【双子】
路地に入り桜の木目指して歩く。木と向かい合わせの一軒家。その前で足を止め、チャイムを鳴らす。家主は出てこない。
苛立ちドアノブをガチャガチャやろう…としたら、開いたので驚いた。
まさか本当に、自分の情報網にかからないとは思わなかった。着物を着て草木の管理をする若者、なんて限られそうなキーワードに、該当する者がひとりも出てこない。
自力ではどうにもならなかった。牡羊に大口叩いた手前、牡羊に愚痴を言うのも躊躇われる。頭を抱えて早数日、ついにここを頼る決意を固めた。
家の表札にはこうある。『なんでも屋 川田』。
どうして鍵が開いているのかと一時停止していると、家から微かに家主の声が聞こえる。
(なんだ、いるんじゃん)
「ごめんくださーい」
ドアを開く。そして玄関から声をかけつつ、眉間に皺を寄せてしまう。
どんなに聞こえの言い言葉を選んで喋っても、要は『気になる人がいるんだけど知らない?』
になる。知り合い相手とはいえ、格好のつかない話だ。知らないなら探してくれと頼むほどでもないにしろ、どうしたものか。これが駄目なら策が尽きてしまう。
通学鞄が重く感じるのは今日返って来た小テストのせいでもないだろう。
もう逢った事自体が夢か何かに思えてきた。
玄関のむこうには、自分が発した声が空しく響いている。
どうしたものかと唸ったその時、家主ではない声が聞こえた。続いて、廊下の突き当たりに誰かいるのが見えた。その一瞬の服の色に覚えがあり、靴を脱ぎ捨てると、吸い込まれるように歩き出してしまった。
「本当に、怪しい者じゃないってば。ここで働らかせてくださいってだけなんだよ」
歩く、から小走りになった。その音に反応したのか、こちらに振り向いた顔を見て、今度はその場で止まってしまう。
似てる。探そうとしていた者に似ている。似ているというか、探していた顔と一致していた。同一人物だった。
自分が近付くと、男はくるっと振り向き、
「え…何?なんでここに?ここで逢っちゃう?」
ぽかんとこちらを見ていた顔に段々笑顔が広がった。
「久々だなー、双子」
自分に対して、待ってましたと言わんばかりの態度で親しげに話しかけてくる。
「そーだよ久々、射手って名前だって言ってたよな?何かの縁だぜ付き合おう」
「軽っ!!いいけど!!」
【魚】
出来るだけで良ければ直しましょう。
そう言って、簪を大切そうに受け取ってくれた。
続けて、着物と同じ、黒くて柔らかそうな生地の布に破片ごとくるみながら、何故にここまで壊れるまで放っておいたのかと言われてしまった。
「………」
修理屋の言葉に冷や汗をかく。目を逸らすと修理に使う道具が散らばった机が見える。
逆方向を向くと、自分と同じく正座していた蠍が無言でこちらを見ている。
先日、簪を直してみようかと口にしたところ、蠍が今すぐ水瓶の家に連れて行ってくれと頼んできた。今すぐ修理専門の店とかないかと水瓶に詰め寄る蠍の剣幕を、自分は多分一生忘れない。
そして今日、早速紹介された桜の元に来てみた次第。
『やっぱり、気に入ってる物なら直してみた方がいいよ』
「き、気に入ってる物だし、やっぱり諦めずに直してみた方が良いかと思って…」
蠍の言葉を引用しながら明後日の方向を向く。まさか今の今まで存在する気力がなくなっていました、なんて重い話はできない。
桜は蠍の方を見た。蠍は黙って見返した。やがて自分の方に向き直ると、最期に好きなものが傍にあるだけでも大分違うと思います、と言った。
(目で会話できるって便利そうだなぁ…)
しかし、隣には好きな人がいて、昔からの友達がこっちにもあっちにもいて手元には好きな物があるのと、壊れた物の隣で友達が来るのを待っていたのとでは、圧倒的に前者が良いとは思う。
「環境が良いに越した事ないじゃない」
帰り、蠍はそう即答した。
「私はまだここで言う良い環境をぼんやりとしか知らないけど、魚がひとりでいるのは良くない、って思ったんだよ」
言い終わると同時に、ゆっくり目を閉じた。
「蠍が曖昧な事だろうがよく喋ってくれるって、特別なんだよね?」
