星座で801ログ保管庫出張所

やぎの夏休み(用心棒)

 川田地方の夜はふけてゆく。神社の参道にある苔むした石灯籠がおぼろな灯をともし、土産屋のレジに立つ天秤が家人にレジを任せて引っ込んでくるのを山羊はじっと待っていた。やや狭い割に片付けの行き届いた休憩所だった……おそらく天秤はここで帳簿付けなどの事務仕事をやっているのだろう。しばらくして”待たせて悪かったね”と緑茶に土産用のいり豆をあけてくれた天秤に、山羊は突飛な依頼をされた。
「用心棒?」
「そうなんだよ。子どもの君がやってくれたら効果的だ。ほんとうにいきなりでこんな頼みごとをするのは失礼だとわかってはいるんだが……もう本当に困り果てているんだ。
 山羊くん。どうかおじさんの店を助けてはもらえないだろうか。君のことは乙女さんや街のみんなから、しっかりした子だって聞いてる」
 お互いほとんどまともな話をしたこともないのに。もしかして利用されかかってる? と思いつつも、この手の頼みごとを容易には断れない山羊であった。人にものを頼むのが上手い人と上手くないひとがいる。この天秤おじさんが初対面の相手にも見せる親しみやすさと軽さ、そして多分こちらがイヤといったら深追いをしなさそうな距離感はある意味頼みごとにはとても有利な素質だった。
「どんな風にこまってるんですか?」
「うん。ここだけの話だけどね。一日に一回か二回、店に置いてある試食用のおやつを必ず全部食べていってしまうやつがいるんだ。あれはたくさんのお客さんにみんなで味見して欲しいものなのに。
 おじさんも何度か注意したんだが、一向にきかないんだ。きっと誰かの気をひきたくてああいうことをやってるんだと思うんだけど、何度もやられちゃ商売あがったりだし、かといってお客さんの前で何度も叱れないし」
「どんな人なんですか? そいつ」
「君と同い年ぐらいの男の子だよ。負けん気がすごく強そうな。でもね、同い年くらいの君が言ってくれたら、きっと少しは違うと思うんだ」
 同い年の男の子と聞きつけて山羊の心臓が青々しい光を放つ。でも同時にへんな動悸がしてきた。同い年とひとくくりにされたっていろんな奴がいるじゃないか。もしもたちの悪い乱暴者にあたったらどうしよう。
「え、えーと……」
「あっ、嫌ならいいんだよ。ごめん。無理しなくていいから」
「う、えと、むり、じゃないけど」
「じゃあ、やってくれるのかい?」
「あ、じゃあ」
「ありがとう! 本当に助かるよ。やっぱり神社の甥っ子さんは偉いなあ」
 乙女おじさんの面子をつぶすわけにはいかない……そう自分に言い聞かせながら用心棒を断りきれなかったことに不安で顔をゆがませる山羊だった。特に武道の類は習ったことがない。父親の双子といい伯父の乙女といいその手のことにはからきし弱そうな血筋がうらめしい。



