牡羊のクラスは、出席番号順に席が並んでいる。ちなみに五十音順だ。
『お』うし、『お』とめ、『お』ひつじ。
(何で乙女の席に俺の教科書が置いてあるんだよ)
昨日、出しっぱなしで帰ってしまったのだ。乙女より先に登校していてよかった。説教くらうところだった。しかし時間ギリギリに登校する自分より遅いとは遅刻したのか、休みなのか。
(あれ?)
教科書を取る時、眉をひそめる。机からはみ出しているノートは自分の持ち物だ。
(でも、この席の前には牡牛が座って…。…?)
窓際の列の最後尾、つまり出席番号だと最後の生徒が座る机がなくなっていた。最後の生徒はいる。昨日と違う席に座っている。
(…この席から後ろ、ひとつづつ席ずれてるんじゃ?)
では、なくなっているのは乙女の席という事だ。…そうだ、牡牛はよく乙女と登校していた。
「おはよー牡牛!」
「ん、おはよ。元気だねぇ」
「眠そうなとこ悪いんだけどさ、乙女、来るの遅くね?」
「おとめ?どこの席の人?」
「寝ぼけすぎだろ!お前の後ろじゃん」
「俺の後ろ?いや牡羊じゃない。そういうのはエイプリルフールに言いなよー」
「ちょ、お前自分の幼馴染にそれはないだろー」
「え?俺は幼馴染いないよ?」
「…そいつ、ここの学級委員だろ」
「学級委員はまだ決まってないじゃんか。…ねぇ、どうしたの」
(夢か?それとも牡牛はこんな冗談言う奴だっけ?学級委員なんてもう決まって…)
掲示板に張られている、各委員の名前を乗せたプリントは、確かに学級委員の欄が空白だ。図書委員の欄にある牡牛の名前が、間違いなくこのクラスのプリントだと主張する。
(夢だからって、俺は特定のクラスメートを消すような奴だったのかよ。しかもその幼馴染から記憶消して…)
特定の。消す。記憶。
ひとつの仮説が浮かぶ。ゾッとしたものを打ち消すため、慌てて鞄に手を突っ込んだ。布を触った感覚が伝わり、本の側面に手を当てた時は軽い痛みも感じた。夢という説は粉々に砕け散ってしまう。
「どうかしたの?無理は体に良くないよ」
心配そうな牡牛の顔。クラスメートの心配をするのに幼馴染の心配をしないなんて有り得るのだろうか。
単に遅刻や欠席と知っているなら面白がって隠してみるかもしれない。だが、席や名前を消すのはどうだ。
それもここまで完全に、最初からいなかったみたいに…。
(あった!…ある、ちゃんとある!!)
「ほら!昨日お前が送っただろ!?なぁそうだろ!?」
スマートフォンを牡牛に見せる。昨日牡牛が送った、乙女のアドレスのみ書かれたメールだった。
目を瞬かせ「え?」「何?」しきりに呟きながら自分のスマートフォンを取り出した牡牛は、
「…?」
牡羊宛の、タイトルも本文も無い空白のメールを見せる。
「そ…それだけかよ?」
そう言われても、と、次に見せたのは送信メールの履歴だった。
乙女に送られたはずのメールも、それらしきものも無い。「どういう事?」困ったような牡牛の顔がそう訴えていた。
牡牛、いっそ俺が次に言う言葉も知らないと言ってくれ。
「あ…あのさ!昨日話した桜は覚えてる?12年がどうとか〜って」
「うん。双子先輩から聞いた話で…」
牡牛は目を大きく見開く。牡羊が言いたい事を察したらしい、が、肩をすくめ笑うと、
「嘘だよね?」
こっちが言いたい、と牡羊は思った。
気まずい沈黙が続いたが、いくら黙ってもお互いわからない。何とも言えない複雑な表情で目を合わせていたが、教室に入ってきた天秤に救われた。そのまま英語の授業が始まり今に至る。
授業を天の助けと思ったのはこれが初めてかもしれない。
(それにしても、本気で牡牛は忘れてんのか?幼馴染だぞ?)
説教くさいクラスメートだったが、嫌な性格というわけではなかったと思う。そもそも牡羊にとっては会ってから1ヶ月も経過していない人物だ。
(でも、どーして牡牛が忘れるんだよ。俺が忘れて牡牛が覚えてる方が納得できるし。…
…俺と牡牛だって、今ヤバイだろ)
何か方法はないのか。こういう話は危機を回避したり誰かを助けられたりする方法と一緒に語られるものではないのか。そうだ昔、山羊と見たDVDではゾンビに物理攻撃が有効だった気がする。方法がないとしても、体力でなんとかなったりしてくれると有り難い。
思い出せ、DVDを見た時を。
『牡羊…俺、せめて身動きとりたいんだが…』
『わかってるわかってる後50分!あと50分で終わるから!』
『耳元で叫ばれると半端なくうるさいんだが…』
『動くな動くんじゃない!ほら俺が守るからいいか動くなよってどこ行く気なんだよ!』
『自分の部屋。おい服離せって』
『兄ちゃん弟が可愛くないのか!暗い部屋に放置するのか!』
『電気消してそんなの見るから余計怖いんだろ。はい電気つけたので達者でな弟よ』
『兄ちゃんーーー!!!』
うん、あれは小学校の頃だったしノーカウントという事にする。
(あー、こういうの双子先輩の方が得意だろ!後で聞きに行こう。そしたら牡牛も乙女も助かるかも…)
いつになく静かな牡羊を、天秤はこっそり伺っていた。顔色が悪いわけではない。
(何かあったのかな)
理由がまったくわからないなら、変に考えず様子を見た方がいいだろうか。