目を開くと、こちらを見ては目を外す、を何度か繰り返された。
どう答えるべきか躊躇している。躊躇して躊躇して躊躇して、返事するのをやめて肩に頭を乗せてきた。
「そうそう。そうやって傍にいてくれたら、突然いなくなるなんて絶対起きないね」
蠍の心臓の音が腕を通して伝わってくる。顔が熱くなるのが肩を通して伝わってくる。
それからも好き勝手言って、音が早くなったり熱くなったりするのを感じて楽しんだ。
【蠍】
魚の簪は、元通りとまでは言わなくとも見れる程度まで直された。
おかげで射手が持っていた万華鏡は自分に受け継がれ、最近は練習の為、水瓶の家までやって来る。他にも紹介してもらった桜はいるのだが、
「あれでも蠍、人見知りする方みたいで。結局ここに来る時が1番楽らしいよ。恥ずかしそうに言うところがまた可愛くて」
と、魚が水瓶に言ったらしい。可愛いと言う方が可愛い。
「あの包丁、いつまで持ってるの?」
ある日、懐かしい物を見つけたので質問してみた。
「そう言われてもね。別に捨てるようなものじゃないし、良いでしょう」
「逆に言えば、別に置いとくような物じゃないし良い、ともなるよね」
「言い直そう。捨てなくて良いものだし、良いでしょう」
あっさり言葉を発し、長い指で水面を弾いている。
ここでは深く息を吸うと水の匂いがする。桜が人間に対して少なからず興味があるという事は、人間がいる場所にも興味があるのかと思う。水瓶の家は湖と舟遊び、獅子の家は和風の城か良い旅館の部屋、射手の家は無重力なので宇宙、そのあたりがモチーフか。
一方で魚は、木が目立ち1人で生活するにはやや広く2人で生活するにはやや狭い家。
とにかく誰か親密な相手と一緒の生活ができる家だ。現在、あの家はその希望通りに機能している。
一時期、これじゃあもしかして、自分が何かやらかしたら、例えば急にいなくなったりしたら、すぐさまそれが壊れるのではないかと。そう思った。
しかし途中で気づいた。もう全て縁だと、起きてしまった事だと認識した。
「まぁ何かの縁だし捨てない事をお勧めしようかな」
ふと、
「にしても、じゃあ捨てた場合はどうなるんだろうね?比べられたらいいのにねぇ。
もしそっちの結果でも満足できるなら、御縁がなかったとか都合よく言って別の縁を選んだりするのかな」
「タイムマシーンってやつはまだ出来ないんだ?」
「うん」
出来ない方が、今ある縁を大事に出来て良いかもしれないとも思った。
「誰か何か言ってたら、また教えてね。むこうに未練がないわけじゃないから」
いずれにせよ、魚がいる方でないと嫌だから困る。
【山羊】
「お兄様!宿題手伝って!!」
「自分でやれ」
夏休みに帰省した兄への第一声がこれとか、なめてるのかこの弟は。
数日後には、
「兄ちゃん!今日の夕方から遊びに行こうぜ!!」
「断る」
「前に電話で声聞いた先輩いるじゃん、あの人もいるよ?その先輩があと2人連れてくるって。俺もクラスの奴2人連れて行くから、全員で7人だ!」
「しれっと俺をカウントするな。6人で祭行って来い」
「なんだ、祭あるって知ってたんだ」
「…街歩いてたら張り紙見たんだよ、花火大会もあるってな」
口が滑った。最近ずっとその事考えてたせいか。
牡羊は『偶然祭を知ってた』で納得した。こいつはこれくらい単純な方が落ち着く。
手帳に予定を書き込み、実家に置いてきた物を見ていると文庫本の山を発見した。それをぽつぽつ読んでみると、桜という単語が出てきた。
弟の姿が頭に浮かぶ。
思い返せば4月辺りは様子がおかしかった。今や怪我は完治し、態度は元気過ぎるほどなので話題にこそしないが、確かにそうだった。
何かあったらすぐ態度に出るだろう。それか言ってくるだろう。その前に気づきたい。
数時間後。
「じゃあ、牡羊くん達も来てるんだね」
「えぇ、そのはずです。…ちょっと、何考えてますか」
おいやめてください。流石に在校生の目から見たら変な光景かと考えてたのは俺だけとか、向こうとしては卒業生が誘ってきた日が偶然開いてるんで成長を見守る気分でここに来たとか、そういう現実があるというオチはやめてください。
