「私の親戚…ですか?」
廊下を歩きながら、天秤は頷き返した。蟹は相変わらず目を瞬いている。
「はい。昨日は驚きましたよ、蠍くんでしたよね?3年生の」
「親戚は沢山いますけれど。でも、この学校に通っている人はいませんよ。あ、でも、もしかしたら遠縁にいるかもしれない…ちょっと全員は把握できてなくて」
(つい昨日、私に紹介してたのに?それに、かなり近い親戚では?)
からかっているのだろう。こんなすぐバレる嘘、他にネタはなかったんですかと笑いそうになる。
「桜と一緒にいるわけでもないだろうに、そう簡単に忘れる記憶力じゃないですよ?」
「あぁ、桜が人を攫うっていう。親戚が攫われるなんて、そんな怖い想像させないでくださいよ」
悪趣味な冗談だと思ったのだろう、蟹は首を傾げ困ったように微笑んだ。
困ったのは天秤も同じだった。
(蟹さん、もしかして本気で言ってる…?)
「えぇ、蠍くんね、3年生の…」
試しに再度名前を呟いてみても、苦々しげな笑顔しか返って来ない。
悩む天秤を見て話しかけ、牡羊を良い子だと言い、蠍を早速紹介し、親戚が攫われる話をされ嫌がる。
そういう人だ。蠍を忘れているという一点を除けば、蟹は昨日と同じ通りの人間だった。真剣に話せば不快だろうが半信半疑だろうが全部聞いてくれるだろう。しかし…
「すみません、昨日あの後すぐに、別の人から同じ話を聞いたんです。それだと名前や学年まで出てきたもので…記憶がごちゃ混ぜになっていました」
自分だって対応できない問題を証拠もなく話して、驚かせて、一体どうするんだ。
「あ、それで。いや良いですよ、私だって正直あの話を聞いたときの記憶が曖昧で…。生徒から聞いたのは覚えているのですけれど。しかし、随分と有名な話なのでしょうか」
「でしょうかねぇ」
天秤は言葉をオウム返しして、笑う。
何かのバランスが崩れたような気がしてならなかった。エッセイと思いながら読んだ本がファンタジーだったというか…そんな相容れないはずのものが境界線を超えて混ざったような。
(蟹さんと、この話をしたらまずい)
自分の手に負えないものを相手にしなければならない。いや、もう遅いかもしれない。
生徒が『ひとり』消えたと知っているのだから。
(何で?何で忘れているんですか?)
いくら頭の中で繰り返しても、疑問は解決しなかった。