 夜道をとぼとぼと神社まで帰る道のりは、都会暮らしでは想像もつかないほどの闇に囲まれている。そば屋のアーケード周辺はいいが神社の階段が暗くて怖いのだ。山羊は石段を一段一段注意して昇りながら天秤の教えてくれた”おやつ荒らし”のことを考えた。
「おやつを全部食べてしまうなんて、なんでそんなことするんだろう」
 ──さびしいんじゃないのかな? その子。いきなりこんなところで一人にされて、遊び方がわかんないだけなのかもしれないや。
 ふと足を止め、石段沿いに広がる林の深みを見つめる。林はぞわぞわと風に揺れ暗いシルエットを無限とも思える細密さで揺らしていた。鳥といっしょにリスや、イモリや、虫や、”にょろ”や、あらゆる生き物がその中に暮らしているのだと思わせた。
 森と友達になれれば、ここは都会よりもさびしくないのかもしれない。だけど人間以外とばかり親しくなって人間との交わりがない暮らしも、それはそれで不自然だと山羊は感じていた。
 急に一人で夜道を歩いている状況が心細くなって神社への帰りを急いだ。神社内にある乙女の家では乙女が夕飯を作って待っており、山羊が家に帰りつくとやや心配した顔で玄関まで出てきてくれた。
「一体どこへ行ってたんだ。暗くなってたから心配したんだぞ」
「ごめんなさい。天秤さんのところでお話してた」
 玄関から上がりこんで居間の柱時計を見上げると、針は七時半を指している。田舎の夜は随分早いなと山羊は思った。
「わー、まだ七時半だ。早いね」
「いいや遅い。子どもが外に出てる時間帯じゃない」
「学校行ってる時だったらみんな塾行ってたり、外で遊んでたりするよ?」
 山羊は子ども心に乙女を試してみた。この伯父が自分と違って、どのくらい田舎者なのか。乙女は甥っ子の言葉を聞くと「それもそうか」とあっさり認識を改めたが、どうも思うところがあったのかそれ以降の言葉は口を閉じたまま台所まで持っていって、山羊が夕飯の並んだ食卓に座るまでリリースしようとしなかった。
「山羊。おじさんはな」
「うん」
「……おじさんはな、お前ぐらいの子どもは早く寝て、早く起きる暮らしをするのが本来一番いいと思うんだ。いくら子どものほうが適応力があるからって、いつも大人の都合に子供を合わせさせたり、寝る時間を削って遅くまで勉強させなきゃ将来がまかり通らないような……そんな世の中はどこかおかしいと思う。
 日が暮れたら家に帰ってきて、飯を食って風呂に入って寝る。それだけだとみんな早く寝てしまうよな。でもそういう暮らしにはそういう暮らしなりの合理性があるんだ」
 なんとなくテレビを付け忘れた食卓に、焼き魚と大根おろしと味噌汁の匂いが香っていた。焼き魚をきれいに開きながら「合理性って?」と山羊が返すと、おじさんは穏やかな顔でうなずいて「心を養うんだよ」と答えた。
「こころ?」
「昔の人間はな。自然にひそむ八百万の物の怪たちと意志を交わしたり、悪いものを退けるために心を養う必要があったんだ。今なら自分たちで作り出したものが何でもあって、精神修養なんてものはそんなに必要ない。だからよくよく注意して暮らさないと心がもやしっ子になってしまう。
 何が足りないかを肌で感じ、自分の口を使って人と話し、自分の頭を使ってたっぷり考える。昔の人は生活の面から、いやおうなくそういう力を鍛えられていたんだ」
 学校の先生がするような、大事な話。山羊にわかりやすい言葉で自論を諭す乙女おじさんの顔はとてもきれいに見えた。「それだったら原始人が一番頭がいいことになっちゃうね」と疑問を突きつけることもできたが、山羊はこの伯父の主張を一応”だいじなこと”として受け入れることにした。

 明日は天秤のみやげ屋でおやつ荒らしと対決しなければならない。夕飯のあと、翌日に備えて早めにお風呂に入った山羊はちいさい侍のように目を閉じて対決のためのイメージトレーニングに励んでみたりした。ぶたれたり蹴られたりしてもとにかく泣かないでやり返すことだ。一対一なら深呼吸して、正々堂々とぶつかればこちらに非は無いはず。いつのまにかイメージトレーニング上でチャンバラになってしまってあやうくのぼせかけた。
 お風呂からあがったあとは、乙女に頼んで同じ部屋に寝かせてもらうことにした。決闘の前にはすこしでも安心できる場所で寝ておきたいと思う山羊だった(一人だけで寝る部屋はまだたまにこわかった)。
「明日ね、天秤さんの店に来るおやつ荒らしと対決することになったんだ」
「そうなのか」
 後から風呂上り姿で寝室に戻ってきた乙女に、山羊は布団の中からうなずいた。どうやって戦えばいいんだろうという山羊のつぶやきに乙女は首をかしげながら頭を掻いている。
「まあ、天秤さんが見てるとこならそう酷いことにはならないだろう。まず腹を据えて話して、駄目そうなら戦ってきなさい」
「うん」
 男は玄関から出たら七人の敵がいるんだね……。
 まだ一人の敵しか、それも同い年ぐらいの子しか居ない身で山羊はそんな言葉を思い出した。友達になれるかもしれないのに、戦って嫌われたらどうしよう。いやいやそれよりも悪いことは悪いことなんだからそこはハッキリさせなくちゃだめだ。勝てるかなあ。僕そんなに殴り合いで勝った記憶なんてないや。男って、つらいんだなあ。
 乙女おじさんはこちらに気をつかいながら枕元の読書灯で本を読んでいる。明日山羊が勝とうと負けようと変わらずに彼を受け入れてくれる存在感だ。その光量に安堵して山羊が夢の世界の入り口をうろついていると、山羊が寝たのを見計らってそっと読書灯の消える気配がした。