「おーい!兄ちゃん!なんだ来たんじゃん向こうに皆待ってるから…って、あ!来てたんですか!」
数十分後。
「お、電話の声と同じ声。なんかすげー」
「うっわーマジで初対面の人きた!」
「林檎飴うまい…ん?マジで、って?」
「どこかで見た事がある、とかか」
「合ってる、それでいいぞ」
(今度は…今度はもっともっと用心して計画も更に練って誘おう…)
夜、空に花火が上がる音と一緒に、笑い声話し声怒鳴り声、様々な声が響いた。
【蟹】
双子から、秋祭には行かないのかと尋ねられた。
仕事帰りに祭、と考えただけで疲れてくる。夏祭だってこちらも休日だったのと、思い詰めた声の山羊に誘われたから行ったのであって。
「射手と行くついでに蟹さんもどう?牡羊は部活だし乙女は生徒会だし牡牛は…射手がどうしてだか苦手そうにするし」
そう言う双子は受験生で間違いなかっただろうか。廊下に並ぶ窓から差し込む日の光を浴びた笑顔を見て、多少不安になった。
「2人組をふたつ作りたいの?それなら、射手くんが獅子くんを連れて来るんじゃないかな」
「射手が言うには、獅子が可哀想なのでやめてさしあげよう、だそうです」
(あぁ、双子くんと射手くんは…)
「私が行くのもその…相関図的に私が可哀想なのでやめてさしあげてくれないかな」
「蟹さんが山羊連れて来れば問題解決。大学生ならまだギリギリ夏休みかなって」
「山羊くんなら一人暮らしの家に帰ってるよ?」
大学生=暇、というイメージがあるのか。しかし山羊は、牡羊が気楽な大学生像を壊されたと嘆くような大学生だが。
それにしても、兄が夏祭に行った姿を見てホッとする弟の図もどうなんだろう。今度逢ったら無茶していないか、さりげなく聞き出そう。
「その前にさ、私と山羊くんが行ったとしても…やっぱり少し気まずいと思うんだ」
「どっちも付き合ってるならそんな事ないと思ったんですけど」
社会的に抹殺されかねない言葉が聞こえた。
「卒業と言っても山羊くんは1年前まで高校生だったからね?僕はその学校で働いてるからね?」
「僕?一人称使い分けてたんだ」
「あ…。電話口とかで私って言う内に、それが移ったというか」
「ふーん。俺も進学したら真似してみよっかな〜私って言うやつ」
「しなくていいって!こうなりそうだから隠してるんだよ。知ってるのは身内や昔からの仲の人と山羊くんくらい…」
って違う、すぐさま誤解を解くべきは一人称じゃない。
(そもそも山羊くんが嫌がるでしょうが!私は良いよしっかりしてるというか凛としてるけど世話やく甲斐もある子が相手で!でも年齢がね立場がね!?私より青春費やすのに向いてる子なんか山ほどいるでしょうよ!!)
内心そう叫んだ直後、双子に反論するのもやめて黙り込んでしまった。
卒業しても、1番忘れてほしくない子と一緒にいた。逢えはしないけれど。
(また逢おうとしてくれるだろうな)
【天秤】
ここ最近、身元不明の2人組がうちの生徒達といる姿が何度か目撃されている。
「この近くで便利屋やってる方々だそうです。住み込みで働いてるとか。…天秤先生、何だと思ってましたか」
放課後、数分前の職員室。乙女に聞いたら謎が解けた。
順番としては、双子が片方と知り合い仲良くなる。片方が同じ場所で生活しているもう片方を双子に紹介する。双子が暇を持て余していた牡羊と牡牛を2人組に紹介する。
牡羊・牡牛・乙女で行こうとしていた花火大会に双子・片方が加わり、更に片方がもう片方を誘う、という流れ。余談だがこの際、蟹と山羊にも偶然会ったそうだ。
(蟹さんと山羊くんも知ってる仲か。何で蟹さんと山羊くんが2人で逢ってるんだ)
ひとまず、そっちは置いておく。というか、深く考えると面倒な気がする。
乙女は回収した小テストの端を揃えると、こちらに差し出した。
あの妙な数日間、自分はこの子の事を忘れていたらしいが、こうしてみると信じられる。数日間の前後に生徒が回収し、職員室まで持ってきたプリント類は用紙の角から並びまで、几帳面に合っている物が多い。おそらく回収を委員長の乙女に任せがちだったのだろう、今みたいに。
