俺の考えは単純だった。死ぬ気で殺しても死なない人間なら、死んで殺せば死ぬんじゃないか、っていう。
たぶん、いけると思った。だって川田を殺した人間がハッキリしてるんなら、能力はそいつに向けて発動するはずだ。
相手がたとえ死体でも。
このやり方を思いつけたのは、俺が体重を増やせる能力者になっていたからだった。重さ、が、ヒントになった。
川田の首と、俺のからだを結び合う。相手を首吊りの状態にさせて。
で、こめかみを撃ったんだから俺は死ぬ。死んだ俺の重みに吊るされて、川田も死ぬ。
俺たちの魂が交換したところで、お互い死体だ。意味が無い。
この作戦の問題はしかし、俺も死んじまうってことなんだよな。
まあ、いい。俺はとっくに死んでいる運命の人間だ。
すくなくとも命を無駄にしたわけじゃねえ。与えられた命で、やるべきことをやった。
この川田って男は、臆病者の悪党だが、気の毒だとは思う。
生きている限りこいつは悪事を続けるんだろう。理由は知らないが。家族には話してたのかな?
まあ理由なんてどうでもいいんだ。俺は家族を守らなきゃならない。
ただ家族は悲しむだろう。悪いことをした。
で、俺のほうは即死できるから、そんなにしんどい思いはせずに済むだろうと思ってた。
しかしそれは間違いだった。俺はものすげえ苦しみを味わっていた。
異常な息苦しさ。頭が痛い。心臓がくるしい。
俺は暴れようとしたが、からだがうまく動かなかった。手が動かず、足が動かず、ただひたすら拳を握り締めるしかなかった。
体が痛い。苦しい。ちくしょう何だこれは想定外だ。
叫んだ。叫ぶように力を放った。そうしたら、すこし楽になった。
俺は呻く。呻いて息を吸う。吐く。吸う。
目を開く。ぼやけた視界に浮かぶ顔。不安と、恐れと、希望が入り混じった顔が見える。
蟹が俺の目をのぞきこんでいる。俺みたいな口調でこう言う。
「……。……ああ。テメーか。テメーかよ? テメーなんだなっ!」
俺だよ、と答えようとして、盛大にむせた。
息をしても息をしても足りなかった。空気。空気がほしい。俺の中を埋め尽くす空気が。
俺の背中を双子が撫でてる。みなが口々に俺の名を呼ぶ。
俺は返事が出来る状態じゃなかったんで、ただ息をしていた。
疑問が浮かんだのは、苦しみを乗り越えたあとの事だった。なぜ俺は生きている?
しかしそれを聞いちまうと……、俺が死のうとしたことがバレちまう。
むしろみんなのほうが、俺に説明を求めてる。俺は慌てた。
ご丁寧にも蠍が魚の年齢を回復させ、魚が俺のからだを回復させ、万全の体勢を整えられてしまった。
俺は仕方なく、言った。
「いや、だからよ、思ったんだ。死ぬ気で殺しても死なない人間なら、死んで殺せば死ぬんじゃないかって」
それからギミックを説明する。川田に首を吊らせつつ、その体重を俺の死体で支えるという。
乙女が言った。
「そのへんは視ていたから知ってるんだ。冷や冷やしたぞ」
まあ、来るなとは言ったけど、視るなとは言わなかったもんな。
で、俺の恐れる最大の謎を、獅子があっさりと聞いてきやがった。
「それで貴様はなぜ生きてるんだ」
俺は必死で考えた。
「それはその、あれだ。川田がぎりぎりで、俺の作戦を悟っちまって。あいつ焦ったんだな」
これは本当だと思う。覚悟のできてねえ顔をしてたしな。容赦なく蹴ったけど。
「ぎりぎりで生きあがいた川田は……、ええと、能力を使った。うん。なんとか生き残ろうとした」
そういや俺、自分の能力のこと忘れてた。
なんてこった! 俺の作戦には、ものすげえ穴があった。川田に俺の能力を使われたら、なんの意味もねえじゃねえか!
俺の思いと同じことを、山羊が言った。
「当然だな。川田はきみの死体を浮かせようとするだろう」
「あ、ああ当然だぜ。……ん? けど、俺は本とか文鎮とか背負って、自分をめちゃくちゃ重くしてたんだよ。能力に慣れていないうちは、重いものや、大きいものを動かすのは難しいんだ」
ああそうだ。このへんの行動に間違いはねえだろう。
「川田は能力を使った。必死だっただろうから、力を全開で使っちまった。けど、もともと疲れてたんだし、能力の使い方にも慣れてないしで、いっきに疲労しちまったんだよ」
ってことは、どういうことだ?
