰してもらいたいって言いに来たんだ。それ以外に用件はない」
「用件はまともだな。態度がどうであれ、聞き入れはしねぇけど」
「はいはい待った待った」
水瓶が獅子の居る船に飛び移る。
「船しか足場のない水面で風起こしたり暴れたりしたらどうなるかわかるでしょ」
星空を映した水面を見る。白く光る部分はあれど、静かで真っ黒だ。底が見えない。服を着て荷物を持ったまま落ちたら、間違いなく溺れる。
「ところで獅子、私が乙女の顔と名前を知ってたのはどうしてか、覚えてる?」
「あ?覚えてんよ。幼馴染がどうとか…」
顔をしかめて黙り込み、牡牛の顔を指差し水瓶を見た。頷かれると、今度はこっちを見た。頷く。
顎に手を当て何やら考えていたが急に目元を擦ると、
「相容れん奴とはいえ良い話じゃねぇか…」
状況を整理している内に、脳内で泣ける話が上映されたらしい。
これを友情とか義侠心とかで表すには問題点が多いと思う。後々少しずつ訂正するか。
「俺には傘が風も吸い込んでいたように見えたが…上手く出来てるな」
「いんや。まず、空中に移動させます。風ごと移動しているので真っ直ぐに落下はしません。
どこかの船へ着地できます」
「水面に落下する可能性もあるよな!?」
「いきなり宙に浮いてても驚かない神経と無事着地できる運動神経がないとね。あと運」
「頑張れば出来るって返事したじゃないか!」
「うん、獅子が頑張れば出来る。何度も私の家に来てるんだ、平気だったでしょ」
「…ほんのガキの頃、移動に失敗して俺や射手や魚を水面に落としたのは誰だ」
「あの後、鉄拳食らうわ矢を飛ばされるわ簪で刺そうとされるわ生き地獄を見たのは私だ。あれはごめんって、まだ傘使い慣れてなかったんだもの」
まず、どうしてこんな家にしたのか。
家主を見ると、獅子に無駄に優しく微笑みかけている。
「それより、私が牡牛に包丁向けられて怒ってくれたんだ?ねぇねぇ堂々と言い放っちゃってたけど
今どんな気持ち?今どんな気持ち?ねぇどんな気持ち?」
「黙らんかい!」
閉じたまま振り回された扇子を即回避する。これを見て、水瓶は獅子と長い付き合いなのだなと思った。
「こんばんはー!」
ふいに頭上から、明るい声が降ってくる。
「あれ、水瓶と獅子と乙女と…どちら様?」
「射手助けて!獅子がご乱心なさった!」
「動き回るな!いっぺん頭冷やせ!」
「おー。双子先輩お久しぶりでーす」
「え!?何これどういう事!?」
「牡牛が水瓶を脅してこっちに来ました…水瓶が獅子をからかって喧嘩が起きました…」
「射手がタイミング悪すぎって事はわかった!」
「俺!?」
同時刻。
「何だか射手がタイミング悪い時に誰かの家に着いた気がするなぁ」
「具体的な予感だねぇ。蠍の言う通りなんじゃない?」
「うーん…いや、流石に三度目の正直って言うしね」