「正直、こう…不良というかそういうのだったら困るし。事務員や牡羊くんのお兄さんも知ってると聞いて、少し安心したけど」
「お金を取られるとか?取るどころか…牡牛か牡羊が喋ったのか、俺の誕生日にプレゼントされましたけど…。2人組の、派手な方から」
「…そういや1日だけ教室に飾られてた花束があったけど、それ?」
「…だから朝っぱらから渡されても置く場所ないっつったんだよあの野郎」
静かにキレられた。
「そういや、牡羊のお兄さんの事知ってるんですか。さっき言いましたよね」
「うん、担任だしそういうのも知ってるよ」
嘘は言ってないよな、嘘は。
椅子に座りなおし考える。そうか、いくら担任でも卒業生の兄を知っているのは不思議に映るのだろう。
自分と牡羊は親しくなりすぎただろうか。半年前は苦手意識を解く方法を探す、そんな相手だったはずなのだが、これが吊り橋効果というやつなのか。吊り橋効果は恋愛感情に発展するし、少し違うか。生徒であり命の恩人に相応しい言葉は何だろう。小テストの採点をしながら言葉を探す。
牡羊の採点が終わった。悪い意味で涙が出そうな点数だった。名前の横に『天秤せんせー、お手柔らかに頼みます』と書かれている。
『君は』ここまで書いてペンが止まった。『君は』…。…修正液で消した。
【射手】
「そんでさー、この本見てよ」
魚の桜に向かって1冊の本を突きつけた。タイトルは『よくわかる園芸〜桜編〜』。
樹下周辺に立ち入れないよう縄囲いをする、という知識も本で学んだ。土を柔らかくしましょうだの、雑草や小石やゴミを取り除きましょうだの、専門的な事についてはこちら、だの。獅子と一緒に実践した結果、パッと見サッパリしている。
今度は落ち葉の掃除でもしよう、力仕事は獅子をおだててしてもらおう。
「これ、乙女に何か本ない〜?って言って借りてきてもらってた…んだけど」
本の裏側に書かれた学校名を見せる。
「昨日乙女が言うには、正確には牡牛も一緒に選んでくれたんだとさ。本当に水瓶脅してやって来た頑固者と同一人物?って感じなんだけど。…。…獅子?獅子はどうしてるのか聞きたいの?獅子なら調度遠くの仕事に駆り出されて不在だよ。乗り物苦手らしいけどね〜路線とか面倒だって。実のところよくわかんないから怖いだけという説もある。まぁ俺は乗り物好きだけど。色んな場所行けるし」
喋りながら、本を鞄にしまう。
「まず双子とアッサリ逢えたのが予想外だったなぁ。今は忙しいらしくて、逢う回数が減ってるけど。連絡が取れるだけでもすごいよ」
天を仰ごうと顔を上げたその時、自分から少し離れた場所に人がいるのに気づいた。
「…こ、こんにちは」
「…こんにちは。夏祭で会いましたよね〜あはは。蟹、で合ってますよね〜」
「はい。射手くん、だよね。あの、折角会ったし私で良ければ話しましょうか」
ひとりであんなに喋るなんてストレス溜まってるのか、みたいな目をされた。
いつから居たのやら。話しかけようとするもタイミングがわからず固まっていたのか。
その時、桜の葉がざわめいただけだった。風もないのに。
『射手。その当てとやらが駄目だったら、学校の事務に蟹って人がいる』
蠍が言った事を忘れてはいない。そこまで困らなかったので放っておいたが。
(いとこなんだっけ。言われてみれば似てるような)
蠍も知ってる顔に会えると嬉しいのか。
再度、蟹を見た。脇に置いた鞄の大きさからして、この連休で小旅行にでも行った帰りといったところか。ベンチに座ると姿勢を正し、こちらも座るよう促した。
動作がいちいち丁寧で優しそうだ。しかし、
「やっぱり蟹も怒ると怖いんだろか…」
「…本当に何あったんですか…」
【乙女】
炬燵の中で目が覚める。
聞こえてくる声や辺りの風景を見て、この状況は『学校帰りに獅子と射手と川田のいる家に寄ると獅子しかいなかった。そして1人で雑用という名の留守番してて寂しそうだったので手伝おうとしたら意地張って断られ、半強制的に炬燵に放り込まれた。
