部活が終わり、牡羊が向かったのは自分の教室だ。
扉には鍵がかかっている。それでも窓からは机や椅子が、なんとか全部見えた。
その数を数える。
(…やっぱ変わらないか)
机の数は昨日よりひとつ、少ない。
どこに向かえばいいのかも、守る方法も助ける方法もわからない。とりあえず攫った桜を殴りたいが、どれがそれなのやら。
「牡羊くん?」
声の方向を見ると、天秤が怪訝そうにこちらを伺っていた。
「もう遅いし、帰りなさい?それとも教室に何かある?」
あるんじゃなくてないんだよ…と心の中でぼやく。当の学級委員は会って間もないクラスメートより担任教師に覚えていてほしいかもしれない。世の中そう上手くはいかないものらしい。
「いや、ないですよ。天秤ちゃんこそどうしたの?」
「何度も言うけど『先生』ね…。どうしたって…職員室に行こうと思ったんだ」
教室を出てすぐの場所にある階段を一瞥する。ここを昇ってすぐの教室が職員室だ。
ちなみに、昨日は声をかけるか迷っていた天秤だが、鍵のかかった扉の前で中を凝視し続ける生徒がいたら、流石に迷いはしない。普段賑やかな生徒が真剣な顔で黙っていたなら余計に。
「そっか。いや俺にも考える事くらいあっていいじゃないですか人間だもの」
「それはそうなんだけどね」
「…天秤ちゃんこそ何かないの?」
生徒がひとり足らないとか。
「私かぁ」
少しだけ、いつもの柔らかい物腰が崩れた気がした。それだけなのだが、妙な不安を覚える。
「…事務に、蟹って名前の人がいるのは知ってるかな」
「え?はい。めちゃくちゃ知ってますけど」
「蟹さんって物覚えが良い人だよね」
「はぁ…そうですね。俺の名前もすぐ覚えてたし…兄ちゃんから聞いてたのか。でも、うん、別に悪くないと思いますよ?」
「まぁ、親戚の名前とか覚えてそうだね」
「あーわかるわかる。すんごい遠い親戚まで覚えてそう…って、それがどうかしたんですか?」
「…この学校に蟹さんの親戚がいる…んだよ。3年生」
「いやだからそれがどうかしましたか」
「…。いや、その子が昨日、話してた噂があってね。生徒の間では有名な話かと気になったんだ」
「わかった。その3年生の先輩の事」
要領を得ない物言いに段々苛立っていた牡羊だったが、そこで脱力した。
「双子って人だ」
「ううん、別の名前の子だったよ」
穏やかにだが、断言される。脱力した上に拍子抜けする牡羊。
予想は外れたが、そうなると、有名な話とやらに興味が出てきた。
「あ、そうなんですか。ところで有名な話って?」
「桜が人を攫うとか言う話」
「桜ぁ!?」
叫ぶ声に、そこまで驚かなくても…と笑いかけ、
「この時期、12年に1度だけ、学校の人が5人攫われて皆の記憶から消えてしまうって話だった。
桜が攫いたい相手がいても今でないと攫えないって、本当なら怖い話だろうに恋愛話みたいに言ってたけども、牡羊くんが知ってるならどういう風に」
「知ってます!誰ですか、そんな話してる奴!」
我に返るなり、殴りたい相手でも見つけたかのような剣幕の牡羊から一歩後退しつつ、
「さ、蠍っていう子…」
しまった、迫力に押されて言ってしまった…青くなる天秤の目に映ったのは、
「…蠍?」
展開に頭がついていけなくなった牡羊だった。