殺されることが、川田の能力発動の条件だった。その前提が間違いだとしたら。
「……じっさい川田は、殺されてもいねえのに、俺のからだを乗っ取ってたじゃねえか。ってことは、川田は誤解をしてたんだ。あいつは自分が死ぬたびに、その原因にいちばん近い人間に乗り移ってきた。それは本当だろうけど、けど実際は、死が能力発動の条件じゃなかったんだ。もっとおだやかな、行動不能とか、心臓の力が弱くなるとか、呼吸が止まりかけるとか、死ぬほどのダメージを食らうとか、そういうのが条件だったんだよ」
でないと、俺と川田が同時に生きていたこと自体がおかしい。死や殺害は、能力発動の条件じゃなかったんだ。
ああそうだったのか! 俺は興奮と冷や汗を同時に感じていた。
黙り込んだ俺の変わりに、天秤が語ってくれた。
「なるほど。死ぬほどの疲労と、首が絞まっている窒息状態により、川田の能力は発動した。自分のいまの肉体を傷つける原因となった、牡羊の死体の意識と入れ替わった」
しかしそれでも、俺の首は絞まり続けている。だから俺は無意識に、残りの体力をかき集めて、能力を発動し、ロープを切ったんだ。
俺は床に落ちているロープの切れ端を見つめつつ、脳内とは別のことを言った。
「あとは計算どうりだ。俺のほうは、力を使うのには慣れてるから、ほんのちょっとの体力があれば良かった。張ったロープに少しだけ切れ目を入れれば、もとはシーツなんだから簡単に切れてくれる」
俺は嘘は嫌いだし、苦手なはずなんだが。
みんなを心配させないためだと思ったら、いくらでもつけるもんだな。
牡牛が感心した目で俺を見ている。
「正直、牡羊がそんなに頭がまわるとは思わなかった」
いや回してねえんだよアタマ。俺は運で助かったんだ。
カラスと孔雀は、いまはもう死体になっている川田を見ている。
あいつらもこれで悟っただろう。俺たちが戦う理由は無くなったことを。
射手が深々と溜息をついていた。
「俺はまたてっきり、牡羊が川田を道連れに、覚悟の心中でもする気なのかと思ったよ」
それで正解なんだ射手。ごめんな。
水瓶を見た。水瓶は双子と目を見合わせている。
やがて水瓶はこう言った。
「ひとつの歴史を信じてしまったのが川田の悲劇だな。いや蛇使いか。世界は多元的に存在するのだし、彼は一人の観測者にすぎない」
意味が分からねえ。
俺の視線に気づいて、水瓶は、いまの話を噛み砕いてくれた。
「つまり牡羊、やはり鍵はきみだった。きみがあちこちで酷い目にあったことの意味は、蛇使いが、歴史を、その中のありとあらゆる可能性を無視し、無理に型に嵌めようとしたことへの反作用だった。牡羊の存在は、揺り戻しの荷重そのものだったんだよ」
脳をヒートさせている俺に、双子が補足してくれた。
「なんでもアリってことさ。決め付けはナシ。俺たちは自由。わかった?」
わからねえが、わかる。
つまりこういうことだろ? もう、すべては終わったんだって。
※※※
家が燃えている。
……俺がここに来てからの日数は短いが、ものすごく、ものすごく濃密な日々をすごした。
その象徴が燃えている。
積み上げられた死体の山。草や木や虫や花。すべて燃やした。土まで引っぺがして荒らした。
そんな中、俺たちは悟っていた。別れを。
区切りをつけなきゃならない。普通の生き方ってやつを手に入れるために。
そのために俺らは頑張ってきたんだから。
物を集めたり、木をぶっこ抜いたり、土を掘り返す作業をしていた俺は、疲れたので休んでいた。
同じく、あちこちのものを移動させる作業をした牡牛も、俺の隣りでのんびりとくつろいでいる。
俺は牡牛に言った。
「俺はもともと家無しだし、施設に戻るっきゃねーな。牡牛も来るか?」
牡牛は困ったような顔をしていた。
「転校したばかりだから、学校は続けたい。学校から近い牡羊のところに行きたいけど、親戚が居る。ちょっと考えて決める」
双子は気楽な様子だった。あちこち動き回って、隔絶空間の様子を見ていたんだが、やがて俺たちのところに近づいてきた。
「よお。少しだけ未来を読んでみた。そろそろ世界が動き出すぞ」
俺は双子に、これからどうするのかと尋ねた。
双子は、肩をすくめた。
「俺はこの能力のおかげで、生きていくには困らねえのよ。金が無くなれば博打でもやりゃあいいんだし。なんとかなるわ」
人の存在する世界に居る限り、双子は何も困ることは無い。
燃えている家のほうを見た。炎をバックにした、蟹のシルエットが見えた。
蟹は落ち込んでいた。それも当然だ。蟹は俺ら家族の母親役みたいなもんだった。