終わったら行くからと言われたので大人しく待っていたら、暇すぎていつの間にか寝た』ものと理解した。
(って、人の家で何寝てるんだ俺。それに獅子はどうしてるんだ)
授業中に寝ていた牡羊に怒った時、牡牛が『眠るっていいよね〜』と笑っていたのを思い出す。牡牛、やはりその考えには賛同しかねる。
「あー起きたか。よぉ乙女、おはよう」
襖が開き、獅子が湧いてきた。急に部屋の空気が明るくなった気がする。お茶を入れ始めたのを見て、ぼーっとしているのも何なので手伝った。
「…お前、何で茶の入れ方知ってんだ」
「は?何言ってるんだ…と思ったが…そういやどこで覚えたんだろう」
思い出せないしどこでもいいが、教えてくれた方ありがとうございます今すごく役に立ちました。よくわからないが獅子は嬉しそうだし。
「…頭は覚えてなくても体は覚えてるってやつか?」
「…なんかやらしー感じがするからその納得の仕方やめてくれ。台無しだろうが感動返せ」
「やらしーのはお前の発想だ」
そもそもどうして俺が悪い感じになってんだよ、と独りごちている。
寝ぼけていた頭が冴えてきた。湯呑を見る。…面倒見良い奴だなと思う。
「どうした、見蕩れるんなら好きなだけ見蕩れるがいい」
喋るとどこか残念だ。おかげでツッコミが絶えずいつの間にか喧嘩に発展したりする。
自分はただ逢いに来たのであって喧嘩しに来たのではない、はずだ。
「馬鹿な事言うな。…長く話せたら良いくらいは、まぁ。四六時中じゃなくて、ずっと」
真顔になられた。会話が消えた。10秒でいいから時間巻き戻したい。
「…か、帰る」
帰るなとばかりに腕を掴まれた。
「痛い痛い痛いって!」
「ほんっとお前は理屈っぽいし細かいし面倒だし…本当…。…俺くらいだな付き合えるのは!」
「偉っそうだな急に笑顔になりやがって!そのまま返すよ俺くらいだお前と付き合えるのは!」
「まず言っとくが!俺は抱きつかれたりしても怒らなねーぞ!」
「は!?そんな前置きされなきゃいけないほど怖気づいては…」
…遠まわしに抱きつけって言われてるのか?今?この場で?混乱してきた。
【牡牛】
今年の初詣には、少々気を遣った。
射手と獅子がそれぞれ相手を選べるようにしようぜ、と牡羊が空気読んだ事言ったのが始まりだ。後日、双子から気を遣ってくれと頼まれただけだと判明した。
「ようやく推薦入試終了したらしいですしねぇ。射手とも秋祭以降、逢ってなかったって」
ああ見えて、意外と神経太くない。そろそろ射手と2人になる時間が欲しかったのだろう。
舌から生まれたような人が静かに過ごしたいなど、珍しい事だ。
「つまり新年早々、山羊さんは俺と牡羊の普段より人減って寂しいな〜という気持ちの犠牲になったんですよね」
「なのに担任の先生見かけたらそれに着いてったのか、うちの弟は…」
「相手から誘われるまで、ただそわそわしてたうちの幼馴染よかマシ」
今頃獅子の横で、誘われた瞬間行くと反射で即答したのを悔いてるんじゃなかろうか。
「まぁ良い、約束があるのは明日だしな」
元旦の深夜に歩きながら、今頃約束があったのにと言われたら驚く。
「入試か。牡羊の奴、ちゃんと乗り切ればいいんだが」
先刻聞いたところ、自分の時に比較的費用がかからない進路を選んだので、牡羊が多少大変でも大丈夫だろう、との事だ。この人って貯金とか溜まりそうだなと思った。
「まだ歩くのか?そんなに遠くではないって言ってたよな」
「そろそろ着きます」
本着いた先は枯草の生えた林だ。どれを見せたかったのかは一目でわかるはず。
草の向こうの暗い所に桜が咲いている。時期のせいか花が小さいが、寒い中ぼんやり咲いているのが何となく特別な感じがした。暫く心地良く眺めてた後、この桜を初めて見た時の事を、ゆっくり話す。
「小さい頃、寒い中に咲く桜があるなんて大発見だとか思ったんですけどね〜。冬に咲く桜もあると知らされた時は夢が壊れたものです」
山羊が微妙そうな笑顔になっていた。どうして感慨深そうにこれを口にするのかと疑問そうだ。
「昔からの変わらぬお勧め花見スポットですよ。ほとんど年中咲いてるし」
