下校時刻、自転車通学の牡羊はひとり愛車の元へと歩いていた。そもそも、どうして家はこう、学校から微妙な距離と場所にあるのだ。去年までは一応、毎日でもそれを語り合える人がいたが…。
「牡羊くん、さよなら。また明日ね」
ふいに優しげな声が聞こえてきた。
「蟹さん」
「今日は部活、お休み?」
「サボリじゃないですからねー?陸上部はちゃんと休みです!」
「自転車も体力使うでしょ、頑張ってるね。山羊くんは元気かな?」
「兄ちゃんなら心配ないですよ。ひとりだけ交通の便利な場所に行きやがって」
「まぁまぁ。ひとり暮らし始めたら大変だよ。偶に電話してあげたら案外喜ぶかもよ?」
にっこり笑う蟹は制服ではなく、ワイシャツ姿。学校の事務員だ。牡羊の兄である山羊が在学していた頃来たらしい。
入学式の日、ひとりで通えるからと兄の誘いを断った結果、道に迷い遅刻し閉ざされた門の前で両手両膝をついていた少年に、別の方向にある門がまだ開いているので、そちらへ走るよう促した青年がいた。偶然門の近くを通りかかったのと、少年の兄から弟が入学するという話を聞いていたのである。
これを知った少年の兄が青年に頭を下げて礼を述べ、弟に無言で怒ったのだとかなんとか。
「次の休み、兄ちゃんの居るアパートに行くんですよ。引越し後の荷物がまだ残ってるらしくて」
「きっと楽しみにしてくれてるよ。隣の県だっけ?私も手伝えればいいのに」
身内以外に散らかってる部屋見られたら、あのバカ兄ちゃん両手両膝をつく勢いで落ち込みますよ…
と、言いかけてやめる牡羊。かわりに、
「いつでも遊びに行ってあげてください、今日でもいいくらいです!」
太陽の光が似合う爽やかな笑顔で微笑んだ。山羊が見たら発言を撤回するよう怒鳴るだろうが、ここに山羊はいないのでそうはならない。
蟹は羨ましいと思う。もし自分が今、山羊の家に行ったらどうなるかくらい見当がつく。牡羊とて、それはわかっているだろう。超えてはいけない線がわかった上での悪態は羨ましい。線がお互いに近いなら尚更。
仲が良い証拠だ、そしてあの兄弟は一生付き合うのだろう。
(卒業したら思い出してもらえない可能性大な立場だよなぁ、私は)
牡羊を見送りながら、胸にひたひたと期間限定の幸せを満たしていた。
と、門の側に植えられた木。その影に見覚えのある影を見つける。天秤だ。彼は牡羊の担任教師のはず。
「天秤先生、どうしたんですか。そんな所で」
「いやその…。…声をかけるタイミングが、ちょっと」
いつもの穏やかな物腰はどこへやら、ぽつりぽつりと呟き気まずそうに肩をすくめる。
要するに、牡羊の元気さが手に余り、どう接するべきか悩んでいるらしい。
「良い子ですよ、彼」
「そこは承知しているつもりなんですけど。はぁ…」
天秤ちゃん呼びは勘弁してくれないでしょうか。私、教師なんですけど…。
これには蟹も、曖昧な笑顔を返してしまった。背後から声がしたのは、その直後だった。
「さようなら」
「蠍くん!さよならー。また明日ね。…あ、天秤先生、この子私の親戚です」
「親戚!?」
はい、と頷き笑う蟹。つられて頷き、頭を下げる蠍。雰囲気こそまるで違うが言われてみれば血の繋がりを感じるかもしれない髪と目と肌の色同じだなぁうん、とツッコミ所満載な納得をする天秤だった。
「母の妹の子なんで、いとこ。ね」
「うん。…どうも初めまして。そうだ、蟹さん。クラスメートから聞いたんですけど…」