あの家にいちばん思い入れがあったのも蟹だ。
俺は大声で蟹を呼んだ。そして呼び寄せた蟹に言った。
「俺ら家族だよな? また集まれるよな?」
蟹は頷いた。
「当然だよ。僕は新しい家をさがして、そこを整えて、みんなを待つつもりなんだ」
俺は安堵した。俺の帰る場所は、蟹が確保しといてくれる。
獅子は忙しそうだった。孔雀をあちこち飛び回らせつつ、なにかを見つけては燃やしていた。
ややあって、なんとなく休憩スペースみたくなってる俺らの場所に来ると、どかっと座った。こめかみを両手で押さえている。
俺は心配した。
「痛ぇのか?」
「くそっ。蠍と魚はどうした」
「まだ作業中だよ。おまえこれからどうすんの」
「孔雀と行く。昔の仲間をさがす。忘れていたケジメがあった」
裏切り者探しか。こいつはまだ、まったく自由ってわけでもないんだな。
別の場所で話し合っていた乙女と天秤が、こっちに来た。二人ともなんか、明るい顔をしていた。
二人は未来について、こう語った。
「俺は休学中だったんだが、大学に戻ろうと思う。ただ遠いんだ。しばらく皆には会えない」
「僕は都会に出るよ。事務所の近くに住むつもりだ。乙女の学校とも近い」
乙女は能力を使わずに、天秤は逆にフル活用して生きていくつもりか。
まあ、人それぞれだよな。
やっと蠍がこっちに来た。蠍は燃やさない荷物をまとめていたのだ。
蠍はまず、獅子に複雑なことを言って痛みをやわらげたあと、ぽつりとこう言った。
「人のいない世界に行きたい」
カラスは蠍に遠慮してか、遠い所を歩き回っている。
蠍はそんなカラスを絶対に見ようとしない。なんか、気の毒だ。相性が最高なのに最低なんだよなこの二人は。
射手が飛んできた。出現すると同時に倒れた。でもって能天気な声で叫んだ。
「あー飛んだ。飛びまくってやった。首から下、心臓以外全部麻痺!」
おまえいつか死ぬぞ。マジで。
蠍が射手に言った。
「無人島かなにか、知ってるか?」
「ん? 知ってる。なんで」
「麻痺が治ったら、連れて行ってくれ」
「おう、いいぞ」
誰にも何にも関わらずに、しばらく一人で居るほうが、蠍は落ち着くのかもしれない。
山羊と水瓶がいっしょに来た。なんか二人とも怒っている。
山羊がこう説明した。
「水瓶はまた未来を調べると言っている。意味が無いと言ったんだそんなことは。今回のことで分かった筈じゃなかったのか」
で、水瓶も反論してた。
「未来とは、いちばん有り得る可能性のことなんだ。僕はただ知りたいだけだ。山羊はなにを怒っているんだ」
過去を読む力と、未来を知る力とじゃ、喧嘩にもなりそうな気がする。
俺は真ん中を取って提案してみた。
「水瓶、未来じゃなくて過去に飛べよ。いろいろと調べられるだろ。川田の謎とか」
本当は蛇遣いって名前だったらしいが。
水瓶は考えると、山羊を見た。
「川田の死体は読んでみたのか?」
「いや。すぐに燃やしたじゃないか。俺もそれで正解だと思う」
「……山羊を過去に連れて行ければ、簡単なんだがな」
「無茶を言うな」
山羊は仕事があるから、この近辺を離れられないだろうし、ってことは、俺とも近いところに住むんだろう。
俺たちは、しばらく話をした。住みたいところ、やりたいこと、これからの夢について。
そのうちに、魚がカラスの手を引いて来た。
魚は楽しそうだった。
「牡羊、牡羊。ミュージシャンな僕ってどう思う?」
なんだいきなり。
俺は戸惑ったが、魚はハイになっていた。
「やることが無いって言ったら、カラスが誘ってくれたんだよ。ピアノ上手いから僕。むかしは音楽家になりたかったんだし」
へえ、そんな夢と芸があったのか。
昔は無理だったかも知れねえが、いまならぜんぜん平気だろう。
魚が癒さなきゃならねえほどの傷を負う理由が、俺たちにはもう無いからだ。
「いいんじゃねえか。似合うよ」
「うん。いっぱいファンとかできるかな」
「できるんじゃねえの」
「いろんな芸能人と知り合えるかな」
「そうだろうなあ」
「僕モテるかも。危険だね」
「だといいな。魚なら大丈夫だ」
「……鈍感」
「へっ?」
魚はなぜか怒って、俺たちの輪のすみっこのほうに行ってしまった。
俺はわけがわからなかったが、みんなが笑ってたので、まあいいかと思うことにした。
やがて、風が吹いてきた。
時計の秒針が動き始めた。鳥の声が聞こえる。俺たちは俺たちの世界を取り戻しつつあった。
戻った世界は、夜明けだった。東の空がオレンジ色に染まり、白い太陽が顔を出していた。
俺たちは、新しい世界に立った。
END.