「そういえば、暢気にしたり食事したりするのが好きなんだっけ…」
しかし、と続けられる。
「林に咲いてるんじゃあ、建物でも立つことになって切られる可能性もあるんじゃないか」
「そうなったら、俺がこの桜を貰いましょうか。本で読んだけど、枝があれば土に植えられるのって、挿し木って言うんだっけ。難しいし手間も時間もかかるらしいけど、いざとなったら貰いましょう」
「本当にこの桜が好きなんだな…」
「そうですよ」
【獅子】
双子が大学に合格した。射手も嬉しいようだった。
「嬉しいけど、じゃあ次は俺らが受験生になるのかって実感させられるから困るよね」
乙女が面白いとは思わない教科書を、必要だからと言って読んでいたのを思い出した。
双子は近々引っ越すらしい。では、もしかすると乙女も他の場所へ行こうと考え出すかもしれない。
「おーい、獅子が考え込んでも仕方ないんだけど」
と、牡牛。玄関で長々立ち話も疲れるし、と言って話を切り上げられた。
「って待て。俺にとっては少し疲れてもいいんで聞いときたい話だ」
「聞いとくって何を。そっちがどうにか出来る事じゃないし、射手みたく待っててくれればいいんじゃない」
その間、魚や水瓶に愚痴っていればいいのだろうか。水瓶が『射手の愚痴兼のろけ話をどうにかしろ』と言いたい様子を見せたのが、つい1月前だ。
(俺までそんなのやったら、水瓶も堪忍袋の緒が切れるんじゃねーか。魚は…
どうなんだろうな、奴自身がああいうのだしな)
怒った水瓶を想像しながら、黙々と雲の下を歩く。乗り物はあまり好きじゃない。
あれに乗って何度行きたいのとは逆方向に行ってしまった事か。それなら信号の赤青を覚える方がずっと楽だった。
(扇子を使えないわけじゃねぇけど、早く人間生活に適応しねぇと俺も困る)
正直、自分がこっちに来た時の事はよく覚えていない。乙女の事を考えていたら、気づけばこちらに来ていた。
そこからは、とりあえず水瓶の所に行った。当たり前だが驚かれた。そして、射手がこちらにいるのだから合流すれば良いという結論の元、射手を捜して…。
(死ぬかと思った!本当に死ぬかと思った!やっぱりあの数ヶ月間は安易に思い出すもんじゃねぇ!)
あの初夏の日に再会した時ほど射手が輝いて見えた事はない。そこからの運気は上昇しっぱなしだ。とか浮かれていたら、これだ。
桜だろうが人間だろうがいくら好きでも別れるもんは別れるのか。困る。何の為にここに来たと思っているんだ。仮に今回大丈夫でも、今後こういった事が起きないとは限らない。どうにかならないか。
ひらめいた。簡単だった。
(世界が手に入れば全部解決じゃねぇか。なーんだ)
せっかく身ひとつでこんな遠いところまで来たのだし、行けるところまで行くとしよう。
【水瓶】
いつものように、ここからのろけられるかと身構えたが、話は別の方向に飛んだ。
1年近くも前の事を思い出しながら、
「私は、水瓶は牡牛君を好きになったんだと思ったよ。違うんだね」
蠍が言った。
長い指で水面を弾いている。桜から見ると変わった人間だ。いや、そういえば、双子も蠍を変わった奴だと言っていた気がする。
ともかく、今蠍の言った好きというのは恋愛としてだろう。
「獅子もそんな事を言ってた。皆して、そんなに私に恋愛させたいのかな」
悪いが、無意識に恋愛を取った結果、別世界に行ってしまい困り果てるなんて事態は御免被りたい。…最近は困るどころか世界制服しそうだったり、自主的に行ったら行ったで小旅行を楽しんでいたりする。結構楽しい生活なのかもしれないが。
考えたところで1年遅い。
(自主的に来たとも断言しがたいのに、ここに残るとすぐ決めるって、蠍も本当に変わった子だよねぇ)
自分が思うのもなんだが、牡牛とはまた違う方向の変わり者だと思う。空き家と化した獅子や射手の家を偶に掃除したりする辺り、良い子ではあるのだろうが変わっている。あの子は斬りかかって来た時の笑顔すら、のんびりとした温かいものだった。触ると柔らかそうというか。最近この空き地に来た時も、自分を心地よさげに眺めていた。
あの数日間ではあまり見なかった表情だ。やっぱり、むこうに帰して正解だった。
もうじき桜の季節が来るだろう。そうしたら、また牡牛がお花見に来る。獅子や射手のように恋愛成就を目指さなくても構わない。自分は偶に逢うくらいが楽しい、と思う。
「仮に恋愛したとしても、魚が少しでも辛くないようにと、わざわざ心を砕いてる貴方には勝てないね」
「私は好きでやってるよ。当たり前じゃないか」
茶化したつもりが真面目な顔をされ、少し動揺する。いつもののろけ話とあまり変わらない気もするのだが、心底真剣に話されるととんでもない事を聞いた気分になってしまう。
「まぁ蠍が良いなら、私だって良いよ」
と、声も少し震える。それに気づいたのか、目を軽く見開いたが見なかった事にしてくれたようだった。
「いつも言うけど、誰か何か言ってたら、また教えて。じゃあね」
(教えるよ。そういう事なら、ちゃんと教えてあげる)
でも、あの数日間は自分だけのものだ。頼まれたって、あれだけは教えてあげない。
【牡羊】
「どんな時でも恒例行事は大事だろ。やっぱり今年もお花見しようよ」
しかし、どうして去年は忘れたんだろうね、と牡牛は笑った。
「俺がいなくて寂しいからって同じ大学行こうとか安易に決めるなよー」
引越し準備を手伝う自分に、双子は飲み物を差し出した。
「卒業しても…縁があれば会えるんじゃない。ほら、山羊くんとも逢えてるし」
少し前に新しく学校に来た桜の枝を、蟹はゆったり仰いでいた。
「つまり頑張れば好きな場所に行けるんだろ、良いじゃねぇか」
進路決定について話すと、獅子は笑い声を響かせ仕事を再開しはじめた。
「頑張れ。頑張るのを見るのは嫌いじゃない。俺も頑張るから」
宿題を期限内に提出、を続けたところ、これを見た乙女は随分感動していた。
「どこ行こうと連絡取れるし年に1度くらいは逢えるなんて、すごいよなぁ」
地図や時刻表を見る度、射手は嬉しそうにしていた。
「頭抱えてばかりでいるな。1年なんてあっと言う間だ」
3学期の成績表を見せると、頭を抱えられ長い沈黙の末に、山羊がきっぱり言った。
今年も桜が咲いた。
「双子くんや山羊くんが行った所に行くのは…牡羊くん、今から猛勉強する?」
「えっ勉強してたつもりなんですけど!?」
クラス変えもなく、相変わらず天秤は自分の担任だった。
昼食の時間。校内の中庭に双子はいないが、かわりに牡牛、乙女、蟹といった面子がふらっとやって来る。今日来たのは天秤だ。何やら「心配な子だなぁ…」と呟きながら遠くを見ている。
「ところで、去年の事って覚えてますか?」
黙って頷かれた。元々姿勢は良いのだが、今は背筋を張りつめているという言い方が合っていた。
この話をするのは久々だ。時間と共に、夢でも見ていた気分になっていたのが、一気に現実まで引き戻される。
ただ、その時を一緒に体験して覚えている相手がいるのは救いだ。双子達は、本当に綺麗さっぱり忘れてしまっている。蠍に至っては、忘れられてしまっている。
しばらくして、天秤は突然に背筋をやわらげ微笑した。
「牡羊くんが格好良かったのは夢じゃないんだね」
と、静かな声を使った。何の事かと重い、口を開けぽかんとしてしまう。すぐに木が倒れた時かと思い出し、次に目の前の絵になる姿を見ている内に、芝生の上でゴロゴロ転がりたくなった。ついでに足をジタバタさせたくもなった。
「うわぁ…緊急事態だったとはいえ、なんかすっごい恥ずかしいんですけど!?」
桜から始まった話が、どうして隣にいる相手にたどり着くんだか。この縁を作る為に奮闘したわけではなかったはずだけど。何をどうすればこうなるのか。
この空気を壊すべく、誰か来てくれないかと周囲を見回す。廊下の、教室の、窓ガラスのずっと向こうに桜が見えた。花びらが風にあおられる。そのずっと向こうの青空に白い月も見え、風に流された雲がかかった。また花びらが舞う。
なんとなくそれを見た。しばらく見ていた。やがて、
「違う話しましょうよ」
躊躇う事なく桜に背を向けた。
(完)